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地区予選 一回戦 VS 天帝高校 試合後

 試合が終わり、負傷した愛里を搬送するために俺はタクシーを探していた。

 患部に負担がかかるといけないので、着替えはせずそのまま愛里を連れ出してきた。

 ユニフォーム姿は目立つが緊急事態だ、この場合はやむを得ないだろう。

 球場前の交通量の多い道路に出て、そこで愛里を支えながら片手で携帯を取り出す。

 連絡先は以前俺が右肩を痛めた時に診察してもらった主治医で女性の先生だ。


「以前仲林先生にお世話になった安島と申します、先生にお取り次ぎ願えますか?」

 受付の人の少々お待ちください、という言葉と共に一旦通話が保留される。

 その後少しして、すぐに通話が再開された。

「お電話代わりました、仲林です。安島さんお久しぶりですね」

「仲林先生、お忙しいところ申し訳ありません」

「いえ、ちょうど手が空いていたところですから。今日はどうなさいましたか?」

「僕の妹が先ほど野球の試合で右鎖骨を骨折したんです。これから診察していただきたいのですが大丈夫ですか?」

「妹さんが……分かりました、こちらは大丈夫です。到着をお待ちしてます」

「よろしくお願いします、先生に診ていただけるなら僕としても安心できます」

 仲林先生の腕は確かだ、スポーツ選手からの評判も良い病院で信頼のおける相手。

 その先生に見てもらえるということで一つ安心した。

 通話を終えて、道路に向き直りタクシーを待つ。

 傘を買わなければと考えていたのだが、試合終了後間もなく雨は上がった。

 もう少し早く止んでくれていればと恨み事を言いたくなってしまう。

 真由や詩織など他のメンバーも愛里を心配していたが同行させればキリがない。

 なるべく早く寮に戻ると約束して、病院へは俺と愛里の二人で向かうことにした。


「修平さん!」

 背中から声をかけられ振り向く、佳矢が俺たちに向かって駆け寄ってくる所だった。

 よほど慌てていたのか激しく息を切らしている。

「今から愛里さんを連れて病院に行くんですよね? 私も同行させて下さい」

「分かった、今タクシーを拾うから」

 負傷の原因となったクロスプレーの当事者ということで責任を感じているのだろう。

 手を上げて通りかかったタクシーを止め、後ろの席に三人並んで乗り込む。

 愛里の身体を支えながら乗り込ませる、その瞬間愛里の表情が僅かに歪んだ。

「右肩が痛むか?」

「……ん、少しだけだから」

 そう殊勝に愛里は話すも、辛そうな様子は隠し切れない。

 それを敏感に感じ取ったのか、佳矢が申し訳無さそうな表情を見せる。


「仲林整形外科病院までお願いします」

 全員が乗り込んだのを確認してから俺は運転手にそう告げた。

 それなりに大きい病院ということもあり、スムーズに場所の伝達が済んだ。

「ごめんなさい愛里ちゃん、私のせいで……」

 車が走りだしてから佳矢がそう愛里に謝罪するも、それに対して愛里は首を振った。

「……ブロックするって決めたのは私、江守さんもあの状況じゃ回りこむ余裕は無かったから正面から体当たりするしかなかった。だから江守さんは悪くない」

 そう言って貰えたからといって、そうですかと簡単に割り切れる話でもない。

 佳矢は先ほどからずっと気まずそうだ、どうすればいいのか分からないのだろう。

「でも、そんな大ケガをさせちゃったのは事実だよ。私のことを恨んでないの?」

「……強いて言うなら自分に怒りを覚えるよ。キャッチャーは頑丈じゃないといけないってよく分かってたのに、あのぐらいでケガをしてるようじゃチームに迷惑」

 キャッチャーはチームの司令塔であり、確かに責任の重い立場である。

 それでも愛里にはあまりそれを背負い込んでほしくなかった。

