創部、そして初練習
翌日、体育館に向かい男一人の居心地の悪い入学式に出席する。
今年の桜京高校の新入生の数は四十人ほどだ。
学校全体を見ても一学年一クラス四十人の少数精鋭の教育体制となっている。
新入生代表として首席入学の初瀬優香さんが挨拶を行なっている。
いかにもお嬢様といった感じの聡明そうな女の子だ。
その挨拶を聞き流しながら、どうやって部員を集めるか俺は考えていた。
入学式が終わり、新入生が体育館から流れ出てくる。
それに群がるように上級生が部活の勧誘を始める。
なるほど、どうやら桜京高校ではこのタイミングで勧誘をするのが慣例らしい。
そうと分かれば俺も野球部の勧誘をすることにする。
とりあえず詩織を呼んで二人で適当に準備をする。
手持ちのプリントの裏に『桜京高校女子硬式野球部 部員募集』と字の綺麗な詩織に書いてもらってから、それを掲げて新入生たちに声をかけていく。
唯一の男の俺が勧誘をしているということで興味自体はもって貰えるものの、その先がなかなか続かない。
「うまくいかないもんだな」
「まだ初日だし、焦っちゃダメだよ」
詩織はそう言ってくれるものの、この初日の勧誘はとても重要なものになるだろうという予感が俺の中にあった。
元々運動部よりも文化部の方が盛んな桜京高校では恐らく野球部の部員を集めるのは難しいだろうと考えていた。
さらに言えば桜京高校では部活動は強制であり既に部に所属している上級生を引き抜くのは困難であろうことも予想された。
それだけに部活に未所属の生徒が多いこの初日にある程度の結果を出しておきたかった。
しかしその思いも虚しく、一人の勧誘も成功しないままただ時間だけが流れていった。
別の紙の裏書きに並べられた新入生の名前がいくつも線で消されていく。
「お困りですか?」
そんな時にそう声を掛けられた、その顔には見覚えがあった。
「さっき入学式で挨拶してた初瀬さん、だよね?」
「はい、そうです……あなたが噂の安島さんですね」
「噂になってるか?」
周りからどう見られているのかはそれなりに気になるところだ。
ましてや周りが女の子ばかりとなれば尚更だった。
「男の子は一人だけですからね、やっぱり目立ちますよ」
そういうと初瀬さんに物珍しそうな視線で見られる。
長年女の子だけの場所に自ら飛び込んだのだから仕方ないと割り切った。
「ね、初瀬さんは野球部入らない?」
詩織がそう初瀬さんを勧誘する。
しかし俺にはそれが上手くいくような気はあまりしていなかった。
初瀬さんは見るからのお嬢様で野球というイメージは全く持てなかったからだ。
同じスポーツでもやるならテニスとかではないだろうか。
「うん……でも私スポーツとか未経験だから」
けれどもその次の言葉は俺の予想に反したものだった。
その反応を見る限り勧誘に対してまんざらでもない様子だ。
「そんなの関係ないよ、俺たちが出来る限り丁寧に教えるからさ」
「そうだよ、野球って楽しいよ」
ここぞとばかりに二人で畳み掛ける。
この貴重な部員を確保できるチャンスを逃すわけにはいかない。
「そうですね……きっとこれも何かのご縁です、よろしくお願いします」
その言葉に詩織と手を取り合って喜ぶ、五人目の野球部員が誕生した瞬間だった。
「ありがとう、それじゃあ入部届けを……ってそういえば野球部を作る届けもまだ出してなかったな」
「創部にはとりあえず五人部員が必要だったからね、これでようやく正式に野球部を作ることが出来るよ」
嬉しそうに詩織がそう言う。
これから細かい用具の確保などの問題はまだ残っているが、とりあえず一山は超えたと言えるだろう。
書類を貰ってきて初瀬さんと詩織に名前を書き込んでもらう。
あとは残りの三人にも名前をもらって提出するだけだ。
書類を貰うついでにいつから活動出来るかを確認してきたが、明日の放課後から早くもグラウンドを使わせてもらえるそうだ。
