練習試合 VS 城山リトル
そしてついに試合当日、城山リトルのメンバーがやってくる。
全体から滲み出るオーラはさすが強豪と言ったところだろうか。
隣にいた成宮がそれを見て萎縮してるのがなんとなく伝わってきた。
何も言わずに、手を重ねてやる。
「手、あったかい」
そう言って成宮が笑顔を見せてくれた、それを見るとなんとも言えない気持ちになる。
「ありがとう、勇気貰ったよ……修平」
視線がぶつかり合う中、成宮が俺の名前を口にした。
「いくぞ詩織、城山リトルをぶっ倒してやろうぜ」
それに応えるように俺も名前で呼ぶ、きっとこれで正解だ。
最後に軽く手を握ってからそれを離す、詩織の体温がまだ残っているように感じられた。
試合開始、先行は俺たち柚島リトル。
相手の先発は橋本というピッチャー、背番号一のエースだ。
この投手は全国大会でも優秀選手に選ばれていたはずだ、その実力は間違いないだろう。
その投球練習を見てそれが確信に変わる、とにかく球速がある。
これでは俺以外はバットに当てることすら難しいだろうな、そういうレベルの相手だ。
最初の攻撃はあっという間だった、一番から三番まで三者連続三振に仕留める。
球種は全てストレート、それでも三人はそのスピードに全くついていけていなかった。
マウンド上の橋本が嘲笑を浮かべるのを俺は視界の隅に捉えた。
初回の三者三振で俺たちを組し易しと見たか、悠々とマウンドを降りる。
攻守交代で詩織がマウンドに上がる、その姿をみてざわめきが広がる。
ピッチャーが女であることを揶揄する声が聞こえてくる。
審判に注意され一度は収まったものの、相手の選手が詩織を軽んじているのは明白だった。
言いたい奴には言わせておけばいい、すぐに自分の勘違いに気づくはずだ。
投球練習ではストレートだけを投げさせた、奴らの度肝を抜くのは後でいい。
一番はお誂え向きに左打者だ、左のサイドスローである詩織からすればカモでしかない。
初球、大きく切れ込むスライダーでベースの角を舐めるようにストライクを取る。
背中から来るようなボールに腰が引けている、これを打つのは至難の業だろう。
その後も角度のあるボールを投げ込み、外のスライダーで空振り三振。
フォームがバラバラに崩されての三振に味方から野次が飛ぶ。
実際に打席でそれを見た一番打者だけは深刻な顔でベンチに戻っていった。
ベンチの奴らは打席に立たないと詩織の凄さが分からないのか、思わず嘆息してしまう。
二番は右打者、だからといって詩織が特別に不利というわけではない。
確かに左に比べれば右の方がボールが見やすいだろうが、それだけでは詩織は打てない。
変化球とアウトローいっぱいのストレートでカウントを整える。
追い込んでから、最後にアウトローの同じコースから滑り落ちるスクリュー。
バットは空を切った、ボールの位置から見当違いなぐらい離れた場所でのスイングだ。
いきなり詩織のスクリューを投げられたんだから仕方ないが、無様なものだ。
初めて見せるその切り札に相手ベンチがどよめいた。
ようやく、詩織の凄さを僅かながら理解したらしい。
もっとも、その全てを理解した頃には試合は終わっているだろうけどな。
一人そう心の中で毒づいた。
続く三番打者も右打者、こいつは少しは頭を働かせてきたらしい。
追い込まれればスクリューがある、そう考えて初球からバットを出してきた。
しかし厳しいコースに決まる詩織のカーブは打ってもファールにしかならない。
焦って二球目のボール球に手を出してしまい空振りで追い込む、この時点で勝負は決まった。
スクリューを見せるまでも無いな、こいつの頭の中はスクリューでいっぱいのはずだ。
高めのギリギリにストレートを要求すると、反応すら出来ずに見逃しの三振に倒れた。