 このままでは愛里が潰れてしまうのではないか、そういう恐怖心があった。

「あのケガは仕方なかったんだよ愛里、自分を責めないで欲しい」

「……ううん、私が未熟だったからだよ。そのせいで成宮さんにも辛い思いをさせてしまって試合も壊してしまった、本当に自分が情けなくて嫌になる」

「愛里はまだ一年生なんだ、それでいきなり正捕手をやってる事自体がすごいことだ」

「……一度マスクを被った以上、学年とかそういうことは関係ないよ」

 そう自分を責め続ける愛里の頭を優しく撫でた、柔らかい感触が心地よい。

「とりあえずそのことは保留しよう、今はケガを治すことだけ考えるべきだ」


 ちょうど病院に到着した、運転手に礼を言って支払いを済ませてから車を降りる。

 愛里を支えながらゆっくり病院の中へ、すぐに診察室に呼ばれる。

「佳矢はここで待っててくれ」

「わかりました」

 佳矢を待合室において、愛里と二人で診察室へ入る。

「仲林先生、お久しぶりです。こちらが僕の妹の愛里です」

「よろしくお願いします」

 愛里が頭を下げる、この二人は初対面だ。

「この度は大変でしたね愛里さん、右鎖骨骨折ということですが……」

「……はい、ホームでのクロスプレーの時に交錯して」

「それじゃ、診せてもらいますね」

 そう言って先生が愛里のユニフォームの上半身を開けさせる。

 可愛らしいスポーツブラが顔を覗かせた、見てはいけないと全力で視線をそらす。

 もっとシンプルな白一色のようなものあれば見ても平気だったかもしれない。

 しかしそのデザインは想像以上に扇情的で思わず反応しそうになってしまった。


「あー、すみません先生、僕は終わるまで待合室で待ってますね」

「そうですか? それでは終わり次第呼ばせて頂きます」

「……兄妹なんだから意識する方が変だよ、私はお兄ちゃんになら見られてもいいよ」

 退室理由を口にしたわけではないのだが、どうやら愛里には見抜かれていたようだ。

「馬鹿なこと言うな、それでは失礼します」

 動揺を悟られないように平静を装い、愛里をそう窘めてから診察室を後にする。

 同じ女である先生はともかく、男の俺が愛里のそう言う姿を見るのはマズイ。

 いくら兄妹とはいえ一歳違いの男女であるのは事実なのだ。

 同時に、愛里が大変な状況なのにそう意識してしまう自分が情けなくもあった。


 診察室から出てきた俺を見てすぐに佳矢が声を掛けてきた。

「どうでした?」

「まだ診察が始まったばっかりだよ、ちょっと俺は終わるまで席を外すことにした」

 妹の下着姿に発情しそうになったと正直に説明するのも恥ずかしく適当に誤魔化す。

 待合室の椅子に座る佳矢の横に腰を下ろす、佳矢は俺の言葉を聞いてため息をつく。

「愛里さんの症状が気になって……少しでも軽傷で済んでくれればいいんですけど」

 そう言って佳矢は唇を噛み締める、何も出来ない自分を歯痒く感じているだろうか。

「愛里も佳矢のせいじゃないって言ってたじゃないか、そんなに気にしないでくれよ」

「でも、これで愛里ちゃんが完治しなかったりしたら……どう責任をとればいいのか」

 佳矢が震えている、不安で不安で仕方がない様子だ。

「仲林先生は俺もお世話になった先生だ、腕もいいしきっとなんとかしてくれるよ」

 佳矢は自分のプレーで相手がケガをしたという事実が相当ショックだったのだろう。

 だからこんな言葉で気を楽にしてやることは出来ないということは分かっていた。

 それでも、何か言葉をかけずにはいられないと思わされる程佳矢は落ち込んでいる。

 しばらくして、診察室に呼ばれて再びそのドアを開ける。


「お待たせしました、愛里さんの症状ですが……確かに右鎖骨を骨折しています」

 先ほど撮影したと思われるレントゲンの写真を貼り付けて、説明してくれる。

「しかし、幸いながら単純骨折でしたので手術をせず保存療法での完治が見込めます」

