小谷高校 紅白戦①
「渡部監督の紹介でこの紅白戦に参加させていただく安島です、よろしくお願いします」
白組のメンバーの下へと向かい、一つ挨拶を入れた。
しかし誰も反応しない、俺を侮蔑している雰囲気が伝わってくる。
だがしかしそれも仕方ない、今まで積み重ねてきた仲間をベンチに置きながら第三者である俺が突然レギュラーで出場だなんて納得出来ないだろう。
他メンバーとの不和は解消できないまま試合が始まる。
先行は紅組なので白組の俺は守備からのスタートになる。
チームは順調にアウト二つを取り、続く打者もショートゴロ。
ショートからの送球に備えて構える、難しいゴロでもないし問題はないと予想していた。
しかしその送球が低く、さらに横に逸れている。
ショートバウンドだ、左足でベース踏みながら身体を伸ばしてボールを掬い上げる。
問題なくミットにボールが収まった、スリーアウトチェンジ。
鋭い送球だったから肩は良いのだろうが、余裕のある体勢から随分と危ない送球だ。
正確な送球が苦手なタイプなのかもしれない、そんな風に自分を納得させてベンチに戻る。
二回の守備、ワンナウトから二度目のショートへのゴロが飛ぶ。
その送球は再び逸れる、先ほどよりもさらに大きくベースから外れた方向へ。
ベースにしっかり足をつけながらこれを捕球するのは難しそうだ。
それにそれほど厳しいタイミングではないのだから確実に止めるべき。
そう判断した俺は素早くベースから足を外してボールを掴んでからベースを踏み直す。
問題なくアウト、だが守備の要のショートがこんな感じでは先が思いやられる。
二回裏、ここまでの打者五人は松尾くんの前に当然の様に全員が凡退して二死無走者だ。
そして六番の俺に打順が回ってくる、久しぶりにの実戦の打席に手に汗が滲む。
ましてやマウンドに立っているのは最速百四十五キロ右腕、プロのスカウトからも目をかけられているという松尾くん。
ブランク明けの身体にはあまりにも重すぎる相手だ。
初球、速球がストライクゾーンに放り込まれる。
噂通りの快速球、百四十ぐらいは出ていそうだ。
マシンではこのぐらいのスピードを打ってきたけど、生きた球はやっぱり違う。
そのあと二球もストレート、ボールの後にストライクが入って追い込まれる。
あれが来るか? あるボールを予想しながら打席で構えを取る。
その予想が的中する、ラストボールはストライクゾーンで変化する切れ味鋭いスライダー。
ここまでの打者もこのスライダーで次々と三振に取られている、厄介なボールだ。
結局、俺はこの打席一度もバットを振らないまま四球目を見送り三振に倒れた。
しかしこの打席でスライダーを見られたのは幸運だった、及第点と言っていいだろう。
「最初は様子見ってところかね?」
ベンチに戻ると渡部さんにそう声を掛けられる。
「まともにボールが見えてもいないのに闇雲にバットを振ったってしょうがないですから」
目がついていっていないボールをバットで捉えるなんて不可能だ。
横から見ているだけでは生きたボールの凄さは理解しきれない、実際に打席に立ってそれと対峙する必要があった。
この打席はそのために必要だったのだ、俺は今の三振を失敗だとは思っていない。
久しぶりに一流の投手の生きたボールを肌で感じて、俺は武者震いしていた。
回は流れて四回表の守備、二死三塁のピンチでショートへ打球が飛んだ。
三度目の守備機会となったそれをショートが処理して、俺に向かって送球する。
ハーフバウンド、一番処理するのが難しいバウンドだ。
今回はベースから足を外せるほどタイミングに余裕がない。
しかも一塁がセーフになれば点が入ってしまうから強引にアウトを取りに行くしかない。
打球の正面に身体を入れて全身でボールを止めに行く。
送球程度なら身体に当てようが大事にはならない、大切なのはボールを恐れないことだ。
強烈な打球が飛んでくるサード、場合によっては身体でボールを受け止めないといけないキャッチャーを経験したことで俺のボールに対する恐怖心は強いものではない。
難しいバウンドでも怯まずに止めにいけばいい、今の俺なら止められる。
