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地区予選 一回戦 VS 天帝高校③

 東堂さんを併殺に打ちとった勢いでいい流れを持って来れれば。

 そんな淡い願いは宍戸さんの前にあっさりと打ち砕かれた。

 五番の小賀坂さんから始まる攻撃だったが見所なく三者凡退に終わる。

 五回を終えてヒット一本とは寂しいが、同時にそれも仕方ないかと思ってしまう。

 宍戸さんの調子が思った以上にいい、攻略の糸口すらつかめていない状態だ。


 守りの方がここまでほぼ完璧に展開しているのが幸いだった。

 五回裏の天帝高校の攻撃は五番からだったが詩織が三人で退ける。

 しかしあっさりとは終わらなかった、多少粘られてこの回の球数は嵩んでしまう。

 二巡目に入って多少詩織の球に慣れてきたというのもあるのか、対応されつつある。

 さすが天帝高校の選手あって詩織でもポンポンアウトに取れるほど甘くはない。

 それでも詩織のピッチングは非常に安定感があり安心して見ていられる。

 この調子ならば展開次第では七回も投げられるかもしれない。

 そんな皮算用をしつつ、攻撃の展開を考える。


 六回表の攻撃は八番の詩織から始まる、下位からの攻撃では期待できないか。

 詩織が三振に倒れて九番の初瀬さんが打席に入る。

 ランナーのいる場面なら得意のバントをさせてやれるのだが、その展開にならない。

 ヒッティングで初瀬さんが結果を残すのは難しい、ずっとそう考えていた。

 初球のカウントを取りに来た外角へのストレートを初瀬さんが叩いた。

 打球は一・二塁間に飛ぶ、勢いはなかったが飛んだコースがよかった。

 ライト前へと抜けていく、チーム二本目のヒットが意外なところから飛び出した。


 今になって考えればだが、その兆候がなかったわけではない。

 宍戸さんは前打席初瀬さんに対して内を攻めた結果、死球を与えそうになっている。

 シュートピッチャーの内攻めは死球がある、そのリスクを避けたかったのだろう。

 もちろん右打ちの強打者と対戦して抑えるためにはそのリスクは必要だ。

 持ち味のシュートを活かすためには内攻めが必須条件であるのは間違いない。

 しかし初瀬さんは九番打者、そして前の打席も外のボールであっさり三振している。

 それを見て内攻めのリスクを負わずとも抑えられる、そう判断して外へと配球した。

 初瀬さんはそれを敏感に感じ取り、外一本に絞り勝負しにいったのだ。


 正直、初瀬さんにそこまで深い読みが出来るとは思っていなかった。

 最初、野球に関しては全く素人でルールすらおぼつかない状態だったのだ。

 その状態で一からスタートして、まだ一年と少ししか経っていない。

 うちの高校をトップで合格しただけあって、頭の回転が早いのかもしれない。

 いずれにしても俺の想定を遥かに超える成長を見せられたのは事実だ。

 期待できないと決めつけていたことに頭を下げなくてはいけないなと反省する。

 貴重なヒットで一死一塁、打席には一番の千隼。

 塁に出たら併殺回避のためにバントで送るのを基本とする、確かにその様に決めた。

 しかしこの場面は強攻策を選択する方が良いと俺はそう感じていた。

 千隼のバントはまだまだ安心して任せられるレベルには到達していない。

 それにその足の速さを考えれば併殺の可能性はかなり低いはずだ。


 結果的には、その判断が吉と出た。

 アウトローのシュートに食らいついてバットに当てると、打球はサードの前に。

 東堂さんが素早く反応して処理する、二塁は無理な当たりですぐに一塁に投げる。

 それでも俊足の千隼はアウトにできず内野安打となった、千隼らしいヒットだ。

 一死一・二塁とランナーが溜まった、初めてのチャンス。

 ここでバッターは二番の愛里に回る、宍戸さん攻略の鍵である左打者だ。

 打てばまだ併殺があり得る状態、送りバントの選択も少し考えたがすぐに却下する。


 仮にここで送れば二死二・三塁と一塁が空いた状態で三番の彩音に回る。

 彩音はここまでいい内容を残しているだけに一塁が空けば歩かされる可能性がある。

 四番の樋浦さんの方が組し易しと見て、そこで勝負と判断してもおかしくない。

 俺も彩音の方がヒットの可能性が高いと考えている、それだけにここは送れない。

 結局、愛里にも強行策を指示する。


