表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/119

特守

 変化球の精度を高めるためには何度も投げて感覚を掴むのが重要だ。

 この前の黒崎さんとの練習でコツを掴んだというのは間違いないらしい。

 初日に比べればバラつきが大きく抑えられ、一定の変化も期待出来るようになっていた。

 あとはどれだけ確実性を上げていけるかだ、フォークの失投は致命傷になりかねない。

 ゼロにすることは不可能でも失投は可能な限り減らさなければいけない。


「今日はここまでにしようか」

 俺からしても少し早いのではないかというぐらいのタイミングで練習を打ち切る。

「私はまだ全然投げられるよ」

 真由は俺の言葉に不満そうな顔を見せる、確かにまだ余力は残っているだろう。

 しかしフォークは身体への負担が高い球種でもある。

 少しでも早くモノにしたい気持ちも分かるが、焦って故障してからでは遅い。

「まだ時間はあるんだからあんまり無理すんなって」

「……修平がそう言うなら、分かった」


 まだ他のメンバーは練習中だ、一塁に入った小賀坂さんが樋浦さんのノックを受けている。

 一イニング二失策を記録してしまったことを考えれば改善ポイントなのは間違いない。

 しかし、その守備は相変わらず安定感を欠いていた。

 ファーストミットを右手にはめて、一塁ベース付近へと歩いて行く。

「小賀坂さん、ちょっといいかな?」

「……なんですか、安島先輩」

 返事だけはしてくれるものの、視線はこちらを見向きもしない。

 大事な練習中に俺の相手をしてる暇なんてないということか。

「ちょっと俺の守備を見てくれよ、参考になるところもあるかと思うし」


 そう言って多少強引に守備につく、手を上げてノッカーの樋浦さんに合図を送る。

 次々と打球が飛んでくるのをしっかりと処理してみせる。

「打球に対してグラブを直角に立てると捕球しやすい、あとはファーストの場合は一塁が近いんだからなんとか止めて正面にさえ落とせばどうにかなる」

「大切なのは焦らないことだ、他のポジションより余裕があるんだから一度打球を捕球し損ねても冷静に処理すれば大事に至らないことが多い」

 この前の試合では小賀坂さんが打球処理の際に焦ってボールを掴み損ねたことがあった。

 余裕を持ってプレーすることが出来ればああいったミスは減らせるはずだ。

 そしてノックは他のポジションへと移る。

 セカンドやショート、そしてサードに打球が飛んで一塁に送球が飛んでくる。

「低めのショートバウンドで投げてくれ!」

 内野を守るメンバーにそう声を掛けた、その要望通り難しい送球が飛んでくる。

 俺はファーストの守備経験が深いわけではない。

 しかし元々サードを守っていてゴロ処理には自信があり、ショートバウンドも得意だった。


 低めにそのショートバウンドの送球が飛んでくる、グラブを合わせて掬い上げる。

 送球はしっかりとミットに収まった、小さく安堵しノッカーの方にボールを返す。

 その後も左右に逸れるショートバウンドを黙々と処理していく。

 一通りノックを終えて、小賀坂さんの方を向き直る。

「少しは参考になったかな?」

「……ええ、まぁ」

 曖昧な返事で再びファーストの守備につく小賀坂さん。

 少なくとも現時点での小賀坂さんの守備よりは俺の守備の方が技術的には上のはずだ。

 とりあえずは一時的に俺を手本として守備の改善に役立てて貰えればいい。

 そう考えながら小賀坂さんがノックを受けるのを見守っていた。


 その夜、彩音の相手も終えて少し時間が出来た。

「素振りでもしてくるか」

 そう決めるとバットを片手に自室を出て、寮の裏手に向かう。

 そこに近づくとボールの音が聞こえてきた、どうやら先客がいたようだ。

「ミットを……直角に……」

 そう呟きながら壁当てを繰り返し、基本的なゴロの処理を繰り返す。

 俺の存在には気づいていないようで、頑なに練習をこなし続ける。

 しばらくそれを眺めているとようやく小賀坂さんの視線が俺を捉えた。


「……安島先輩、なんですか」

「俺も練習しようと思ってきたら、偶然な」

「お邪魔なら退きますけど」

「いやいや、俺のことは気にしないで続けてくれ」

 その言葉を受けて小賀坂さんが壁当てを再開する。

「こんな時間に練習とは随分と熱心だな」

