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理想の自分

 当日、天帝高校に出向くと佳矢が俺を出迎えてくれる。

「私も練習に参加してきますから、自由に見ててください」

 そう言って佳矢も練習に戻る、お言葉に甘えてゆっくり見させてもらおう。

 ちょうど守備練習が始めるところだが、一つおかしな点に気づく。

 真由の妹の奈央ちゃんがセカンドを守っている、本来はショートのはずだが。

 その疑問は代わりに入ったショートの選手の守備を見て解消された。


 とにかく完璧なのだ、広い守備範囲に安定したスローイング、難しい打球も難なく処理するし肩もかなり強い部類に入るように見える。

 奈央ちゃんも守備は上手い方だったが、さすがにこのレベルには到達していない。

 その選手はそれだけに留まらず守備位置を変え、次々と内野の各ポジションを守る。

 最後は外野守備もこなしてみせた、その全てが非常に高い水準でまとまっている。

 守備なら間違いなく右に出るものはいないだろう、そう断言出来るレベルだった。


 守備練習が終わり、その合間に一人の選手が俺に向かって歩いてくる。

 その顔には見覚えがあった、四番打者の東堂さんだ。

 あれだけ華やかな活躍を見せられたら忘れられるはずもない。

「あなた、どこの高校?」

「俺は……」

 それに答えようと口を開こうとしたタイミングで、東堂さんが俺に詰め寄るのを見たのか宍戸さんが慌てて駆け寄ってくる。


「東堂さん、この人は私の知り合いだよ」

 その言葉を聞き、東堂さんが宍戸さんの方を振り向いてから一つ大きくため息をつく。

「噂で聞いたことがあるけど、女子野球で男の関係者がいるのは桜京高校だけのはず。一回戦の相手を通すなんてどうかしてるわ」

 どうやら俺の存在は既にバレているらしい、宍戸さんなりに誤魔化そうとしてくれたのかもしれないがそれは上手くいかなかった。

「うちの選手も向こうに通して貰ったからお互い様なんだよ」

 そう宍戸さんに説得されて、不本意そうにしながらも東堂さんが引き下がる。

「どちらにしろうちの勝ちは揺るがないから、無駄足よ」

 そう言い残して東堂さんが練習に戻っていった、次は打撃練習だ。

「ごめんね安島くん、東堂さんはちょっと気難しいところがあって」

「いや、あれが普通の反応だと思うよ。東堂さんとはあんまり交流がないのか?」

 想像していたよりずっと二人の会話が硬い雰囲気だったので、思わずそう尋ねてしまう。


「私の親と東堂さんの親がお互い商売敵であんまり友好な関係じゃないからね、東堂さんの方が私のことを敬遠してるんじゃないかな」

「その口ぶりだと、宍戸さん本人はそんなこと気にしてないのにって感じだな」

「それとこれとは別問題だからね、私としては東堂さんともっと仲良くなりたいけど……」

 お互いに選手としては実力がある分、打ち解けづらい面もあるのだろうか。

 特に東堂さんの実力は別次元みたいなものだから、尚更声をかけづらいのかもしれない。

「さっきのことは本当に気にしないでいいから、そのまま見てて」

 そう念押ししてから宍戸さんも戻っていった。


 東堂さんが打席に入るのを見て気持ちが高ぶる。

 俺はずっと東堂さんの打撃練習が気になってしょうがなかった。

 圧倒的な打力、もしかしたらそれに穴が見つけられるのではないかという淡い期待がある。

 ただそれ以上に、単純に彼女のその素晴らしい打撃を見ていたいという本音もあった。

 アベレージヒッターとしてのトップがうちの彩音なら、スラッガーとしてのトップは間違いなく東堂さんだ。

 この二人の打撃はやはり特別で、強く俺の心を震わせる。


 しかし結局のところ、東堂さんの打撃にただ見とれるだけの時間になってしまった。

 圧倒的な飛距離はもちろん、左右への打ち分けも上手く技術も兼ね備えている。

 大きな穴なんてない、強いて言えば多くのバッターが苦手とする外角低めがまだマシという当たり障りの無い結論。

 前にもこれにはたどり着いているので、進展はなかったことになる。

 それでも東堂さんの打撃を見られただけでどこか満ち足りた気持ちになってしまっていた。


 ちょうどそれが終わったので辺りを見渡すと、佳矢が短距離ダッシュの練習をしているのが目に飛び込んできた。

 短い距離を往復するダッシュ、その折り返しのときに佳矢の体勢が崩れた。

 そのまま足を止めて練習を抜ける、アクシデントがあったようだ。

 症状が気になり、思わず佳矢に駆け寄る。

「捻ったのか?」

「切り返しの時に少し、そんなに酷くないですけど」

 事態に気づいたらしい宍戸さんもやってくる。

「宍戸さん、佳矢を運ぶから保健室に案内してくれないか?」