 外に三球見せてワンボールツーストライクからの四球目、インコースを攻めてきた。

 これまであまり投げてこなかったスライダーが愛里の胸元に食い込む。

 追い込まれていた愛里が打ちに行くものの対応しきれずに打ち上げてしまった。

 セカンドフライでランナー進塁できず、二死一・二塁と変わる。

 藤高さんがショートにいることを考えて外角中心、そう愛里も考えていただろうか。

 その裏をかかれて内角で打ち取られてしまった形、してやられたといった感じだ。

 レフト方向に打たせたい場面、大きなピンチで内を攻めるその度胸はさすがである。

 いずれにせよ送れない場面だったのだから、併殺にならなかっただけまだ良かった。


 しかしまだチャンスは続く、三番の彩音はチーム最高の打者だと俺は評価している。

 その彩音にこの場面で打席が回るあたり、まだこちらに流れはあるのではないか。

 彩音が左打席に入る、いつもよりゆっくり時間をかけて足場を慣らしてから構える。

 初球はアウトコースのストレート、僅かに外れるボール球を彩音が見極める。

 今度は一転してインコースにストレートだがこれも外れた、その選球眼はさすがだ。

 ボールが先行した、このままでは四球も十分にありえるカウントだ。

 ここで彩音に決めて貰いたいが、ストライクを投じてくれるかどうかも分からない。

 いくら彩音が好打者とはいえど歩かされてしまえばどうしようもない。

 勝負を避けると明確に決断して大きく外されればそれでおしまいだ。


 スリーボールになればほぼ確実に勝負はしてこないだろう、次の一球が勝負だ。

 その大事な三球目は外角に投じられたシュート、これも際どいが外れている。

 彩音もそれは分かっていただろう、しかし見逃さずに強引にスイングしにいった。

 打球は快音を残し三遊間へと飛んだ、強引に打った割にはヒット性の当たりだ。

 そして飛んだコースも悪くない、普通なら確実に抜けるといってもいいぐらいだ。

 しかし三遊間は藤高さんの守備範囲だ、素早く打球に反応して走っていく。

 手を伸ばしただけでは追いつけないコースだ、球足が早く間に合いそうにない。

 藤高さんが横っ飛びで打球に飛び込むが、強烈な当たりはグラブの先端を弾いた。

 グラブで弾かれて勢いが死んだ打球はそのままレフトの前へと転々と転がっていく。

 初瀬さんが三塁を蹴った、ようやく打球に追いついたレフトが素早くバックホーム。

 しかし間に合わない、初瀬さんがノースライディングでホームベースを踏んだ。


 ついに均衡が破れた、六回表に彩音のショート強襲のタイムリーヒットで一点先制。

 皮肉にも藤高さんの高い守備力が裏目に出た形となった。

 普通のショートなら打球に触れることも出来ずにレフト前へと抜けていったはずだ。

 そして普通に抜けていれば恐らくあの打球速度では初瀬さんは帰れなかった。

 結果的には藤高さんが打球に触れて勢いを殺したがために生還を許してしまった。

 当然責められる事ではない、どちらに転んでもおかしくない紙一重のプレーだった。

 しかしそれが天国と地獄を分けるのだから、野球というものは本当に恐ろしい。


 藤高さんより、どちらかと言えば今のはバッテリーのミスと言えるかもしれない。

 好打者の彩音に対しカウントを悪くしてしまい、勝負か歩かせるか決断を迫られた。

 厳しいコースを付きカウント次第では四球でも良いという折衷案を選んだのだろう。

 それで彩音を打ち取れるかもしれない、その考え自体が彩音を過小評価している。

 打者有利のカウントなのだから打者の彩音からすれば思い切り山を張れる場面だ。

 仮に読みを外してもカウントに余裕があるのだから見逃してしまえばいいだけだ。

 そして読みが的中した場合、彩音レベルの打者はボールに近い球もヒットに出来る。

 本当に彩音を警戒しているのであれば、大きく外し確実に歩かせるべきだったのだ。

 中途半端な決断が致命傷に繋がった、これは必然と言えるだろう。


 こうして口で言うのは簡単だが、それを実行するのは難しい。

 打者有利のカウントからでも凡退を恐れず思い切ってスイング出来る彩音も見事だ。

 自分の技術に絶対の自信があるからこそ出来る事だろう、強い精神力が感じられる。

 もっとも、今までの彩音の成績やその能力を考えればこのぐらいは期待できる。

 彩音はそれだけの打者なのだ、それを相手バッテリーは見誤った。


