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走力と走塁力

 星原さんが正式に入部してから初めての練習。

 夏の大会までにはあまり時間は残されていない。

 その短い時間で野球経験の無い星原さんを試合に出場できるレベルまで鍛えあげる必要があった。

 そのためには俺がつきっきりで星原さんを特訓する必要があるだろう。

 日下部さんの野球を見てきたことで、基本的なルールなどは問題ないのが救いだった。

 まずは前回の練習では見ることが出来なかった能力を確認する。

 走塁練習としてベースランニングのタイムを測ることにした。

 星原さんの最大の武器である走力が、野球という枠組みの中でどこまで通用するのか知っておく必要があった。


 ストップウォッチを手にして、本塁部分に俺と星原さん、それに愛里の三人が集まる。

 星原さんがスタートを切った、加速して一塁ベースへとあっという間に到達する。

 そこからベースを蹴って二塁、三塁を経て本塁へと帰ってくる。

 そのタイムは確かに早い数字ではあったが、星原さんの走力を考えると物足りない。

「愛里、次はお前が走ってみてくれ」

「……分かった」

 今度は愛里、一塁ベース手前で小さく膨らみながら二塁へ、同じようにして二塁と三塁を蹴り本塁へ。

 愛里のタイムは星原さんのそれを僅かに上回った。


「今回のベースランニングのタイムは僅差で愛里の方が上だった、短距離走では星原さんが圧倒するぐらいの走力の差があったのにもかかわらずだ」

「今の愛里の走塁を見て、星原さんは何かを感じなかったか?」

「愛里さんはベースをすごくスムーズに回ってる感じで、安定感がありました」

「そうだな、愛里の走塁技術は高い、その技術が単純なスピードの差をひっくり返した」

「星原さんのスピードは間違いなくナンバーワンだからそこは自信を持っていい、だけどそのスピードを野球というスポーツで活かすためには技術がいるんだ」

「技術、ですか」

 星原さんが少し顔を曇らせる。

 最大の武器であるスピードの面で技術不足だと言われ不安を覚えたのかもしれない。

「大丈夫だ、技術は後から付いてくるけれどそのスピードは天性のものだから」

「……お兄ちゃんの言う通り、気にする必要はない」

 愛里もそう励ましの声をかける。

 愛里も星原さんのスピードの価値はよく理解しているからこそ、余計なことを考えてほしくないのだろう。


「ベースランニングの基本を軽く教えると、ベースを回るときには小さく膨らんでベースの角を踏むようにするんだ」

「小さく膨らんで、角をですね」

「ベース一周を円を描きながら走るイメージだけど、大きく膨らみすぎると距離が伸びてタイムが落ちてしまうからそこは注意だな」

「……言葉で説明するよりも、実際に走ったほうが早い」

「そうだな、愛里はベースランニングが上手いから色々教えてもらうといい」

「はい、よろしくお願いします愛里さん」

「……同い年なんだから愛里でいい、私も千隼って呼ぶから」

「……うん、分かったよ愛里」

 どうやら二人は打ち解けてきたようだ、同じ一年生だし仲良くしてほしい。

 愛里が実際にベースを回って見せながら星原さんにアドバイスを送る。


 アドバイスの後、星原さんのタイムを測ると先ほどより随分と良い数字を出した。

 当然先ほどの愛里よりも早い記録で、短時間でこれだけ改善してきたのはいい傾向だ。

 そのタイムを告げると、ようやく星原さんが笑顔を見せた。

「少し教えただけでこれだけタイムが伸びるのはすごいことだよ、センスがあるのかもな」

「そんな、お二人の教え方がうまかっただけですよ」

 顔を赤くして謙遜する星原さん、その様子に魅力を感じてしまい思わず顔を逸らす。

「あっさり抜かれちまったな、愛里」

 その感情を誤魔化すように愛里にそう声を掛けた。

「……もともと私と千隼ではスピードの格が違う、これで当然」

 愛里はあまり気にしていない様子で、むしろ星原さんの良い結果を素直に喜んでいるようだ。

 足も早いが愛里の本当の武器は他にある、その自信が本人にあるから平気なのだろう。

 これからどんどん磨かれていくであろう星原さんのスピードがどこまでいくのか改めて楽しみになっていた。


「さて、星原さんのスピードを活かすために欠かせないのが盗塁だ」

 走塁練習を終えて今度は盗塁の練習へと移る。

 この練習のピッチャーには詩織ではなく真由にやってもらうことにした。

 詩織は一塁牽制のしやすい左投手で、しかも牽制をかなり得意としている。

 初めての相手としては詩織ではハードルが高すぎるだろう。

 その点で真由は牽制もクイックも及第点、特筆するところなしといった感じの右投手。

 まずはその真由から盗めるようにならなくては始まらない。

「盗塁をするには単純な足の早さはもちろんだけど、スタートとスライディングも重要だ」

「まずは投手をよく観察することだ、そうすればスタートのタイミングが見えてくる」

 俺も中学時代にプレーしていた時は盗塁が割りと得意だった。

 走力自体は平均より少し早い程度だったが、キャッチャーとして投手を観察しているうちにスタートを切るタイミングが分かってきたのだ。

「わかりました、やってみます」

 そう返事をして星原さんがベースの上で構えを取る。


 マウンドの真由がセットポジションに入る、星原さんがリードを取るも幅が小さい。

 牽制を入れられて慌てて数歩駆け戻る。

