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一打席勝負!

 なんとか氷室さんと和解してマネージャーを継続することは出来た。

 だがその一方で部員集めの方に進展はなかった。

 ここまでで部員は僅かに五人、試合をするには最低でもあと四人が必要だ。

 どうにかしないといけないな……そんな風に考えていると脳裏にある記憶が蘇る。

 前に練習を眺めに来ていた女の子の姿だ。

 彼女はあれからも何回か練習を見に来ているようだった。

 その姿を見るたびに、彼女の存在はだんだんと俺の記憶に深く刻まれつつあった。


 その彼女は教室の一番後ろの席にいた、物憂げに窓の外を眺めている。

 ここ数日彼女について観察したことを整理する。

 名前は天城彩音さんというらしい。

 物静かで目立つ方ではなくいつも一人で過ごしているようだった。

「安島くん、どうしたのぼーっとして」

 どこか話しかけづらいオーラがあり、どうやってアプローチしようか迷っていると樋浦さんに声をかけられた。

「樋浦さんか、実はあの子が何度か練習を見に来てて脈ありじゃないかと思うんだけど……」

 そう言って天城さんを指さすと樋浦さんが少し困った顔を見せた。

「ああ、天城さんね……」

「知ってるのか?」

「野球経験者だよ、中学時代に一度だけ対戦したことがあるの、でも……」

「でも?」

「ううん、なんでもないよ……そうだ、その時のビデオがあるから探してきてあげようか?」

「それは興味あるな、是非お願いするよ」

「わかった、探しておくね」


 樋浦さんと別れてから気合を入れ直す。

 野球経験者ということなら尚更野球部に欲しい人材だ。

 思い切って声をかけて見ることにする。

「あの、天城さん」

「……なに、安島くん?」

 天城さんと視線が合う。

 ハッキリと顔を視認したのは初めてだったがとても綺麗な子だった。

 長い髪が風になびくのが美しい。

「俺たち野球部を作ったんだ、もし良かったら……」

「悪いけど、もう野球はしないの」

 そうキッパリと断られてしまう、取り付く島もないといった感じだ。

「……そっか、本人にその気がないのならしょうがないな、無理に誘う気はないから気が変わったら声を掛けてくれ」

「あっ……」

「ん? どうかした?」

「いえ、別に……」

 早々に諦めて自分の席に引き返した。

 何か言いたげな様子に見えたような気もしたが俺の勘違いだろう。


 あれだけハッキリと断られてしまうとは思わなかった。

 きっと何かしらの深い事情があるのだろう。

 彼女の名前に頭の中で取り消し線を引く。

 せっかくの野球経験者だったが本人にその気がないのであればどうしようもない。

 野球部の練習を終えて自室に戻る、しばらくしてドアをノックする音が響いた。

「はい……樋浦さんか」

「安島くん、ビデオ持ってきたよ」

 そう言って薄型のケースを手渡される。

 ビデオといってもあの黒いビデオテープではなくDVDのようだ。

「おっ、ありがとうな……でも今日勧誘を断られたばっかりなんだよな」

「やっぱりダメだったんだね」

「なんだよ、樋浦さんは分かってたのか?」

「うん、なんとなくだけど……そのビデオを見たら私の言いたいことも分かると思うよ」

 そう言い残して樋浦さんは自分の部屋に戻っていった。

 その言葉の意味が気になって早速ビデオを再生する。


 映像が映し出された、少し顔に幼さがあるもののここに映っているのは確かに天城さんだ。

 立っているのは左打席、そのフォームには無駄がなく実力の高さを予感させた。

 初球を見逃し、二球目をファールにしてあっさりと追い込まれてしまう。

 映像で見る限り相手の投手もレベルが高いように感じる。

 だがそこからが真骨頂だった、厳しいコースをカットし、また今度は際どいコースを見送る。

 そしてフルカウントとなってから少しだけ甘く入ったボールを芯で捉えた。

 打球はライトの頭上を遥かに超えるスリーベースヒットとなった。

 第二打席、第三打席も内容の濃いものだった。

 早いカウントから打ちに行かずよくボールを見て、粘りに粘り最後にはキッチリと結果を出す。

 結局四打席でヒットが三本、四球が一つ、全打席で出塁という素晴らしい内容だった。


 映像が終わっても俺はなかなか動けなかった。

 しばらくしてようやく体を動かしもう一度映像を最初から見る。

 何度見ても美しい打撃だった。

 精密なバットコントロールを生かした粘り強い打席は相手投手に大いにプレッシャーを与えることだろう。

 最初は彼女にその気が無いなら無理に野球部に勧誘しても仕方がないと思っていた。

 だがこのビデオを見て気が変わった。

 彼女のプレーを目の前で見てみたい。

 そんな強い欲求が爆発しそうなぐらいに膨らみ上がってるのを感じる。

 それと同時に樋浦さんが言うことも分かる。

 これだけのプレーが出来る彼女があれだけハッキリ野球部の勧誘を断るということは何らかの深い事情があるのだろう。

 そもそも野球部のない桜京高校に来たということは最初から野球をやるつもりはなかったとも考えられる。

 それらを併せて考えれば彼女を勧誘するのは絶望的なように思えた。

 しかしそんな理屈はもう吹っ飛んでしまっている。

 無意識のうちに体は彼女の部屋に向かって歩き出していた。


 軽くドアをノックすると天城さんが顔を出した。

「安島くん……どうしたの?」

「天城さん、無理に誘う気はないって言ったけど取り消す、野球部に入ってくれ」

 そう言って頭を下げる、もしも頭を下げることで彼女の気持ちが少しでも動くのであればいくらでも下げ続ける所存だった。

「その件はさっき断ったはずだよ」

「もしかして、どこかケガしたのか?」

 あれだけの実力を持ちながら野球に関わらないという選択をしたのであれば、そういうことも十分に考えられる。

 しかし天城さんは首を振った。

「そういうわけじゃないけど……」

「それじゃあどうして?」

 図々しいと分かりながらも、彼女のことを知りたいと思った。

「……それが私なりのけじめだから」

 それだけ言うと下を向いてしまう。

 野球に関することで何かあったのだろうということだけは推察することが出来た。

「詳しい事情はわからないけど、俺は君が野球をするところが見たい、昔のビデオを見てもう君を諦められなくなってしまったんだ」

 それでも俺だって譲れない、どうしても彼女に野球をして欲しかった。

「安島くん……」

 迷っている、今の彼女に対してなぜか俺はそんな印象を受けた。

「今日はもう帰るけど、また来るから」

「そんな、迷惑だよ」

 天城さんはそう言ったけれどもその声色に強い拒否の色を感じられなかったのは俺の願望がそうさせたのだろうか?

