栄冠の余熱
全国制覇を成し遂げた天帝高校はお祭り騒ぎだった。
これで五年連続の全国制覇だが、それで有り難みが薄れるということもないようだ。
俺は東堂さんから誘いを受けて、その天帝高校へと到着したところだった。
入り口に宍戸さんが立っているのが目に入った、歩み寄ると俺に気づいたのか顔をあげた。
「宍戸さん、優勝おめでとう。桜京の野球部を代表して俺から伝えさせてもらうよ」
「ありがとう安島くん、とはいっても私は大して力になってないけどね」
その言葉を聞いた俺は自分の耳を疑った、そのぐらい想定外の発言だった。
「おいおい冗談はよしてくれよ、大会通じて防御率一点台の宍戸さんが力になっていないなら大半の投手はグラブを燃やさないといけなくなる」
「今年うちが優勝したのは圧倒的な打力があってこそだからね、私がいてもいなくても恐らく結果は変わらなかったんじゃないかなぁ」
「宍戸さんは自分を過小評価してるな、君レベルの投手がいたらどれだけ有難いか」
「杉坂女子なら黒崎さん、桜京なら成宮さんの方が総合的にはいい投手だと私は思ってるよ、打線に助けられた分私が残っただけで」
「確かにその二人も好投手だが、どちらにしても天帝高校にとって宍戸さんは必要不可欠な存在だと俺は思うけどな」
そう会話をしながら通されたのは以前に見たミーティングルームだ、こうして正式な形で通されるのは初めてとなる。
俺の姿を見て東堂さんが歩み寄ってきた。
「いらっしゃい安島くん、来てくれて嬉しいわ。宍戸さんもお出迎えさせてごめんなさいね」
「ううん、私と違って東堂さんは主役級なんだから気にしないで」
そう言って宍戸さんはその場を離れ、俺と東堂さんの二人となる。
「お誘いありがとう。それにしても有言実行だったな、東堂さん」
以前に彼女が最高の結果を見せると俺に約束してくれたが、その通りになった。
「ええ、こうして私たちが全国制覇出来たことで桜京の顔も立つでしょう」
「確かにその通りだよ、来年は……倒すつもりで挑むけどな」
俺がそう宣言しても東堂さんはかすかに微笑むのみで、余裕が見られる。
「望むところです、私も成宮さんにリベンジしないといけませんからね」
「マルチヒットだったろ東堂さんは、十分力は見せたと思うけど」
東堂さんがあの結果で満足してるはずがないとわかりつつもそう口にする。
「捕手の負傷交代で配球を制限された成宮さんを打っても無意味です、今まで対戦して凄みを感じたのは成宮さんと黒崎さんの二人だけでどうしても意識してしまいます」
東堂さんと黒崎さんとの対戦では一打席敬遠があった他はノーヒット、これは東堂さんにとって満足いく結果ではなかったのだろう。
「黒崎さんは間違いなく本物だな、あの真っ直ぐは早々打てないだろうな」
「速球派なら黒崎さん、軟投派なら成宮さんが最高峰でしょう。その最高峰の投手を打ち崩さずして私は終われないですから」
「その気持ちはよく分かるよ、好投手と対戦するのは打者にとって一番の幸せだ」
そんな風に東堂さんと話してる時にふと視線を感じてそちらを向く。
一瞬、佳矢と目があったがあっという間に逸らされてしまう。
少し気になって声をかけようかと思ったが、なんとなくその気にならない。
今年の圧倒的な活躍をみて、どこか佳矢が遠い存在になってしまった気がしていた。
考えすぎなんだろうが、今更俺が師匠面して声を掛けるのも恩着せがましい。
大体、俺が佳矢に関わったのなんて彼女の野球人生においてほんの一瞬でしかないのだから自分がそれに影響しているなんて考えるのは自意識過剰だ。
「そろそろ帰ろうかな、みんなにもおめでとうと伝えておいてくれると嬉しい」
「安島くん、もう少しだけ時間をいただけませんか?」
立ち去ろうとする俺を東堂さんが引き止めた。
「俺は構わないけど……」
「もう少ししたら私の父がここを訪れる予定なんです、会ってくれませんか?」
東堂さんの父親と言えばいくつもの企業を持つすごい存在だと聞いている。
それと同時に東堂さんが俺をここに呼んだのはそれが主な目的だったのではないかとなんとなく感じていた。
「なるほど、それがメインイベントか? でも俺なんかが会っても話すことがないんじゃないかな」
「いえ、私の父も安島くんに興味があるようなので是非会って下さい」
「俺に興味がある? まず俺のことを知ってるかどうかも怪しい気がするけれど」
