新入部員
そして二年目の春がやってきた。
現在の部員数はこれから入部する愛里を含めて八人だ。
試合をするためには最低でもあと一人、新入生に入部してもらわないといけない。
入学式を終え、去年と同様に勧誘を始めると一人の女の子が真っ直ぐこちらにやってきた。
「樋浦先輩、お久しぶりです」
真っ先に樋浦さんに声を掛ける、その態度には尊敬の念が感じられた。
「小賀坂さん……」
樋浦さんはどこか気まずそうにしている、そんな風に見えた。
「樋浦さんの知り合い?」
「ええ、中学の時に野球部の後輩だった子です」
「小賀坂明子です、よろしくお願いします」
唯一の男である俺のことを訝しげに見ながらも丁寧にそう挨拶される。
「マネージャーの安島修平です、小賀坂さんは野球部に入ってくれるってことかな?」
「もちろんです、そのためにここに来たんですから」
早くも九人目が埋まった、その事に大きく安堵する。
「小賀坂さんのポジションはどこなんだい?」
「中学ではずっとファーストを守ってました」
その言葉を聞いて小賀坂さんへの期待が膨らむ。
「それはよかった、今ちょうどファーストが必要なんだ」
「そうですか、少しでも樋浦先輩のお力になれれば嬉しいです」
「ちょっと小賀坂さん……私の力になんて大げさだよ」
言葉の端々から樋浦さんに対する小賀坂さんの強い気持ちが滲み出る。
それに対して樋浦さんは困惑しているようで、どこか二人が噛み合っていない印象だ。
「いえ、私は樋浦先輩と一緒にプレーをするために野球を続けてきたんです」
ハッキリとそう言い切る小賀坂さん、瞳から強い意志を感じる。
「私は……そんな……」
樋浦さんは俯いてしまう、歯切れが悪い。
「……これ、入部届だから小賀坂さん書いてくれるかな?」
その雰囲気を打破する意味も込めて小賀坂さんに入部届を差し出す。
二人はどういった関係だったのだろうか、そんなことを考えさせられてしまう一幕だった。
一年生の小賀坂さんと愛里が参加しての初練習。
愛里の実力はよく分かってるので小賀坂さんの動きを中心にチェックする。
まずは左打席に立ってのバッティング。
長打力は平均以上のものがあるがその分ボールをミートする能力があまり高くない。
長打はあるが率がいまいち残せないタイプ、そんな風に見えた。
そして守備、こちらはパッと見て難があるのがすぐに分かった。
左投げとファースト向きではあるのだが打球への反応があまり良くなく、特に捕球を苦手としているようだ。
なんでもないボールを零してしまうこともしばしばで守備が安定してるとは言い難い。
それで一定の打撃力を備えているのは確かで、課題の守備を鍛えれば十分戦力になってくれるだろうというのが全体を通しての印象だった。
練習後、どこか憂鬱そうにため息をついている樋浦さんの姿が目に入った。
小賀坂さんのことを気に病んでいるのは明らかで、俺は声をかけずにはいられなかった。
「樋浦さんは小賀坂さんの存在を、負担に感じてしまうのか?」
単刀直入にそう尋ねる。
その言葉を聞き力のない笑みを見せる樋浦さん、どこか自分を責めているように見える。
「小賀坂さんは中学の時からずっとああだったんです、私のことを高く評価してくれていて」
樋浦さんはトップクラスのスラッガーだ、それに尊敬の念を抱くのは不思議なことではない。
「でも、本当の私はそんなすごい選手じゃなくて、それが小賀坂さんを騙しているようでずっと心苦しくて」
小賀坂さんの樋浦さんに対する思いが負担になってしまっているようだ。
ただ純粋に尊敬する気持ちがそんな形で悪く作用してしまっているのを悲しく思う。
「樋浦さんは色々と考えすぎだよ」
「そうですね、自分でも分かっているんですけど……」
樋浦さんの能力は一流だがここまでメンタル面で脆い部分が露呈してしまっている。
今回も後輩である小賀坂さんの加入で気持ちが揺れ動いている。
しかし、そこを乗り越えることが出来れば大きく成長することが出来るのではないか。
これがいいきっかけに転じてくれれば良いな、そんな風に思った。
「……お兄ちゃん、同じクラスにすごい子がいた」
一年生としてある程度授業をこなしはじめた愛里が、ある日俺にそう報告してきた。
「すごい子? どんな風にだ」
「……とにかく足が早い、私も結構早いほうだと思っていたけど全く勝負にならなかった」
聞けば今日の体育の授業での短距離走、その女の子が圧倒的な早さで最速を記録したらしい。
愛里の走力は平均よりもかなり高い。
その愛里が勝負にならないと言うほどだから余程のスピードなのだろう。
「それで彼女を野球部に、ってわけか」
「……あのスピードは絶対に武器になる、間違いない」
愛里は彼女をとても高く評価しているようだ。