「そうですか、良かった……」

 鎖骨骨折は酷いと手術しないといけない場合もあるというのは聞いたことがあった。

 重症ならばメスを入れるのも止むを得ないが、出来ればそれは避けたかった。

「折れ方も酷いものではなく、予後も良さそうです。後遺症の心配も無いでしょう」

「比較的軽傷で済んだ、とそういうことでしょうか?」

「そうですね、愛里さんの場合はまだ若いし全治までは二ヶ月ほどでしょうか」

 二ヶ月、鎖骨骨折という症状を考えれば短い部類に入るのかもしれない。

「とりあえずギブスで固定して様子を見ましょう、それと鎮痛剤を出しますから」

「ありがとうございます」


 愛里を連れて診察室を出ると、再び佳矢が駆け寄ってくる。

「思ったより軽傷だったよ、手術の必要もなさそうだし後遺症の心配も無いそうだ」

「よかった……愛里さん、本当にごめんなさい」

 佳矢がポロポロと涙を流す様子を見て愛里が困惑している。

「……泣かないで、泣かれるとこっちが悪いことしてる気分になるよ」

「ごめんなさい、でも安心して……重症じゃなくてよかった……」

 愛里が佳矢を慰めるのを見ながら会計を済ませ、病院を後にした。


 出来るだけ愛里に負担を掛けないように、帰りもタクシーを使うことにした。

 それを待ってる時も、佳矢はまだ愛里に対して負い目を感じているようだった。

 愛里もそれを感じていたのか、重い空気を打破しようと口を開いた。

「……江守さんは色々考え過ぎだよ、お兄ちゃんなんかケガの治療を受けてる私の下着姿を見て興奮するぐらいの余裕があったのに」

「え?」

「あ、愛里? 変なことを言うのはやめような?」

 佳矢に誤解されると困る、そう思い口を挟むも愛里は構わず話し続ける。

「……お兄ちゃんは私の下着姿を見て顔真っ赤にしながら診察室を飛び出したからね、

まさかお兄ちゃんが私のこと女の子と意識してるなんて知らなかったな」


 愛里なりのジョークだ、思い悩む佳矢の気を楽にさせようとしてるのは分かる。

 しかし佳矢はこういうジョークが通じるタイプではない、背筋が寒くなる。

「修平さん? 愛里さんが大変な時にエッチなことを考えてたんですか?」

「いやいや、愛里はただの妹だからな? 女として意識してるとかあるわけないだろ」

 白々しいぐらい強くそう否定するも佳矢は軽蔑の視線で俺を見ている。

「動揺しすぎで怪しいですし、全く信用出来ないです」

「……兄妹だからずっと安心だと思ってたのに、いきなり押し倒されたらどうしよう」

 そう言ってわざとらしく泣きまねをする愛里、そこまで言われたら反撃したくなる。

「愛里みたいなのには興味ないって、俺の好みはもっとスタイルがいい娘だからな」

 心にもないことだが、こういっておけばこの場はごまかせるだろうという浅知恵。

 それを聞いた佳矢が反射的に自分の身体を両腕で覆い隠すようにする。

 子供っぽい体形の愛里とは対照的に佳矢はスタイルが良い。

 それを意識して発言したわけではないのだが、そう勘違いされてもおかしくない。

「……修平さんのエッチ」

「勘違いするなって、佳矢のことを言ったわけじゃないよ」

 慌ててそう弁明すると、佳矢は不満気な表情を見せる。

「そういう風に否定されると、それはそれで腹立たしいですね……」

 どっちに転んでもダメじゃないか、この問題はあまりに理不尽すぎる。

「……お兄ちゃんは私みたいなお子様体形には興味ないんだ、その言葉忘れないでね」

 少し憮然とした様子で愛里がそう小さく呟いた。

 その言葉の意味が少し気に掛かったけど、ちょうどタクシーが来てうやむやになる。

 佳矢を天帝高校まで送り届けてから、愛里と共に桜京高校の寮に戻った。

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