「実は安島くんに諭された話を父にしてしまいまして、それで……」
「……分かった、とりあえず無礼がないように気をつけて応対するよ」
ちょうどその時、扉が開き一人の男性が顔を見せる。
側には天帝高校のお偉いさんとみられる女性が数人付き添っていた。
それだけこの学校にとっても重要な存在ということになるのか。
「桐華、そちらが安島くんか?」
低く、威厳を感じさせる声だった。
それを聞いて思わず背筋が伸びる、独特の存在感を嫌でも感じさせられる。
「ええ、そうです」
「初めまして安島くん、桐華の父親の東堂真郷です」
そう言って名刺を差し出される、素直に受け取るが当然返す名刺など持っていない。
「ご丁寧にありがとうございます、私は桜京高校二年の安島修平と申します。お会いできて光栄です」
そう詫びると真郷さんは爽やかな笑みを見せる。
「私も君に会いたいと思っていたんだ。今日は君に一つお礼を言いたいと思ってね」
「私にですか?」
「そうだ、私は出来るだけ桐華の出場する試合は見るようにしている。時間の関係で直接観戦できることはあまりないのだが後からでも映像で確認はしている。そして桐華はどこか冷めた態度で野球に取り組んでいると私の目にはずっとそう映っていた」
「桐華さんの試合を確認していらっしゃる事はとても素晴らしいことだと思います」
多忙であろうその立場できちんと試合を確認するのは決して楽ではないはずだ。
「しかしそれが今年の途中から変わった、どこか楽しそうに野球をしている桐華を見ることが出来て嬉しかった。その理由を聞くときっかけは安島くんらしいじゃないか」
「私は大したことは言っておりません、変わったとすれば桐華さん自身の功績ですよ。それに私は桐華さんのように素晴らしい実績もないですし分不相応な発言でした」
「安島くんに野球の実力があるのは十分に分かってます、謙遜する必要はないですよ」
東堂さんのその発言を聞いて真郷さんが満足気に頷く。
「私は野球に疎くてね、桐華が野球を始めてからルールぐらいは覚えたのだが残念ながら選手の良し悪しを見るような目はない。しかし桐華が太鼓判を押すのだから君の実力は間違いないだろうとそう信じているよ」
「私にはもったいないお言葉です」
その時携帯電話の音が鳴り響く、真郷さんが顔をしかめてからそれを取った。
「私だ……分かった、すぐに戻る」
残念そうにしながら携帯を胸ポケットに戻して俺の方に向き直る。
「どうやらタイムリミットのようだ。時間が取れなくて済まないね安島くん、今度はゆっくりお話する機会を作りたいものだ」
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ君と話が出来てよかったよ、ありがとう安島くん」
差し出された手を握り握手を交わしてから足早に立ち去る真郷さんを見送った。
会話をしたのは僅か五分程度だったはずなのに、凄まじい疲労感に襲われていた。
それだけ緊張していたということだろう、あのオーラに圧倒されてしまった。
東堂さんの父親との面会を終えた俺は今度こそ帰路につくことにした。
「お帰りですか、安島くん」
「ああ、そろそろ夕食の準備もしたいしね」
宍戸さんに声を掛けられ、そのまま一緒に校門まで送ってもらう。
「……佳矢に声を掛けてあげました?」
そう尋ねられて、なぜか少し動揺してしまった。
佳矢には結局声を掛けなかった、そのことに俺は罪悪感を感じているのだろうか。
「別にいちいち俺が声を掛けなくてもいいだろ」
「佳矢、きっとガッカリしてますよ」
「考え過ぎだって、そういえば宍戸さんは父親とどうなんだ?」
都合の悪い流れだと感じ、そう言って話題を転換する。
東堂さんの父親と同じく宍戸さんの父親もかなりの社会的地位のある人物だ。
二人はライバル関係だと前に聞いたが、あまり詳しい話は知らなかった。
「……私の場合は父親に野球をやるのを反対されてますから」
そう言って宍戸さんが作り笑いを浮かべる。
それを聞いて残念に思った、東堂さんの父親とは正反対だな。
「宍戸さんぐらいの実力があるなら、応援してあげて欲しいんだけどな」
「私は父親は甲子園に出場した経験もありますから、大した実力じゃないとバレて見限られてるのかもしれませんね」