自分を信じてミットを差し出した、最後までボールからは目を切らない。
確かな手応え、しっかりとボールを掴みとった。
なんとかアウトに出来たことに安堵する、もうちょっとで無駄に失点するところだった。
ベンチに戻った俺は、そのショートの隣へと座った。
こいつは俺と同じ白組の四番を打っている、確か岡本と呼ばれていた。
「岡本くんはいいのかよ、こんなお遊びしてて」
「何や、自分気づいてたん?」
涼しい顔でそう口にするショート、その態度は飄々としている。
関西圏のイントネーションだ、恐らく野球のために東京まで来たのだろう。
「他のプレーのレベルに比べて送球だけお粗末すぎる、それも二回目までならともかく三回連続であんな送球されたらさすがに気づくさ」
つまり、こいつは故意に悪送球を投げていたのだ。
「かなり捕りにくいとこに投げたつもりなんやけどな、なかなか頑張るやん安島くん」
「さっきの場面なんてランナー三塁だぞ? もし俺が逸らしてたら点が入ってた、そしたら岡本くんの評価にも傷が付くぞ」
屈指の好投手松尾くんを相手にしているのだ、失点は最小限に抑えないといけない。
「どうでもええやんこんな試合、松尾くんが打てるとしたら特待生の俺ぐらいやけどさすがにホームランは無理やから点なんて取れんし」
「たかが身内の紅白戦、ってことか?」
「せやね、スタメンやベンチ入り当落線上の奴さんたちには重要かもわからんけど、俺にとってはお遊びや。それに多少の怠慢程度で俺をレギュラーから外す余裕は今のウチにはないんよ」
随分と自分の実力に自信がありそうな口ぶりだ、特待生のエリートってことか。
ここまで松尾くん相手に対戦した打者の中では、凡退こそしたもののこの岡本くんの内容が一番良かったのは事実だったからあながち口だけでもないのだろう。
「まだこんなこと続けるのか?」
「いや、もうええよ。 安島くんの守備力はよう分かったし、多少意地悪な送球したって君は平然と捌いてしまうやろ」
どうやら守備の面ではそれなりにお眼鏡に適ったようだ。
「そりゃどうも、出来たら俺も打撃に集中したいんで普通にやってもらえると助かるよ」
それを聞いた岡本くんが堪え切れない、と言った様子でクスクスと笑う。
「何や君、松尾くんからヒット打つつもりなん? さっきは突っ立ってるだけやったけど」
「渡部監督に貰った打席だ、どうにかして結果を出したい」
「気持ちは分からんでもないけどそれで打てたら苦労は無いで……松尾くんの調子考えたら回ってきてあと二打席かもしれんで?」
「三回打席に立って一回打てれば一流のスポーツが野球だ、今は打てなくても一番大事な場面でヒットが打てればそれでいい」
「並大抵の打撃で松尾くんから三回に一回も打てるかいな……自分どこの高校や?」
「桜京高校だよ」
「桜京……? 聞いたこと無いな、最高でベストいくつや?」
岡本くんは恐らく俺が野球部に所属していると思っており、その成績を聞いているのだろう。
「うちの高校に男の野球部は無いよ、俺は女子野球のマネージャーをやってる」
「……はぁ? そんな経歴の安島くんがどうしてここに?」
「俺も渡部監督に呼ばれてきただけなんでね、それはなんとも言えない」
「甲子園行きが厳しい現実に瀕してなんとかそれを打破したいってことやろうけど、それにしたって格ってもんがあるわ……監督も焼きが回ったもんやね」
野球エリートである岡本くんから見れば俺の存在なんてゴミのようなものだろう。
「松尾くんを擁しても、岡本くんは甲子園行きは厳しいと思ってるのか?」
「残念ながらそう言わざるを得ないやろな、確かに松尾くんは全国でも通用するやろうけど野手がアカンわ、俺以外に全国レベルの選手は一人もおらんよ」
「俺が左の主軸として……せめてもう一人は全国レベルの野手が必要や、出来たら右のな」
ちょうどその時白組の三番打者が三振に倒れた、スリーアウトチェンジだ。
「ま、安島くんもぼちぼち頑張りや」
そう言って軽く俺の背中を叩くと岡本くんはショートの守備位置に向けて走っていく。
回は五回まで進んだ、試合はテンポ良く中盤へと突入していく。




