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偵察

 放課後、練習に向かおうとしたその時俺の携帯に着信が入る。

 名前が表示されていないということは未登録の番号だ、いったい誰だろうか。

 疑問に思いながらもとりあえず電話に出ることにする。

「もしもし」

「修平さん、私です」

 名前こそ名乗らなかったもののその声には聞き覚えがある。

「佳矢か?」

「……ふーん、この前まで私のことすっかり忘れてたんでどうかなと試してみましたけど意外と声は覚えてるんですね」

 その声はどこかそれを楽しんでるような響きを持っているように聞こえる。

「まだその事を根に持ってるのか、もう許してくれよ、今の俺はちゃんと佳矢のこと考えてるし声を聞いたらすぐ分かるのは当然のことだよ。それにしてもこの番号どうしたんだ?」

 佳矢にこの番号を教えた覚えはない、どうやってこの番号を知ったのかは疑問だった。

「真紘先輩に聞いたら快く教えてくれましたよ」

「宍戸さん経由か、まぁ別に隠し立てすることでもないしそれは構わないけど……それで、どういった用件だ?」

「今ちょうどそちらに向かってるところなんでよろしくお願いします、という連絡ですね」

「え?」

 こっちに向かってる? しばらくその言葉の意味が飲み込めない。


「まさか断ったりなんかしませんよね?」

「いや、でも一回戦の相手を招き入れるのは……」

 こちらの手の内は出来るだけ隠しておきたいというのが本音だ、ましてや佳矢はほぼ間違いなく天帝高校のレギュラー捕手として起用されるだろうことを考えると尚更だ。

 捕手特有の観察眼を持ってして分析されたらかなりのデータを持っていかれるかもしれない。

「私を煙たがる気持ちも分からなくはないですけどね、でもそんな扱いされたら修平さんに忘れられていたショックで傷ついた私の心は癒されないなー」

「それは……本当に悪いと思ってるけどさ」

 白々しい態度だが、痛いところを突いてきている。

 佳矢のことをすっかり忘れていたことに関しては俺もかなり罪悪感を感じている。


「ま、これは冗談ですけど……修平さんだって真紘先輩の誘いでうちの紅白戦を見てるんですし、私も一度ぐらい見せて貰ってもバチは当たらないと思いませんか?」

 言われてみればもっともである。

 以前に何人か天帝高校のメンバーがウチの練習を見に来た時があったが、その時佳矢はいなかったので佳矢にとってしてみれば初めてということになる。

「……少し、図々しかったですかね? 本当にご迷惑なら帰りますけど」

 俺に不愉快を思いをさせたのではないかと気遣っているのが伝わってくる。

 佳矢が悪い奴じゃないことはよく分かっている、そんな気を使わなくても大丈夫なのに。


「いや、そんなことないよ。佳矢の言う通りこっちだけ見せてもらうなんていうのはおかしな話だしな、到着したらすぐ迎えに行くよ」

「……そうですか、あと十五分もしないうちにつくと思います」

「分かった、待ってるよ」

 電話を切り、そのままの足で校門へと向かう。

 佳矢に対しては随分と不義理を働いてしまっている、十五分程度の時間待つのは当然だ。

 もちろんそれで償えるとは思っていないが、このぐらいはしないといけない。


 そうして校門で待っていると佳矢の姿が視界に入った。

 俺が待っているのを見た佳矢はどこか慌てたように駆け寄ってくる。

「あれからずっと待ってたんですか?」

 そう口にする佳矢はどこか気まずそうにしている、それが意外だった。

 毅然としてどこか余裕のある態度をとっていたのは彼女なりに無理をしていたのではないか?