「でも、そんな運動神経の持ち主ならもう既に運動部に入ってるんじゃないか?」
「……確かにいっぱい勧誘されてたけど、今のところは全部断ってるみたい」
なにか理由がありそうだ、それでは野球部の勧誘も断られてしまうかもしれない。
しかしダメで元々だ、一度彼女に声を掛けてみようとそう決めた。
翌日の昼休みに愛里のクラスを訪れる。
彼女の名前は星原千隼さんというらしい、愛里と合流して彼女の元へ案内してもらう。
ちょうど椅子に座ってお弁当を食べているところのようだ。
「星原さん、ちょっといいかな?」
「は、はいっ!」
突然声を掛けられて驚いたのか星原さんが飛び上がるように椅子から立ち上がる。
「俺は野球部のマネージャーをやってる二年の安島修平っていいます、よろしく」
「よろしくお願いします……私のことはもう知ってるみたいですね、安島先輩は愛里さんのお兄さんなんですか?」
「そうだよ、愛里から星原さんのことを聞いて野球部に入って欲しいと思ってそのお願いをしにきたんだ」
「野球……ですか」
そう呟いたきり星原さんが少し考えこんでしまう、何か思うところがあるのだろうか。
「私に、野球が出来るでしょうか」
そう呟く星原さん、その言葉には不安と期待が入り混じっているように感じた。
「……星原さんのスピードは絶対に武器になるよ、私が保証する」
愛里も昨日俺に言った言葉を星原さんに向かって繰り返す。
「とりあえず仮入部という形でもいいから、星原さんさえよければ練習に参加してみてほしい」
「……わかりました、一度野球部にお邪魔させてもらいます」
なんとか練習の約束を取り付け、とりあえずその場を後にした。
放課後、体操着姿の星原さんを愛里が連れてきた。
まずはウォーミングアップを終えてのキャッチボール。
ボールが大きく逸れたり捕球し損ねる場面が何度かあった。
それでも壊滅的に下手という感じには見えなかった。
あまり肩は強くないようだったが、正確な送球という点では後半少しずつ安定してきた。
長い距離ではないものの、そこそこ安定した送球が出来るのは見どころがある。
初めてのキャッチボールにしては悪くない、そういった印象を持ったままそれを終えた。
ノックは見学だけに止め、一度打席に立ってもらう。
内野がきちんと守備についている本格的な打撃練習だ。
マウンドに上がるのはコントロールのいい詩織、打撃投手としては文句なしだろう。
「どっちで打てばいいでしょうか?」
「そうだな、どちらも初めてならまず左から試してみてほしい」
星原さんは右投げだったが、右投左打の選手は珍しくない。
足が早いと聞いていたのでそれを活かすのであれは左打席だろうという単純な考えだ。
俺に言われた通り左打席に入り、軽く何度かバットを振る。
それから詩織が打ち頃のボールを投げ込むが、全くバットにボールが当たらない。
初めてだから仕方ないのだが、これでは足も生かせない。
「星原さん一度俺の教える構えでやってみて」
そう言って俺が彼女に教えたのは所謂バスター打法だった。
一度バントの構えをとってからバットを引いてスイングする形となる。
これでボールに当てやすくなればというひとつのアイデアだった。
何度かそれを繰り返すうちについにバットに当たるが、振り遅れたショートゴロとなる。
真由の守備には何の問題もなかった、打球を待って捕球し一塁へと流れるように送球。
当たりも平凡な正面のショートゴロ、特筆するようなことはない。
それにも関わらず一塁が間に合わない、一瞬早く星原さんがベースを駆け抜ける。
あまりのスピードに鳥肌が立った。
まず打ってからの走り出しがとても早い。
そしてそこからの加速力、トップスピードもともに文句のつけようがなかった。
周りのメンバーもそのスピードが信じられないのかどこか呆然としていた様子で。
控えめに笑みを見せる星原さんをただ眺めることしか出来なかった。
その後は目立った当たりも無いまま打撃練習を終えたものの、あの一打だけで彼女の能力は嫌というほどよく分かった。
「星原さん、お疲れ様」
「安島先輩、今日はありがとうございました」
「愛里の言う通りだったよ、君の足は本当にすごい、是非とも野球部に欲しい逸材だ」
そう称賛すると星原さんは頬を赤らませたが、すぐに表情を引き締め直してこう言った。
「……少し考えさせて下さい、できるだけ早くお返事させていただきます」
「分かった、いい返事を貰えることを期待しているよ」
即答は得られなかったが、俺はきっと彼女が入部してくれると信じていた。
あの驚異的な内野安打、あれは彼女にとっても野球をプレーすることに対して強烈なイメージを残したはずだから。
きっとそれが彼女の抱えている迷いを振りきってくれたはずだ。
俺の脳裏には先程目の当たりにした内野安打がいつまでも彩られていた。