こちらも三者三振に抑える、どちらの投手も初回は最高の滑り出しを見せた。
そんな中、俺は静かに狙いを定めていた。
相手投手の橋本は完全に柚島リトルを舐めてかかっている。
その証拠に公式戦では鋭いスライダーを投じているが、今日はここまでストレート一本だ。
俺たち相手には変化球を使うまでもない、そういうことだろう。
四番打者として右打席に入る、ゆっくりと時間を掛けて構えを取る。
チャンスは恐らく一度きりだ、そう考えていた。
一度、俺の打撃を見れば橋本も慎重に投げるようになるだろう。
下手をすれば今後の勝負を避けられるかもしれない。
だからミスショットは許されない、狙いをストレート一本に絞る。
ストレート打ちには自信がある、橋本の速球でも力負けしないで捉えてみせる。
初球のカウントを取りに来たストレートを思い切り振りぬく。
その感触と共に、俺はバットを放り投げた。
鋭い金属音を残し打球はレフト方向へと伸びる、打った瞬間の当たりだった。
先制ホームラン、ゆっくりとベースを一周する。
橋本が信じられないものを見たかのように俺に視線をやる。
前の三人と俺にここまでレベルの違いがあるとは考えていなかったのだろう。
一球の油断がゲームを壊す、それが野球だ。
城山リトルにはそれを嫌というほど味わってもらおうじゃないか。
ホームベースを踏み、ベンチに戻り詩織とハイタッチを交わす。
「すごいね……修平は」
その声は震えていて、目にはうっすらと涙すら浮かんでいた。
「おいおい、まだ試合は始まったばっかりだぞ」
「うん、でも感動しちゃって」
「詩織のためにどうしても点が取りたかったんだ」
今、このチームで橋本の相手が出来るのは俺一人だ。
だから点を取るためにはどうしても一発で決める必要があった。
「ありがとう……あとは私が抑えるだけ、だね」
そう言って詩織はイタズラっぽい笑みを見せる。
「ああ、頼んだぞ詩織」
俺のホームランの後は三者凡退に倒れた、橋本の実力を考えれば予想通りだ。
軽く詩織の背中を叩いて二回裏の守備へと向かった。
そこからの城山リトル側には明らかに焦りがあった。
エースの橋本が先制を許すなんて夢にも思っていなかったはずだ。
さらに女のピッチャーである詩織が予想以上にいいボールを投げている。
そしてリトルの試合は短い、延長に突入しなければ六イニングしかないのだ。
早く同点に追いつかなくては、そういう気持ちが出るのは自然なことだ。
それなら俺はそれを逆手に取る。
初回はストライク先行で攻めていったが、今度はボール球を多く交えて配球する。
詩織のウイニングショットであるスクリューの切れ味を見て、追い込まれる前に振っていけという指示が出るのは容易に想像が出来た。
それに加えて前述の焦りも加わり、相手打者は次々とボール球の餌食となっていった。
焦れば焦るほど泥沼にはまっていき、気がつけばイニングだけが浪費されている。
四回の二死無走者で迎えた俺の第二打席はストレートの四球に終わった。
これは明らかにベンチの指示で勝負避けたものだった。
城山リトルも全力で勝ちに来ている、その意志が透けて見える指示だった。
一打席目で決めておいて良かったな、そう考えながらゆっくり一塁へ向かう。
エラーで一人ランナーは出たが、後続で得点が期待できるはずもなくあっさりと倒れる。
六回表、柚島リトルの攻撃は一番から始まる、俺まで回ることはなさそうだ。
それを眺めながら、俺は詩織に引越しのことをどう切り出そうか迷っていた。
この約一週間、一緒に練習をしながらどうしても言い出せなかったその言葉。
それでも、伝えないといけない。
「修平、どうしたの?」
俺の表情から何かを感じ取ったのか詩織が声を掛けてきた。