運動部の数が少なく競争率が低いということは分かっていたけれど、無事に練習場所を確保出来てホッとした。
とりあえず今日中に創部の書類を出してしまいたいということで、残る三人の名前をもらうために一旦寮に引き返す。
羽倉さんを尋ねた後に樋浦さんと氷室さんの部屋に向かう。
樋浦さんの部屋をノックするとドアが開いた、ドアの隙間から氷室さんの姿も見える。
「何か御用?」
「こんにちは樋浦さん、創部の手続きを正式におこなうから二人に名前を書いてもらおうと思って」
その紙に視線をやって今更ながらに気がついたが、未だに主将の欄が空白のままだった。
自ら部を作るということで詩織が主将になるのかと思っていた。
しかしどうやら本人にそのつもりはないようだった。
「キャプテンは成宮さんじゃないの?」
樋浦さんがそれを見て俺の考えと同じ事を口にする。
二人を主導的に誘ったのも詩織であったし、主将が詩織というのは割りと自然な考えであるように思える。
「私は朱音がキャプテンでいいと思うけどな、中学時代もやってたんだし」
氷室さんがそう口を挟む。
紙を手に思案していた樋浦さんを尻目に自分の名前を部員の欄にサラサラと書き込む。
「一般的にエースとキャプテンは分けるケースも多いし、出来たら樋浦さんにキャプテンをお願いしたいかな」
よく考えて見れば両方を詩織にというのは負担が大きすぎるだろう。
それに天帝高校から推薦を受けたという実力の持ち主であれば樋浦さんがキャプテンで文句はなかった。
「……わかりました、引き受けます」
そう言って主将の欄に名前を書き込む樋浦さんはどこか不本意そうに見えて、それが少し気になった。
放課後になり中学時代ののユニフォームに着替えてグラウンドに立つ。
初瀬さんは体操着姿でその他の経験者四人はそれぞれ過去に所属したチームのユニフォームを身に着けている。
創部の手続きは昨日滞り無く終わって、本日から野球部の練習がスタートしていた。
「まず軽くランニングとストレッチでもしてからキャッチボールに移ろうか」
バラバラとみんなで走り出す。
初瀬さんのことが気にかかり一番後ろを二人で並走する形をとる。
「焦らなくていいからゆっくり行こう」
「はい、分かりました」
ランニング一つとっても経験者の四人と未経験者の初瀬さんでは差が出る。
俺が出来る限り気を使って初瀬さんをフォローして行きたい。
他の四人に遅れること一周ようやくランニングを終える。
軽いランニングだったが初瀬さんの額には汗が滲んでいた。
その後ストレッチをこなしていく。
その際の二人組は特に話し合いを経たわけでもなく自然と樋浦さんと氷室さん、詩織と羽倉さん、と中学時代のチームメイト同士に分かれる。
元からチームメイトだった相手のほうが色々とやりやすいだろうということで俺が未経験者の初瀬さんの相手をすることにする。
「初瀬さんの体、柔らかいな」
「あ、ありがとうございます」
二人組で柔軟をしている時にそう気がつく。
驚くほど、というわけではないものの平均からしてみれば十分に上の部類に入るだろう。
「修平、なんかその言い方いやらしいよ」
俺を軽蔑するような言葉と視線が詩織から飛んでくる。
そう言われてしまったことで初瀬さん、つまりは可愛いお嬢様に触れているということを再確認してしまい俺の顔が赤くなるのを感じる。
「むー、なに赤くなってるのよ変態」
「お前が変なこと言うからだろ!……ごめんね初瀬さん」
「い、いえ、私は全然気にしてないですから」
そう言いながらも初瀬さんの頬も微かに赤い、変に意識をさせてしまったなと反省する。
「変な意味じゃなくて体が柔らかいのはいいことだよ、怪我をしにくいしゴロを捌く姿勢も取りやすいからね」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
ランニングとストレッチを終えてキャッチボールに移る。
