表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/119

偉大なる先輩

 それから数日、星原さんからの返事はまだ貰えていない。

「星原さんの様子はどうだ?」

 愛里にそう訪ねてみる、同じクラスの愛里であれば星原さんのことが分かるかもしれない。

「……なんだか悩んでいるみたい、少なくとも私にはそう見えた」

「悩んでる、か」

 先日、俺が彼女を野球部に誘った時の様子を思い出す。

 彼女が野球に対して何らかの思いを抱えているのは間違いないように思えた。

 本当は彼女にそれについてじっくりと考える時間を作らせてあげるべきなのかもしれない。

 それでも俺は彼女の気持ちを知りたいという気持ちを抑え切れなかった。


 放課後、彼女のいる一年生の教室のドアを開ける。

 前回同様珍しい男の姿に視線が集まるがそれを気にせずに中へ。

 真っ直ぐ星原さんの席へと向かっていく、彼女が顔を上げて視線がぶつかる。

「安島先輩……ごめんなさい、お返事はまだ……」

 星原さんが申し訳無さそうな顔で俺を見る。

「今日は返事を貰いに来たわけじゃないんだ、星原さんのことを教えて欲しいと思って」

「私のこと、ですか?」

 そんな言葉を掛けられると予想していなかったのかどこかきょとんとした様子だ。

「ああ、星原さんは昔野球絡みで何かあったんじゃないか? もし勘違いならごめん」

「……いえ、安島先輩のおっしゃるとおりです」

「そっか、良ければ何があったのか聞かせてくれないか? 俺は星原さんのことが知りたい」

「……分かりました、私が中学生の頃にすごく尊敬出来る先輩がいたんです」


 その先輩と出会ったのは星原さんが中学校に入学して間もない一年生の時。

 きっかけは屋外で二人がすれ違ったときのことだった。

 その先輩の手のするプリントが強風に煽られ、星原さんの目の前を飛ばされていく。

 星原さんが咄嗟にそれを追いかける、全力で走ってそのプリントを掴みとった。

 その時の先輩の驚いた顔がとても印象的だったそうだ。


「あなた、すごい足の速さね……驚いたわ」

「そんな、大したことないですよ」

「ううん、私が今まで見た中で一番速かった……あなた一年生よね? 名前を教えてくれるかしら?」

「星原千隼、です」

「私は二年生の日下部渚、よろしくね、ところで星原さんは部活に入ってるの?」

「いえ、まだどこにも……」

 そう星原さんが話すと日下部さんは嬉しそうな笑みを浮かべた。

「よかった、それじゃあ野球部に入ってみない?」

「野球、ですか?」

「うん、今日も練習があるから一度見に来てほしいな」


 そう誘われるままに放課後、野球部の活動を見学しにいく。

 日下部さんは二年生でありながら既にチームの中心として頼られる存在となっていた。

 打撃練習では豪快な当たりを飛ばし、守備練習では強肩を披露する。

 その当時野球について殆ど知らなかった星原さんにも、その凄さは伝わったそうだ。

 それを目の当たりにした星原さんは萎縮してしまい、結局野球部への誘いを断った。

 その旨を伝えたところ日下部さんは残念そうな顔をしたが強く引き止めはしなかった。

 それから再び野球部に勧誘することはなかったものの、日下部さんはその後もよく星原さんに声を掛けるようになり、二人の仲は親密なものになっていった。

 日下部さんは星原さんを名前で呼ぶようになり、それを心地よく感じていたそうだ。

 星原さんもそんな日下部さんに尊敬の念を抱き、彼女の練習をよく見に行くようになった。


 だんだんと野球に対する理解も深まり、それと共に彼女の凄さを改めて認識する。

 そして大会での日下部さんは二年生ながら早くも四番ライトでチームを牽引していた。

 その輝かしい姿に感動すると共に、野球部への勧誘から逃げ出した自分が日下部さんと関わっていることに気後れしてしまう。

 親しい先輩として接する中で、自分が日下部さんに釣り合っていないのではないかというその思いは日に日に強くなっていったそうだ。

 それからはなんとなく日下部さんから話しかけられても距離を置いてしまう日々が続いた。

 そして、そのまま月日が流れて日下部さんは卒業していった。

 卒業のタイミングでご両親の都合により大阪へと引越すことが決まっていた。

 そこで離れ離れになる前に最後にお互いの連絡先を交換したそうだ。

 しかし、それからは一度も連絡をとっていないという。


「日下部さんから連絡はなかったのか?」

「実はその後に日下部先輩の番号が入った携帯を水たまりで水没させちゃって、それで連絡先が分からないんです」

「それじゃ日下部さんからも連絡を取ろうとしても取れないわけだ」

 そう俺が口にすると星原さんの表情に影が差した。