「……これ以上樋浦先輩の足を引っ張るわけにはいかないですから」


 当初からそうだったが、小賀坂さんは樋浦さんに対して強い気持ちを抱いているようだ。

「そうか、樋浦さんはすごい選手だからな」

「ええ、そうです……私は樋浦先輩みたいになりたくて野球を続けているんです」

「尊敬できる相手が目標なのはいいことだ」

 それからしばらく会話が途切れ、ボールが壁に当たる音だけが響く。

 その沈黙を破ったのは小賀坂さんだった。

「安島先輩は、ファーストの守備経験が深いんですか?」

「いや、ケガ前はサードとキャッチャーしかやってなかった……でもその二つと共通する技術も多いからそこそこは出来るよ」

 それを聞いて小賀坂さんが小さくため息をついた。


「器用なんですね……私は不器用ですから羨ましいです」

「考え過ぎだよ、守備なんてやればいくらでも上手くなるさ」

「才能がないならその分努力するしかないってのは私も分かってます、けれども……」

 小賀坂さんの手が止まる、ボールが壁にぶつかる音が止み静寂が訪れる。

「時々思うんです、私じゃ努力しても皆さんには追いつけないんじゃないか、このまま続ければ足を引っ張ってしまうんじゃないかって」

 小賀坂さんはそんな不安とずっと戦い続けてきたのだろう。

「考え過ぎだよ、小賀坂さんは小賀坂さんの野球をすればいいんだ」

「でも……それで私が失敗したら……」

「そうだな、その可能性はゼロじゃない……けれどもそれを減らすためには一球でも多く守備練習を重ねるしかない」

「それは……分かってます」

 そう口にはしたものの、まだ小賀坂さんには迷いがあるようだった。


 これ以上は言葉で解決できる領域ではない、今日のところはこれで立ち去ろう。

「俺は部屋に戻る、練習もほどほどにな」

 小賀坂さんにまず必要なのは自信だ、それを付けさせるには多少の荒療治も必要だろう。

 どうすべきかを考えながら、俺は自室へと向かって歩いた。


 次の練習日、俺はフォーク習得が波に乗ってきた真由の相手を愛里に任せることにした。

 その他にも千隼の打撃指導を彩音が担当したり、広橋さんの変化球打ちの練習に詩織が付き合ったりしている。

 仲間内でお互いの技術を生かして高め合っていける関係は素晴らしいものだ。

 それを尻目に今日の俺は小賀坂さんの相手をする。


「今日の小賀坂さんにはひたすらノックを受け続けてもらう、限界までだ」

「限界まで、ですか」

 強い意志を込めた俺の言葉に小賀坂さんの背筋が伸びる。

 有無を言わせぬまま俺は小賀坂さんをファーストの守備つかせノックを始める。

 リズム良く、短い間隔でどんどん打球を飛ばす。

「ミットは打球に対して直角だぞ!」

 問題点があればそれを指摘しながらひたすらノック。

 だんだんと疲れも出てきたのかミスも増えてくる、それに対しても厳しい態度で臨む。

「基本が出来てないからすぐに体勢が崩れるんだ!」

 そしてしばらく打ち込んでから少し休憩をとらせて、またすぐにノックを再開。


 何度も何度も、身体に基本を覚えこませるまでノックを繰り返す。

 打球を左右に振って、難しいバウンドの打球も処理させる。

 とにかく場数を踏ませることだ、それが大事な経験になることは間違いない。

 結局、今日の練習時間の殆どをその特守に費やした。

 ノックを終えた時の小賀坂さんはもう泥だらけで、顔にも汚れが付くほどの状態だった。


 疲れ果ててへたり込む小賀坂さんに歩み寄り、顔の汚れをハンカチで拭ってやる。

「小賀坂さん、よく頑張ったな」

「あ、安島先輩……」

「これだけ打球を捌いたんだからそれ相応の実力はついてくる、自信を持つことだ」

「はい」

「……ごめんな、これだけのノックを受け続けるのはきつかっただろ?」

 これが小賀坂さんのためになるだろうとはいえ随分と無茶をさせてしまった。

「いえ、安島先輩の守備の良さは分かりましたし……その安島先輩のやることですから間違いはないと思ってます」

「そうか、そう言ってもらえると気が楽になるよ」

「……私は安島先輩のこと、樋浦先輩の次ぐらいにはすごいと思ってますよ」

 そう小声で呟くと小賀坂さんはロッカールームの方に駆けて行ってしまった。

 この特守が少しでも小賀坂さんにとっていい結果をもたらすようにと、そう願った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