 貴重な一点取った上で二死一・三塁とまだチャンスは続く、ここで四番の樋浦さん。

 右打者である樋浦さんの胸元に食い込むシュートを腕をたたみながら上手く叩いた。

 技ありの一打が再び三遊間を襲う、先ほどと似た鋭い打球だ。

 それに対して藤高さんが迷いなく飛びついた、今度はしっかり捕球して一塁へ送球。

 正確な送球でアウトを取る、汚名返上のファインプレーで追加点を防いだ。


 そのワンプレーに俺はまた藤高さんの凄さを改めて感じていた。

 普通の選手は果敢に挑んだ結果ミスしてしまった場合、どうしても萎縮してしまう。

 ミスを恐れる心が出るのは当然だし、最悪の場合イップスなってしまうこともある。

 その恐れがチャンレンジする心を縛る、足取りを重くする、それが自然な反応だ。

 しかし藤高さんはその直後のプレーで同じような打球に迷いなくチャレンジした。

 あの程度で自分の守備への自信は揺るがない、そういうことなのだろう。

 まさに守備職人だ、敵チームの選手ながら拍手を送りたくなるワンプレーだった。


 追加点こそ取れなかったが、俺たちは貴重な貴重な先制点を手にした。

 六回表を終えて一対〇の一点リード、このまま逃げ切りたいところだ。

 六回裏の守備に向かおうとベンチを出たその時、空から雫が落ちてきた。

 天気予報は雨ではなかったが、どうやら外れたらしい。

 あまり酷く降らなければいいのだが、そう思いつつ守備へと思考を移す。

 今回の天帝高校の攻撃は八番から始まる下位打線。

 点を取った直後の守りが大切とはよく言われる言葉である。

 詩織はそれに対し三者凡退の満点回答を出した、下位相手に危なげない内容だ。

 これで詩織は当初予定していた六回を無失点で最高の仕事をしてくれた。


 七回表のこちらの攻撃は五番から、しかし俺は継投のことで頭がいっぱいだった。

 ここで詩織を引っ張るか、交代させるかで試合の展開は大きく変わるだろう。

 元々、詩織はあまり早い段階では勝負するタイプのピッチャーではない。

 ボール球を限界まで使い、丁寧に丁寧に一人ずつアウトにしていく形になりがちだ。

 無失点の快投という内容の割に球数が思ったより嵩んでいるのも仕方がない。

 特に打者二回り目になってからそれが顕著だ、打者が少しずつ粘りを見せている。

 詩織のボールに目が慣れてきた頃、そういうことなのだろう。

 それに強打者相手に神経を削っている負担もある、それを考えれば交代だろうか。

 悩んでいるうちに、こちらの攻撃は三人で終わりを告げて決断の時が来ていた。

 雨足は先ほどより少し強くなってきただろうか、天気予報も当てにならない。


 それを視界に捉えながら、俺は最終的に折衷案を選択した。

 その内容は真由を登板させると同時に、野手として詩織を試合に残すという判断だ。

 ショートの真由をピッチャーに、ピッチャーの詩織がライトに、ライトの羽倉さんをショートに回した。

 高校野球では珍しい采配ではない、しかしそれは野手能力の高い投手の場合だ。

 詩織の場合は野手能力は非常に低いためそのケースとは異なる。

 打撃でも守備でも詩織を野手として残すことは明らかにマイナスだ。

 それを考えれば代えるならスパッと代えるべきだったのかもという気持ちもある。

 先ほど、天帝高校側が折衷案を選択した痛い目にあったのを見たばかりだ。

 それにも関わらず俺は同じような道を歩んでいる、傍目には不合理かもしれない。


 しかしながら、もちろん全くメリットがないわけではない。

 真由がピンチを迎えた場合に再び詩織をマウンドに戻せるという逃げ道は残した。

 後ろ向きな考えだが、リスクに備えるという意味ではこの作戦のメリットである。

 それに、なぜだか俺には先ほどからこの雨が気になって仕方がないのだ。

 その理由は自分でもよく分からなかったが、何か嫌な予感を感じている。

 とにかく俺は良く言えば受けの広い、悪く言えば中途半端な折衷案を選んだ。


 試合は終盤に入る、あと三回抑えきれば逃げ切りで勝利を手にすることが出来る。

 この策が吉と出るか凶と出るか、その答えは一時間もしないうちに示されるだろう。

 これで良かったのだろうか? そんな迷いを振り払う、既に賽は投げられたのだ。

 降りしきる雨を眺めながら、俺は真由の投球練習を見守ることしか出来なかった。

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