その表情は全てを受け入れてくれそうなぐらい優しげで、気づいた時には口が開いていた。
「詩織、俺……明日大阪に引っ越すんだ」
言ってしまった、まだ大事な試合中だというのに。
「……そう、なんだ」
詩織が顔を伏せ、肩を震わせる。
それでもしばらくして顔を上げた、その瞳に涙はなかった。
「それじゃあ、尚更負けられないね」
強い意志を感じさせるその言葉に、心が震える。
「ああ、あと一回……全力で抑えよう」
そして迎えた最終回の六回裏の城山リトルの攻撃。
攻撃前に城山リトルの監督がナインを叱責しているのが目に入った。
ここまで無得点で一点のビハインド、それを何とかしようと必死なのだろう。
詩織はここまで出したランナーはエラーの二人だけで無四球無安打に抑えていた。
先頭の九番打者はワンボールからの二球目のカーブを打ってショートへのゴロ。
失策なくアウトを取りワンナウト、あと二人だ。
打ち取りはしたものの、今のカーブはあまり切れ味が良くなかった。
当初から懸念していた詩織のスタミナ不足が露呈してきている。
詩織は実戦での登板は初めてで、一試合を投げ切った経験がない。
この状態で最後まで乗りきれるのかどうか、不安だがやるしかない。
左打ちの一番打者が打席に入る、ここまで完璧に抑え込んでいる相手だ。
その初球、詩織の投球と同時にバントの構えをする。
セーフティバント、ピッチャー前に打球が転がる。
普通に処理すれば一塁で刺せる、そんな当たりに見えた。
しかしマウンドから駆け下りた詩織が転倒してしまう。
一塁には投げられない、初安打となる内野安打でランナーを一塁に背負うこととなる。
「大丈夫か!?」
詩織に駆け寄り、体を引き起こす。
「うん、ちょっと足がもつれちゃっただけだから……」
そう殊勝に詩織は話したが、その息は荒く大きく乱れている。
体力的に大きなダメージを受けているのは明らかだった。
少しでも体力を回復できるように出来る限り時間を稼いでから、定位置に引き返した。
今のワンプレーで詩織の弱点が露呈してしまった。
元々詩織はチームでの練習に参加していなかったためフィールディングが苦手なのだ。
その上今はスタミナ切れの状態、尚更打球処理は難しくなるだろう。
それを城山リトルが見逃してくれるはずがなかった。
一死一塁となり打席には二番打者。
当然の様にバントの構えを取る、転がされれば先ほどの悲劇が繰り返されるだろう。
バントするのが難しい高め、ボール球のストレートを要求する。
詩織がボールを投げた、少し甘く入りボールはストライクゾーンへ。
ボールがバットに当たり、小フライとなった。
反射的に右手でマスクを剥ぎ取りながら左手を大きく前へ伸ばし全力で前に飛んだ。
ミットの先端にボールが引っかかる、勢い余って地面を転がるがボールは離さない。
このプレーに観客席から歓声が上がる、上手く打球に反応できた。
フライアウトでバント失敗、これでツーアウトだ。
最終回の二死一塁、試合終了まであと一人。
二死までこぎつけたことでとりあえずバントの可能性は大きく下がっただろう。
マウンドに立つ詩織が帽子を取って何度も汗を拭っている。
球場を取り囲む観客がざわついているのが伝わって来ていた。
こんな展開を誰も予想出来なかったのだろう。
全国大会でベスト四に入った城山リトルが一人の少女の前に敗れ去ろうとしていた。
改めてスコアボードに目をやる、一対〇の最少得点差だがこちらがリードを保っている。
タイムを掛けてマウンドに歩み寄る。
「体力、持ちそうか?」
「うん……これで最後なんだよね、修平」
そう言うと詩織は顔を伏せ肩を震わせた。
俺だってこの時間を終わらせたくないとそう願っている。