 色々と指摘したい点はあったがまずは星原さんの思うままにやらせてみよう。

 次のタイミングで真由がホームにボールを投げる、星原さんがスタートを切った。

 ボールを受けたキャッチャーの愛里が素早く二塁に送球する、星原さんが滑りこむ。

 ベースカバーに入ったショートの羽倉さんが低めに構えたグラブに、ワンバウンドでボールが飛び込んだ。

 タッチアウト、盗塁は失敗だ。


 星原さんがコーチャーズボックスに立つ俺の元へと戻ってくる。

「失敗しちゃいましたね……」

「ああ、スタートが良くなかった、あとはリードは小さすぎたのとスライディングの寸前でスピードがガクッと落ちたな」

 それでもタイミングはそれほど余裕ではなかった、星原さんのスピードはやはり凄い。

「あんまりリードすると牽制で刺されそうで、勢い良くスライディングするのも怖くて」

 こなすべき課題は山積している、一つ一つこなして行かなければ。


「なるほどね、まずはリードの取り方から直していこうか」

 もう一度真由に構えてもらう、星原さんのリードは相変わらず小さい。

「もっと大きくリード出来るよ、自信を持って」

「……こうですか?」

 俺の言葉に戸惑いながらも星原さんがリードの幅を大きく広げる、とりあえずは及第点だ。

「まずはそのぐらいかな、それで牽制が来たら手から戻るんだ」

 周囲に声をかけ一旦練習を中断して何度か手から戻る動作を繰り返させる、少しずつだが形になってきた。


「実際にやってみるとすごくよく分かります、この方が帰塁が早いしタッチもされにくいです」

「そうだろ、足の早いランナーは出来る限り大きくリードを取り手から戻るのが基本だ」

 練習再開、真由がセットポジションに入る。

 そのリードは先程までとは比べ物にならないぐらい大きい、すかさず牽制が飛んでくる。

 俺が教えた通り手からの帰塁、まだ余裕がありそうにすら見えた。

 もう一度牽制球を挟んでからホームへの投球、ランナースタート。

 愛里からの送球は今度も悪くないが二塁がセーフとなり盗塁が成功する。

 スタートは相変わらず良いとは言えなかったが、きちんとリードを取った分セーフになった。

「少しのリードの差が凄く大切なんですね、実感しました」

「ああ、一歩でも多くリードをとれれば成功率は変わってくる……あとはスライディングだな」

 スタートに関しては経験を積んでいくしか無い、今はスライディングの練習が必要だ。


 一度メンバーを解散させてそれぞれの練習に戻してから、スライディングの練習に移る。

 何度かアドバイスをしながらその改善にとりかかるもこちらは難航した。

 トップスピードからスライディングの体勢に移行するときに、どうしても大きなラグが出来てスピードが落ちてしまう。

 なかなか上手く行かない中、ひとつのアイデアが閃いた。

「星原さん、一つ提案があるんだけど……」

 星原さんの走塁フォームは前傾姿勢気味になっている、その状態で足からのスライディングにはどうしても移り辛い。

 それならばそれを逆手にとればいい。


 星原さんが俺のアドバイスを受けて、一塁からスタートを切る。

 そのまま加速して、前傾姿勢のまま手から二塁に滑り込んだ。

 先ほどまでよりもスピードを保ったままスライディングに移行できているのが傍目にもよく分かる。

 ヘッドスライディング、何かと批判の対象となることが多いスライディングだが星原さんには合っているようだ。

 日本人には珍しいがメジャーリーガーでは一塁以外への走塁にヘッドスライディングを用いるプレイヤーも少なくない。

 星原さんにとってそれがやりやすいのであれば決して間違いではないはずだ。

「私にはこっちのほうが滑りやすいみたいです」

「それはよかった、でも頭から滑るのはケガの危険も高いからそれは気をつけないとね」

 ヘッドスライディングに切り替えてスライディングの練習を再開する。

 少しずつだが速度を落とさずに滑りこむことが出来るようになっているのを感じる。


 最後に、再びメンバーを集めてもう一度実戦的な盗塁の練習。

 そこで星原さんは十回盗塁を試みてそのうち九個を成功させた。

 その全てがヘッドスライディングで、だんだんとそれを自分のものにしつつあった。

 まだまだ左投手の牽制対策など課題は残っているが、初日ということを考えれば十分過ぎる内容だろう。

「……千隼は早すぎる、私の肩じゃなかなか刺せない」

 確かに愛里の肩は捕手にしては強さが足りない、その分スローイングの早さは一級品なのだがそれだけでは星原さんの盗塁を阻止するには十分はないのだろう。

「盗塁阻止は投手と捕手の共同作業だからな、厳しいことを言うのであれば真由の方にも課題があるよ」

 もしも投手が詩織であればあれほど高い成功率は保てなかっただろう。

 そのぐらい盗塁阻止の際に投手は重要な要素となる。


 なんにしても想像よりも早いペースで星原さんの走塁面は改善されつつある。

 単純な走力を走塁力へと落とし込んでいく。

 試合でそのスピードを活かすためには絶対に欠かせないプロセスだ。

 それもこの調子なら大会に間に合いそうで一安心だ。

 しかしまだ打撃と守備が残っていることを考えると油断は出来ない。

 気を引き締めていこう、彼女のような逸材に触れ合っていられることを誇りに思いつつそう気合を入れなおした。 

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