とりあえずセオリー通りの練習メニューだ。
「グラブやボールはそれぞれの手持ちでなんとかなりそうだな、初瀬さんはこれを使うといいよ」
俺が昔にサードを守っていた時の内野手用グラブを初瀬さんに手渡す。
「ありがとうございます、でも安島さんはこれを私に渡して大丈夫なんですか?」
「ああ、俺はこれを使って混ざらせて貰うよ」
左利き用のファーストミットを取り出す。
中学時代にある人から餞別として貰ったものだ。
先ほどからの流れでキャッチボールの組み合わせもさっきと同じだ。
初瀬さんを向かいに立たせてキャッチボールを始める。
まずは俺が手に持ったボールを短い距離から投げる。
きちんと胸元に飛び初瀬さんのグラブに飛び込んだ。
「ナイスキャッチ」
そう声をかけると初瀬さんが小さく俺に頭を下げてボールを投げ返してくる。
少しだけ逸れてしまっていたものの初めてにしてはいい送球だった。
そんな風にして少しずつ距離を伸ばしながらキャッチボールを行った。
いくつか基本的なアドバイスを送ることはあったものの、概ね問題なくキャッチボールを終えることが出来た。
続いてノックを行う。
樋浦さんにノッカーを務めてもらい俺は返球を受ける役をすることにする。
次々とゴロを打ち込んでもらい、それを捕球した人が俺に返球する、その繰り返しだ。
一番安定していたのは意外にも羽倉さんだった。
ポジションはレフトという風に聞いていたのでゴロ処理はどうかと思ったのだが基本が出来ており、動作の一つ一つに安定感が感じられて内野手としても十分通用する守備だと感じた。
二番目は氷室さん。
鋭いゴロを捌いてみせたり送球も早いのだが安定感に欠けて平凡なゴロを掴み損ねる場面がいくつかあった。
そして初瀬さんは三番目。
腰をしっかりと落とせており、そのゴロ捌きは初めてだとは思えない内容だった。
これは内野手が向いているかもしれないな、空いているセカンドのポジションを考えながらそう思う。
最下位は詩織。
ずっとピッチャー一筋でやってきているのだからある程度は仕方ないのだが、そのフィールディングはお世辞にもうまいとは言えなかった。
そんな風にノックをこなす俺たちを見つめる人影があるのに気づいたのは、ノックを始めてしばらくしたときだった。
しかしその相手は俺が存在に気づき視線をやると立ち去ってしまった。
入部希望者が見学していたのだろうか、気になるが今は練習に集中することにする。
その後もノックを繰り返し、そろそろ十分かと思われたタイミングで俺が声を上げる。
「ちょっと早いけどまだ初日だし、今日はここまでにしようか」
未経験者の初瀬さんがいることも考慮して早めに切り上げることにする。
今日は守備練習に留めておき打撃関係の練習は明日以降だ。
「お手伝いしましょうか?」
マネージャーとして練習後の荒れたグラウンドを整備していると初瀬さんにそう声をかけられた。
「いやいや、こういうことはマネージャーに任せてくれればいいんだよ……それでどうだった初日の練習は?」
「皆さんの足を引っ張らないように必死でしたけど、自分で思ってたよりも動けて楽しかったです」
「それはよかった、俺から見ても初めてとは思えないぐらい良かったと思うよ」
せっかく入部を決めてくれたんだから、まずは初瀬さんが楽しんでくれるのが一番大切なことだ。
「安島さん、私少しでも皆さんに追いつけるように必死で頑張ります、いっぱいご迷惑かけると思いますけど明日以降もよろしくお願いします」
初瀬さんに頭を下げられる。
「おいおい大げさだな、頭を上げてくれよ、俺に出来る事だったらなんだって手伝うから一緒に頑張ろう」
そう言うと初瀬さんが嬉しそうに笑ってくれた。
その笑顔に応えたいと気の引き締まる思いだった。
野球を始めたばかりの頃のただ純粋に上手くなりたいと思っていた日々を思い出す。
その気持ちを大切にして欲しいとそう思った。