 どちらかというと今の佳矢の方が本来の印象に近いような気がした。


「別に大した時間じゃないんだし気にしなくていいよ、グラウンドはこっちだ」

 佳矢をグラウンドに先導していく、既に練習は始まっている。

 うちのメンバーがチラチラとこちらを気にしているのがよく伝わってくる。

 以前に全国大会で天帝高校の試合をみんなで見た時にはまだ佳矢がいないときだったから、みんなからすれば面識のない子をいきなり俺が連れてきたように見えているはずだ。

「天帝高校の練習に比べたら大したもんでもないだろうけど、好きに見てくれて構わないから」

「それじゃあお言葉に甘えて、私にことにはお構いなくいつも通り練習してください」

 そう話を済ませてグラウンドに俺が入るとあっという間にみんなが群がってきた。

 佳矢が誰なのかを尋ねる声が当然上がるわけで、俺は正直に佳矢のことを説明した。


「一回戦の相手に決まった相手、しかも要のキャッチャーの選手をあっさり通すなんてお人好しというかなんというか……」

 真由が呆れたような目でこちらを見ている。

「みんなには話してなかったけど向こうは俺を天帝高校の紅白戦に招待してくれたことがあって、その他にも佳矢にはちょっと借りがあってな」

「佳矢、ねぇ……」

 真由はどこか不満そうだ、新球種フォークを隠しておきたいのに俺がぶしつけに佳矢を連れてきたのが気に入らないのだろう。

「随分と親しそうだけど、修平と江守さんはどういう関係なの?」

 真由に詰め寄られる、納得行くまで引き下がらないという雰囲気だ。


「話せば長くなるから……昔の知り合いって感じだよ」

「……ごちゃごちゃ言い訳してるけど、要するに江守さんを気に入ってる修平が色ボケしてあっさり連れてきたんじゃないかって私には思えちゃうな」

 軽蔑の目つき、なにやら誤解がすごい方向に向いてしまっている気がする。

「そんなんじゃないって」

 そう否定の言葉を口にしながら俺は自分の行動があまりにも軽率だったことに今更気がつく。

 今は大会前の大事な時期であることを考えればナイーブなっていて当然だ。

 そんな時に俺が最初の対戦相手の選手を連れて練習に現れるなんていうのは一種の背信行為ではないか。

 真由が疑心暗鬼に色々と誤解してしまうのも無理はない、俺の配慮が足りなかった。

 チームのことを本当に考えるのであれば、体面も俺個人の佳矢への負い目も考えずに断るべきだったのではないか。


「真由、俺が悪かった……軽率な行動だったと反省してる」

 耳元でそう謝罪すると、真由は小さくため息をつく。

「……別にそんなに怒ってるわけじゃないけど、来ちゃったものはしょうがないしフォークは隠して私は練習するよ、とりあえず走り込みでもしとく」

 真由からすれば新球種のフォークは心の拠り所だ、秘中の秘にしておきたい気持ちは分かる。

「分かった、すまないけどそういうことでなんとか乗り切ってくれ」


 真由が走り込みに向かうと、会話の終わりを待っていたのか愛里がすぐに声を掛けてきた。

「……お兄ちゃん、江守さんのこと詳しく知りたい」

 同じキャッチャーということでやはり気になるのだろうか、強い興味を示している。

「構わないよ、俺が知ってることならなんでも話そう」

「……私が知らないうちにいつの間に手、出してたの?」

「え?」

 最初の質問は斜め上に飛んでいった。

「……成宮さんとお兄ちゃんがバッテリー組んでたのは知ってるけど、江守さんのことは知らない。どこで知り合ってどう親しくなったの?」

 もっとこう野球選手としてどうなのか、という質問がくると思っていたのでこれは想定外だ。

「それは……話すと長くなるから今度ちゃんと話す」

 真由に問われた時と同じように俺がそう回答すると愛里は不機嫌そうに頬を膨らませる、誤魔化された気分なのだろう。


「……それじゃ次、江守さんはお兄ちゃんからみてどんなキャッチャー?」

「とにかく肩が強いし他の能力も悪くない、バッティングも一級品だし……すごく良い選手だ」

「……強肩ね、私がお兄ちゃんの期待に応えられなかった部分だ」

「それは……二人で何度も考えたけど、どうしようもないって結論が出たじゃないか」

 肩の強さというのは先天的な要素が大きく努力で伸ばすことが難しい面がある。

 愛里が必死で努力したのは知っているが、それでも愛里の肩は平均より少し強い程度で伸び悩んでしまった。