 そんなことを考えながら彼女の部屋を後にした。


 それから数日はひたすら天城さんに張り付いた。

 言葉では拒否の意志を俺に伝え続けてきた彼女だったけれども、それでも可能性はあるように感じ始めていた。

 野球部の練習を見に来ていたのだってそうだ。

 まだ野球への気持ちが切れていないからこそ、ああいう行動をとったのだとそう信じて声をかけ続ける。


 そして四日後、天城さんがついに折れた。

「分かった、それじゃあ勝負して決めましょう」

「勝負?」

「そう、エースの成宮さんと私が一打席勝負、成宮さんに抑えられたら野球部に入るし、ヒットを打ったら私のことは諦めて」

「一打席でいいの? 公平に考えたら三打席は……」

「……安島くんは私を入部させたいのかさせたくないのかどっちなのよ、一打席で十分よ」

 そう話す天城さんの言葉は自信に溢れていた。

「わかった、早速やろうじゃないか」

 天城さんが着替えたり準備をしている間に詩織に話をつけにいく。

「というわけで、天城さんと一打席勝負だ、頼んだぞ」

「もう、勝手に決めてきちゃって……私が打たれたらどうするのよ?」

「確かに天城さんはすごいバッターだけれども、詩織なら大丈夫さ」

「わわ、髪が崩れちゃうよ」

 小学校時代のように詩織の頭を撫でる。

 口では嫌がっているけれども満更でもなさそうな感じだった。

「もう、子供扱いして……」 

「それと、キャッチャーは俺がやる、受けるだけならできるからな」

 そう言うと詩織が真剣な表情に変わった。

「そっか、四年ぶり、だね」

「ああ、しっかり頼むぞ」

 背中を叩いてグラウンドに向かう。

 この勝負はどうしても負けられない、自分の両頬を叩いて気合を入れなおした。


 ついに勝負が始まる、天城さんが右打席に入った。

「あれ? 天城さんは左打ちじゃなかったの?」

「私はスイッチヒッターよ、右でもちゃんと打てるからご心配なく」

 そう話す天城さんの表情は生き生きしているように見えた。

 それを見て天城さんは野球を嫌いになったわけじゃないんだと確信した。


 しかしアテが外れてしまった。

 左のサイドスローである詩織は左打者には滅法強い。

 ましてや初見であればそれは尚更で一打席ぐらいなら抑えられると思っていたのだが、スイッチヒッターだとは思わなかった。

 何にしてもやるしか無い、天城さんはあまり積極的に初球から振ってくるタイプではなさそうだったし積極的にカウントを取りに行こう。


 初球はアウトコース低めにカーブ。

 確実にカウントを稼ぎにいったそのボールを天城さんはあっさりと見送った。

 返球が出来ないので天城さんにボールを手渡して詩織に投げ返してもらう。

 綺麗な送球が詩織のグラブに収まった。

 続いてストレートをアウトコース低めに投げると、天城さんがバットを振った。

 鋭く逆方向に飛んだボールはファーストライン際ギリギリを叩くファールボール。

 あわや一塁線を破るヒットになるところだった。

 助かった、思わず息を吐く。

 ボールが完璧に近いコースにコントロールされていたことが幸いした。

 少しでも甘く入っていたらやられていたところだ。

 しかし追い込みさえすればこっちのものだ。

 後は詩織の伝家の宝刀スクリューボールで三振、勝負ありだ。

 コースは徹底してアウトローに要求する。

 詩織のコントロールであれば早々フェアゾーンにヒット性の当たりは打てない。


 サインの交換を終えて詩織がモーションに入る。

 サイン通りの文句なしのボールが来た。

 天城さんのバットが動く、変化に気づいた時にはもうバットは止まらない。

 勝った、と思った次の瞬間軽い金属音が響いた。