けれども、もう終わりは目前に迫っていた。
こうして詩織とバッテリーを組むことが出来るのもほんの僅かな間だ。
そう再確認すると思わず涙が零れそうになったが必死に堪える。
まだ試合は終わっていないのだから気を抜くのは早い。
「あと一人だ詩織、頼んだぞ」
それだけ言うと軽く背中を叩いてからキャッチャーボックスに引き返す。
マスクをかぶり直してからマウンドの方を振り返る。
打席には三番打者が右打席に構えている。
詩織はランナーの有無に関わらず、必ずセットポジションを取る。
それがいかなる時も安定してボールをコントロール出来るコツなのかもしれない。
美しいフォームから糸を引くようにアウトコース低めいっぱいにストレートが決まる。
一番辛いここに来てこの素晴らしいボール、詩織の凄さを再確認する。
まずワンストライクだ、ボールを詩織に投げ返しながら次の球種の選択について考える。
少し考えたあと低めにカーブのサインを出した。
ストレートの後の緩い球はとりあえずセオリー通りと言えるだろう。
詩織が頷いてから第二球を投じる。
サイン通りの低めに沈むカーブをバットが捉える。
痛烈な当たりが飛ぶが打ち急ぎすぎている、ラインの外に飛ぶファールボール。
僅かだがコースが甘かった、冷や汗をかく。
なんとかこれで追い込むことに成功した、最後のボールは決まっている。
詩織のウイニングショットはこの試合一度もバットに掠らせてもいなかったからだ。
迷わずそのサインを出すと詩織は頷いた、この試合一度も詩織は首を振っていない。
キャッチャーとしての経験など皆無に近い俺をそれだけ信用してもらえていると思うと嬉しかった。
後は俺がきちんと受け止められるかだ、気合を入れて構える。
アウトコースの厳しいところにボールが投じられる。
既に追い込まれているバッターはカットしようとバットを差し出してきた。
しかしそれを嘲笑うかのようにバットにヒットする直前にボールは鋭く沈んだ。
詩織の決め球のスクリューボールだ。
そのボールを体全体を使って止めに行く。
ベースの辺りでワンバウンドしたそのボールは激しく跳ねた。
構えたミットに収まらなかったもののプロテクターに当たって前に落ちた。
素早くそのボールを拾ってバッターにタッチする、これでゲームセットだ。
そのまま詩織に駆け寄り、飛びついてきた詩織を抱き上げた。
この軽い体のどこからこんな凄いボールが飛び出してくるのか不思議に感じた。
他の味方野手はどこか勝利がまだ信じられないような顔で立ち尽くしている。
同じチームの仲間には悪いがこれは俺と詩織の二人で掴みとった勝利だ。
俺がホームランを放って唯一の得点を挙げて、詩織は完封を成し遂げた。
二人でこのゲームを作り上げたという自負があった。
「やった、勝ったよ、修平……」
詩織が俺に抱きつき声を震わせる、抱きしめ返して頭を撫でてやる。
「ああ、すげーピッチングだった、本当に感動したよ」
劇的な勝利を成し遂げた幸福感と、最高の試合が終わってしまったという喪失感。
それらがグチャグチャに混ざりあい心がかき乱されていく。
「修平……これで終わりなんてやだよ、私はもっと修平と野球がしたいよ!」
「俺だって本当は……」
弱音を吐いてしまいそうになるのを何とか堪えた。
今更何を言っても変わらないのだ、それならばせめて前を向いていたかった。
「ごめんな詩織、でも絶対に俺は戻ってくるから、そしてまたお前とバッテリーを組んで見せるから、だから待っててくれ」
最後の方はもう声にならなかった、堪えていた熱いものが決壊した。
「絶対だよ、約束だからね、私ずっと修平のこと待ってるから」
そのまま二人抱き合いながら声を上げて泣いた。
観客席からは温かい拍手の音がいつまでも響いていた。