「それなら尚更別の理由だろうな、甲子園に出場するぐらいの実力の持ち主がそんなに見る目がないとは考えにくい」
「……私のことなんてどうでもいいんです、佳矢のことちゃんと考えてあげて下さい」
「分かったよ」
適当にそうあしらってから宍戸さんと別れる。
そのまま寮に帰って、食材の買い出しを終えていないことを思い出した。
帰り道に商店街に寄ればよかったなと後悔しながら、再び外出することになる。
いつもの店を巡回し、馴染みの深い八百屋に辿り着く。
「修平くん、いらっしゃい」
「どうも」
おばちゃんに出迎えられる、この人には頭が上がらない。
俺が小学生の頃から声援を送ってくれた人で、詩織と戦った例の試合のホームランボールを拾ってくれたのもこの人だ。
買い物を済ませ、商品を受け取ったその時だった。
「修平くん、ちょっとそこに隠れてなさい」
そう言って店内の死角に押し込まれた。
どうしたことかとそこから様子を伺っていると、佳矢の姿が目に入った。
「いらっしゃい佳矢ちゃん」
「おばちゃん、今日優勝を決めてきました」
「私も仕事をしながらテレビで見ていたよ、おめでとう」
「ありがとうございます」
親しげに話す二人の姿に驚かされる、知り合いのようだがそんな話は初耳である。
「優勝したのに浮かない顔だねぇ、どうしたんだい」
「……修平さんがうちの高校に来てたんですけど、私には声を掛けてくれなくて」
「それは残念だねぇ……修平くんにいいところを見せるために頑張ってたのに」
「妹さんを怪我させてしまったり迷惑もかけましたし、嫌われたのかもしれないです」
「結論を急ぐのは良くないね、本人に聞いてみないとわからないじゃないか」
「そうですけど……」
「私が渡した修平くんのプレーする映像で練習したりさ、今でも憧れてるんでしょう?」
おばちゃんは俺が大阪に越して中学に上がってから映像を要求してきた。
それに応えて多くの映像を録画して郵送したが、それが佳矢に渡されていたようだ。
「……そうですね、今でもずっと、あの時の私の気持ちは変わらないままです」
「だってよ、修平くん」
俺の方に向かって直接そうおばちゃんが呼びかけてきた、ここから出ざるを得ない。
「しゅ、修平さん!?」
当然、俺がいるとは思っていなかったであろう佳矢は顔を赤くし取り乱した様子だ。
「おばちゃんと佳矢が知り合いとは思わなかったよ、いつからだ?」
「修平くんが越してすぐに彼女が私を探して見つけてくれたんだよ、あなたの情報を求めて試合当日にあそこにいた私にたどり着いたってわけ」
「それで話を聞いた私が協力しようと思って修平くんの映像を集めたりしたわけ」
「そうだったのか……」
以前から不思議だったのは一度練習を教えた程度であそこまで正確に俺のフォームを佳矢がコピー出来るはずはないだろうということだった。
それもいくつもの映像を見て参考にしていたのであれば納得が出来る。
「さて、佳矢ちゃんに言うべきことがあるんじゃないかい」
そう言われて佳矢の方に向き直る、視線が合うとどうにも落ち着かない。
「今日声を掛けなかったのはさ、佳矢がすごい選手になったから臆してしまったんだ」
そう正直に告げた、みっともないとは思うけどこれが事実であった。
「ここまで成長した佳矢に俺なんかが声を掛けていいのか、ってそんな風に思った」
「佳矢を嫌いになったとかそんなことはあり得ないよ、理由は今言った通りさ」
それを聞いた佳矢がひとつため息を付いた。
「バカですね修平さんは、私がどんな選手になろうとその原点があの修平さんとの一日にあるのは永久に変わらないことなのに」
その言葉に胸を射抜かれる、佳矢にそんな風に言ってもらえるとは至福の瞬間だ。
「佳矢、優勝おめでとう。君のような偉大な選手に関われたことを誇りに思うよ」
「ありがとうございます、私も修平さんに出会えたことに感謝していますよ」
照れくさい言葉だったが、視線を逸らさずに伝えられてよかった。
「佳矢、家まで送っていくよ」
「修平さんの寮と逆方向じゃないですか、悪いですよ」
「今は、佳矢ともう少し話したい気分なんだ」
八百屋のおばちゃんに礼を言ってから、少し強引に佳矢の手を引いて歩き出す。
夕飯の準備は遅れてしまうが、なんとか許して貰いたい。
俺はこの素晴らしい時間を過ごす機会を見過ごせる程の聖人君子ではないのだから。