 ワンバウンドしようかという鋭い変化をしたそのボールを天城さんがバットに当てていた。

 衝撃を受けた、詩織のスクリューがバットに当てられるなんて初めての経験だった。

 やはり天城さんのバットコントロールはずば抜けているのだと再確認させられる。

 それから先は必死の配球だった、高めの釣り球を見せ、低めの変化球で止めを刺しに行くも尽くファールで逃げられる。

 僅かに外れたボール球は見極められて気づけばフルカウント。

 投げるボールがなくなりつつあった。


 マウンド上の詩織が一度プレートから足を外しゆっくりと汗を拭う。

 詩織も相手にしている打者の実力はよくわかってきた頃だろう。

 迷った時には一番得意なボール、スクリューのサインを詩織に出した。

 それに対して詩織が首を振った、初めての経験だった。

 何か詩織なりに投げるべきボールがあると感じたのか?

 そう考えて次々とサインを出すもののその全てに首を振られる。

 それを何度か繰り返した末に、サインがまだ決まっていないのに詩織がセットポジションに入った。

 思わず腰を上げそうになるが困惑しながらも俺は覚悟を決めた。

 あいつを信じてきた球をノーサインで止めるしか無い。

 詩織の手をボールが離れる。

 綺麗な回転の掛かったそのボールに対して天城さんのバットは動かなかった。

 入っている、ストライクで三振だ。

 マウンドからゆっくりと詩織がこちらに歩み寄ってくる。


「私の勝ち、だね」

 天城さんにそう言って微笑みかける。

 天城さんはどこか呆然とした様子でまだ状況が飲み込めていないようだった。

「さっ、これで天城さんも野球部員だよ、よろしくね」

 そう言って天城さんに向かって手を差し出す。 

「……勝負に負けたんだからしょうがないわよね」

 握手に応じながらどこか自分にそう言い聞かせるかのようにそう呟く天城さん。

「ええ、勝負の結果ですから」

「成宮さん、もう一打席勝負しましょう、今度は野球部員同士として」

「うーん、せっかくだけどお断りさせてもらおうかな、次は打たれちゃいそうだから」

「勝ち逃げですか?」

「ええ、勝負の続きはまた今度、ね」

「うう……」

 先ほどの結果が心底悔しかったのだろう。

 納得行かない様子の天城さんを残して涼しい顔で詩織がロッカールームへと引き上げていく。


 その後をすかさず俺は追いかけた、聞きたいことがあったからだ。

「やっぱり天城さんも野球が好きなんだね、上手く行ってよかったよ」

「詩織、どうして……」

「最後の一球のことだよね?」

「そうだよ、わざと投げたのか?」

 詩織の投げた最後の一球は、打ち頃のど真ん中への棒球。

 そして天城さんはそれを見逃して三振に倒れた。

「うん、あれが私なりの天城さんへのテスト、それまでの過程で実力があるっていうのは嫌ってほど分かってたしね」

 つまり、天城さんがあの甘い球を見逃すのも詩織は分かっていたということになる。

「おいおい、もし打たれてたら天城さんは……」

「私は打たないって信じてたよ、だってそれまでの対決で天城さんは嫌ってほど野球の楽しさを再確認したはずだから」

 詩織との熱い勝負が天城さんの心に眠っていた野球熱を呼び起こしたか。

「……すごい度胸だな、俺だったらそんなボール投げられないよ」

「ピッチャーは度胸があってこそだよ、天城さん、心強い味方になりそうだね」

「ああ、なにはともあれ天城さんの入部が決まってよかったよ」

 白熱する二人の勝負は後ろで受けているだけで痺れるような感覚を覚えるぐらいだった。

 その二人が一緒にプレーする姿が見られると思うとこれからが楽しみだとそう思った。

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