 その点は愛里の強いコンプレックスになっている、それを刺激してしまっただろうか。


「……そうだけど、私がそれで劣っているのは事実みたいだしね。それで、率直に言ってお兄ちゃんから見て私と江守さんはどっちが上だと思う?」

 あまりにも直球な質問だ、俺を見つめる愛里の視線はとても真剣で誤魔化すことは出来ない。

「キャッチング技術とか愛里の方が優れている点もあるけど……総合的に考えるなら佳矢の方が上、かな」

 正直にそう伝える、やはり捕手としてあの強肩は魅力的すぎる。

 愛里はショックを受けただろうか、傷ついただろうか、それでも嘘はつきたくなかった。

 チラと愛里が佳矢の方に視線をやった、その理由を疑問に思う間もなく愛里に抱きつかれた。


 愛里は以前から甘えたがりなところがあったが、こういう行動に出るのも久しぶりだ。

 そして俺からしても愛里は可愛い妹なわけで、それを拒むことなんて出来るはずもない。

 優しく頭を撫でてやると愛里が心地よさそうに目を細める。

「そっか……それじゃあ少しでもその差を埋めるためにいっぱい練習しなくちゃね」

「ああ、今日は久しぶりに愛里に付き合うよ」

 中学のころは自分の野球が出来ないこともありずっと愛里につきっきりだった。

 愛里の成長が自分のことのように嬉しくて、それが生きがいにさえなっていた。

 それが愛里がここに来てからは千隼や真由に構ってばかりで愛里のことを随分ほったらかしにしてしまったな、反省しなくてはいけない。

 久しぶりに兄妹水入らずで過ごす時間はとても心地よくて、気づけば今日の練習はあっという間に終わりを告げていた。


「全然相手出来なくて悪かったな」

 佳矢を校門まで送り届ける道のりで俺がそう謝罪を入れる。

「いつも通り練習して下さいって私が言ったんだから気にしなくていいですよ、で、今日つきっきりで指導してたキャッチャーの子はどんな感じなんですか?」

「愛里のことか、どんな感じっていうか……もうずっと一緒にいるからなぁ」

 俺がそう口にすると、佳矢の微笑みが引きつった。

「へぇ、ずっと一緒ですかぁ……名前呼びですし練習中もずっとベタベタしてましたし、さぞかし愛里さんのことがお気に入りなんですね」

 その口ぶりである誤解を招いていることにすぐに気づく、が少し悪戯心が芽生えた。


「そりゃあそうだよ、愛里と俺の仲じゃ知らないことなんて何にもないぐらいさ」

 すぐにその誤解を解かずにわざとらしく愛里を持ち上げてみる、ろくでもない発想だが佳矢がどんな反応をするのかが気になってしまっていた。

 そう思って佳矢を観察していると事態は思わぬ方向に転んだ。

「えっ、ちょ、ちょっと、佳矢?」

 佳矢の目尻にじんわりと涙が浮かぶ、それを誤魔化す様に俺から視線を外すもしっかりと見えてしまった。

「……私のこと忘れて、他にお気に入りのキャッチャーの子見つけてずっとその子に夢中だったんですか、それはそれは今更私の存在なんてお邪魔なだけですよね」

 そう言って俺を振り切り駆け出してしまう。


「ちょっと待ってくれ!」

 反射的に肩を掴みなんとか引き止めに成功したが、その手はあっさり振り払われる。

「触らないで下さい!」

「誤解だ、佳矢、聞いてくれ」

「何が誤解ですか!」

「愛里は俺の妹だ! だから仲がいいってだけだ!」

「へっ?」

 やっぱり気付いていなかった、それを分かっていて意地悪を言った俺も俺なのだが。


 しばらくしてようやく自分が先走った行動を取ったのだと理解すると同時に、俺が故意に愛里が妹だということを伏せてからかっていたことにも気づいたのだろう。

 顔を真っ赤にした佳矢が俺に手持ちのカバンを叩きつけた。

「痛っ、俺が悪かったって、ちょっとからかってみたくなってそれで……」

「修平さんの馬鹿! 知らない!」

 カバンで俺を数回殴打したあと今度こそ佳矢が走りだしてそのまま帰ってしまう。

 悪戯が過ぎた、全く今日の俺はミスばかりで本当にダメだ。

 対象が同じキャッチャーだし、佳矢が愛里にどことなく対抗心を燃やしているというのは気づいていた。

 それを分かった上でちょっと佳矢をいじめてみたくなってしまった、悪いことをしてしまったなと自分の行動を後悔する。

 あとで謝罪の電話を入れておこう、そう心に決めてから俺は寮へと引き返した。

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