「分かった」

「佳矢、おぶされ」

 俺は佳矢に背中を向けて腰を落とし構える。

「……ん、分かりました」

 そう言って佳矢が俺に身体を預ける、しっかり掴まったのを確認してから立ち上がる。

 宍戸さんについて保健室まで佳矢を送り届けてから、アイシングとテーピングで処置を施す。

「これで大丈夫だろ、しばらく安静にしとけよ」

 一旦使った道具を片付けてから戻る、あまり症状が重くなさそうなのが幸いだ。

 この程度の怪我なら大会までには十分間に合うだろう。


「安島くん、佳矢はこれで練習を早引けするから家まで送ってあげてくれないかな?」

「真紘先輩、それは修平さんに迷惑ですよ。せっかく練習見る機会でもあるのに……」

 佳矢はそう言うが俺は最初からそのつもりだった、この状態の佳矢を一人では帰せない。

「俺の方から申し出ようかと思ってたところだよ、責任もって俺が家まで送り届ける」

 俺がそう答えると宍戸さんは安心した様子を見せた、やはり佳矢のことが心配なのだろう。

 俺は再び佳矢をおぶって、天帝高校を後にした。



「ごめんなさい、せっかくの機会を潰しちゃって」

 佳矢はどこか気落ちした様子だ、そんなことは気にしなくても構わないのに。

「元々佳矢に貰った機会だし、それに十分色々見させてもらったよ」

 そのあと少し沈黙が流れてから、再び佳矢が口を開く。

「あの、私、重くないですか? それにちょっと汗かいてたし……」

 今までの佳矢とは少し違う感じだ、ケガで弱気の虫が顔を出したか。

「女一人で音を上げるほどヤワじゃない、佳矢は安心して俺に身体を預けてくれればいい」

 そう声をかけると、佳矢が俺に強くしがみついてくる。


 佳矢の柔らかい感触を意識しないと言えば嘘になるが、手負いで俺を信じて身体を寄せてくれている相手にそんな感情を持つのは不純すぎると必死に自分を抑える。

 佳矢の家はそんなに離れた場所ではなかった、思ったよりもずっと早く到着する。

 両手がふさがってるので佳矢にチャイムを押してもらうと、ドアが開いた。

 どうやら佳矢の母親らしい、自己紹介のために口を開こうとするも先手を取られた。

「もしかして、修平くんかしら?」

 初対面の相手に、突然名前を言い当てられるとは思わなかったので動揺する。

「は、はい、安島修平です。佳矢さんが足を痛めたので送らせてもらったんです」

「あらあらやっぱり、わざわざごめんなさいね」

「いえ、大したことではないですよ」

 そのまま家に通してもらい、佳矢をゆっくりと下ろしそのまま椅子に座らせる。


「修平さん……ありがとう」

 素直にそうお礼を言われると照れくさい。

「安静にして、早く治すんだぞ」

「どうぞ、普通のお茶で申し訳ないんだけど……」

「お気遣いありがとうございます」

 佳矢の母親に差し出されたお茶を口にして一息つく。

「ようやく修平くんと会うことが出来たわね、ずっとどんな相手か気になっていたの」

「僕のこと知ってたんですか?」

「ええ、それはもう……佳矢が、修平さん修平さんって何度も私に話すものだからねぇ」

「ちょっとお母さん! 修平さんの前で余計なこと言わないで!」

 佳矢の慌てようにこちらが驚きそうになる。

「なによ、本当の事じゃないの。修平くんがいい子そうで安心したわ」

「そう言って貰えると嬉しいです」

 それからしばらく雑談に興じるものの、時間があまりないことに気づく。


「すみません、そろそろ戻らないと」

「もうお帰りになるの? 食事でも思っていたんだけれど」

「そのお気持ちは嬉しいのですが、寮に戻って食事作りをしないといけないので」

 そう断りを入れてから玄関まで戻る、佳矢の母親がわざわざ見送りに来てくれた。

「修平くんにはお礼を言わないといけないわ、あなたと出会ってから佳矢は変わったもの」

「そんなのはただのきっかけにすぎないですよ、佳矢さんには元々力があったんです」

「それも修平くんが居てくれるからこそよ、これからも佳矢をよろしくお願いします」

 頭を下げられてしまうと、こちらが困る。

「いえそんな、こちらこそ佳矢さんにはお世話になってるぐらいですから」

 名残惜しさもあったが、佳矢の家を後にする。

 佳矢と出会った時のことを思い返すと、あの時の俺はあまりにも出来過ぎだった。

 その最高の瞬間だけを目にしている佳矢が俺に興味をもつのは自然なのかもしれない。

 それでもやはり、実際の俺はそれには及ばない存在でしかないと思う。

 失望されないように、その佳矢が理想とする俺に少しでも近づきたいな。

 そんな風に気持ちを新たにしながら帰路についた。

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