懺悔
その後、俺は改めて転校をせずマネージャーとして桜京高校に残るとみんなの前で宣言した。
そしてみんなはそれを暖かく受け入れてくれた、ありがたい話である。
もうすぐ夏の大会が始まる、あとはそれに向けて練習をするだけだとそう思っていた。
樋浦さんに声をかけられたのはそんな矢先のことだった。
「安島くん、今日の練習後に時間を貰えませんか?」
「別に構わないけど……どうかした?」
その樋浦さんの声色はあまりにも真剣で、思わず身構えてしまう。
「大切な話ですから、詳しいことはその時に」
練習を終え、俺は樋浦さんと二人向かい合う。
「それで、どういった内容なのかな?」
「……甲子園に行けるかもしれない、そんな希望に満ち溢れた選択肢を捨ててまでここに残ってマネージャーを続けてくれることを安島くんは決心したんですね」
どうやらいきなり本題に入るわけではないらしい。
「まぁ、そうなるかな」
「その話を聞いた時、迷いませんでした?」
「正直に言うならその言葉に心動かされた。甲子園を目指したいという気持ちが無かったわけではないし、それを叶えたいならそれが最後のチャンスになるであろうこともわかってた」
「それなのに、すぐに決断出来たんですか?」
「ここでみんなと優勝を目指すってそう決めてたからな、それを成し遂げてもいないのに俺が投げ出すなんて不義理なことは出来ないよ」
「この野球部のことを真剣に考えてくれてるんですね」
「真由にはもう言ったことだけど、俺は自分のやりたいように選択しただけだ。そんな立派な心がけじゃないよ」
「私は立派だと思います……だからこそ私も誠実に打ち明けないといけないことがあります」
そう言ったあと樋浦さんは少し口を噤んだ、話しづらそうに視線を逸らす。
「安島くんは、私がここに来た経緯をどのぐらい知ってますか?」
「天帝高校からの推薦を断ってまで詩織の頼みに応じて桜京への入学を決めてくれたんだろう? そのことについてはずっと感謝しているよ」
そう口にすると樋浦さんが申し訳なさそうな表情を見せる。
「それは余りに私を過大評価しすぎてます、本当の私は卑怯者なんですから」
「どういう意味だ?」
俺にはどうして樋浦さんが自分をそんなに卑下するのかが分からなかった。
「推薦こそ貰いましたけど私の実力では天帝高校ではやっていけないだろうと自分でもそう思ってました、成宮さんからのお誘いを受けたのはそんな時のことです」
「成宮さんは野球部のなかった桜京でゼロからチームを作って天帝高校に対抗する、そんな話を私にしてくれました」
「それを聞いた私は絶対に無理だと思いました、いくら成宮さんが良い投手だとはいえどそんなやり方で天帝高校とやり合えるだけの野球部が出来るはずはないと」
「それなのに、うちに来ることを決めたのか?」
その俺の疑問に樋浦さんは首を振った。
「それだからこそ、ですよ。新規に設立した野球部で三年の間に天帝高校に勝つなんて無理な話、それならば私の実力不足が目立つこと無く野球をすることが出来る」
「私が欲しかったのは快適に過ごせるぬるま湯のような環境、それがここ桜京高校だとそう思ってました」
「そう、だったのか」
樋浦さんは詩織に賛同してうちに来てくれたのだとずっとそう考えていた。
しかし真実は違っていた、そのことに少なからず衝撃を受けた。
「けれども私の予想は外れようとしてます、今やチームはしっかりとした形を成していてみんなの能力も想像よりも遥かに高い」
「そして日々懸命に練習を重ねるその姿を見る度に私はどんどん罪悪感に苛まれて行きました、真剣に野球に向き合うみんなに顔向け出来ないとそうずっと考えて来ました」
「メンバーの数も多くないですし、ここに来て辞めるなんてことは言いません。けれども少なくとも私みたいな人間がキャプテンを務めているのは問題だと思います」
ようやく今回俺が呼ばれた用件が見えてきた。
「樋浦さんはキャプテンを辞めたいと思っている、ということか」
「はい、私はそれに相応しい人間ではないですから」
樋浦さんがそんな風に思い悩んでいるなんて思いもしなかった。
「話は分かった、でもそれを聞いた後でもまだ俺は樋浦さんに感謝している」
その俺の言葉を聞いて樋浦さんが目を見開いた。
「ちゃんと話を聞いてましたか? 私は自分の都合で成宮さんを利用したんですよ?」
「樋浦さんにとってはそうだったのかもしれない、でも詩織はそのおかげでここでチームを作る決心をすることが出来た。樋浦さんがいなければ今の俺達はなかったはずだ」
「……そんなの、私に都合が良すぎる言い訳でしか無いですよ」
「俺はそうは思わない、どんな理由でここを選んだにしろ樋浦さんの存在がこの野球部の礎になったことは事実なんだ」
「私のこと、慰めてくれてるんですか?」
「本気で言ってるんだけどな」
どうやら樋浦さんは素直に俺の言葉を受け入れてはくれないらしい。
「それに、俺は樋浦さんはキャプテンを降りるべきではないとも思っているよ」
「どうしてですか?」
「こういう風にずっと考えてきたのは樋浦さんの責任感が強いからだと思う、そういうところがキャプテンに向いてるんじゃないかなと思ってね」
「それにもしも本当に責任を感じているのであればキャプテンを続けてチームを導いて欲しい、それこそが責任を取る道であって辞めるのは逃げでしかないと俺は思う」
厳しい言葉になってしまったがこれが今の俺の考えだった。
以前に自らを四番から外すように樋浦さんが俺に進言したことを思い出す。
キャプテンを降りてもらい、四番も外し、プレッシャーのかからない下位打線で楽に打たせてあげればその高い打力を遺憾なく発揮して伸び伸びと活躍してくれるのかもしれない。
それでも俺は樋浦さんにはキャプテンと四番を務めて欲しいとそう思っている。
樋浦さん以上に適任な人材はいないというのが俺なりの結論だったからだ。
「無理に引き止めはしない、けれども俺は樋浦さんならキャプテンとして、そして四番として、チームを引っ張っていくことが出来るとそう信じてるから」
樋浦さんは先ほどから黙り込んでいる、しばらくしてようやく口を開いた。
「私はずっと事なかれ主義というか、何かに挑戦することを怖がってました。可能な限りリスクを追わず、少しでも安全な道へ進むことばかり考えてました」
「誰だって何かに挑戦するのは少なからず怖いものだ、恥ずかしがることじゃない」
「けれども成宮さんは逃げずに正面から立ち向かおうとしてます、私はそれと対照的な自分がどんどん嫌いになっていきました」
「だからこそ、もう逃げません。逃げてここにたどり着いた私ですけど、それによって天帝高校と正面からぶつかるチャンスを得ることが出来た。きっとこれも運命です」
どうやら樋浦さんも腹をくくったようだ。
「樋浦さんがその気になればなんだって出来るさ、それだけの能力が君にはある」
そう言った俺に対して樋浦さんが薄く笑った。
「さぁ、どうでしょうか……でも、前向きになれた自分のことは今までより信じてあげられそうです」
きっと樋浦さんには自信が足りなかったのだと思う。
中学時代に大活躍しても、その実績を認められて天帝高校に推薦を貰っても、どこか自分を信じられなかったのだろう。
チャンスでの弱さはそういったところから生まれていたのではないだろうか。
そうだとすれば、自分と向き合うことが出来た今となってはそれは解消されつつあるのかもしれない。
これが、大きなきっかけになるかもしれないな。
そんな風に思いながら俺は樋浦さんの変化を頼もしく感じていた。