「……日下部先輩がわざわざ連絡を取る理由なんてないですよ、私は日下部先輩が差し伸べた手を払いのけてしまったんですから」

 その言葉は強い悔恨の念にかられているように感じられた。


 そして俺は一つ気になっていることがあった。

「日下部さんは卒業後大阪に引っ越したってそう言ってたよね」

「はい、そう言ってました」

「進学先は関西国際女子、そうじゃないか?」

 大阪に帰省したときに見た関西国際女子の試合を思い出す。

 素晴らしい強打と強肩を見せてくれた彼女の名前も日下部さんだった。

「進学先までは聞いてないですけど……何か心当たりがあるんですか?」

「ああ、ほぼ間違いないと思う」

 名字、プレースタイル、ポジション、そして現在大阪にいるという情報。

 これら全てが合致する以上別人とは考えづらかった。


「ちょっと待って、電話してみる」

 そう断りを入れてから俺が連絡した先は関西国際女子野球部マネージャーの野々宮だ。

 長いコールの後、通話状態となる。

「安島くん? どうしたの?」

「野々宮、悪いんだけど野球部の日下部さんと連絡を取れないか」

「日下部さん? 何かあったの?」

「星原さんが連絡を取れなくて困っている、そう言ってくれれば伝わると思う」

「安島くんがそう言うなら、伝えてくるよ」

 野々宮は詳しい事情に踏み込むこと無く、日下部さんを呼びに行ってくれたようだ。

 その心遣いに感謝しなくてはいけないなと思わされる。


「もしもし、私が日下部です」

 しばらくして、そう挨拶する声が聞こえてくる。

「こんにちは、俺は桜京高校野球部のマネージャーで二年生の安島修平といいます」

「それで、千隼がそこにいるっていうのは本当なの?」

 勢い込んでそう尋ねられる、どうやらずっと星原さんのことは気にしていたようだ。

「その星原千隼さんだよ、どうやら間違いないみたいだね」

「教えてもらった番号でも連絡が取れなくて、ずっと心配してて……」

「事故で携帯を水没させて壊してしまって、それで連絡が取れなくなってたんだ」

「そういうことだったのね」

 その声色は事情を知ることが出来てどこか安心しているのが伝わってきた。


「それで、野球部のマネージャーさんが側にいるってことは千隼は野球部に?」

「……残念ながらまだ入部の決断は貰っていない、でもきっと検討してくれている」

「そう……私はずっと千隼が野球をしてくれることを夢見てたの、そして今でもそう」

 日下部さんの気持ちはとても良くわかった。

 彼女も俺も星原さんのスピードに魅入られてしまった一人なのだ。

「星原さんに、電話を代わってみないか聞いてみる」

 日下部さんともう一度話してみてほしい、そうすればきっと何かが変わると思った。


 電話から耳を離してから、星原さんの方を向き直る。

「その日下部さんだったよ、星原さんのこと心配してた」

「そう、ですか……」

 星原さんがグッと拳を握った、緊張しているのが伝わってくる。

「一度日下部さんと話してみるべきだと、俺は思う」

「でも……」

 震える手を中途半端に持ち上げて、俺の携帯を受け取るかどうか逡巡している。

「大丈夫だ、日下部さんは星原さんが考えている以上に君のことを思ってるよ」

「安島先輩……」

 やがて決心したのか強く唇を噛み締め、その手を俺の携帯に伸ばした。

 それを耳に当てて、一度大きく深呼吸をしてから声を発した。

「日下部先輩、星原です」

 もう大丈夫だ、星原さんは大きな一歩を踏み出した。

 そして日下部さんという頼れる先輩も彼女の背中を押してくれることだろう。

 俺が掛けるべき言葉はもうない、後は二人が話しあえば自然と答えが導かれるはずだ。

 二人の会話を邪魔しないように、俺はそっと距離を取った。


 それからしばらくして、星原さんが通話を終えた。

 その顔は晴れ晴れとしていて、先程までとは別人のようだった。

「携帯、ありがとうございました」

「決心は、ついたかな?」

 差し出された携帯を受け取りながらそう尋ねる。

「はい……野球部にお世話になります、よろしくお願いします」

 その言葉が聞けると信じてはいたが、実際にそれを耳にすると改めて感無量だった。

「こちらこそよろしく、星原さんを野球部に迎えることが出来てとても嬉しく思うよ」

「……勇気がなかったことで、ここまでに随分遠回りをしてしまいました」

「今その一歩を踏み出した、それだけで十分だと俺は思うよ」

「そうですね……少なくとももう後悔はだけしたくないですから」

 そう口にする星原さんの笑顔は輝いている。

 それはこれからの彼女の明るい未来を指し示しているように感じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