全国大会 一年目
年に一度、夏に開催される女子硬式野球の全国大会は東京の神宮球場にて行われる。
その初日に合わせて俺と詩織は東京に戻ってきた。
野球部のメンバー全員で集まって全国大会を観戦する。
予選から圧倒的な強さで勝ち進んだ天帝高校の勢いは全国大会でも止まらない。
大差で危なげなく勝ち進み決勝へと駒を進めていた。
真由の友人である桜庭さんも八番センターでレギュラーを勝ち取っていたが、一番注目すべきは四番打者だった。
東堂桐華さん、一年生ながら名門の天帝高校で四番サードとして出場し続けている。
ここ数試合の彼女のバッティングを見たが生半可なものではなかった。
東堂さんのフォームは独特だ、ゆったりとした構えからバットを斜めに寝かせる。
リラックスした状態から一転強いインパクトでボールを捉え強烈な打球を飛ばしていく。
左打ちのスラッガータイプで長打力を持ちながらその打撃は精密さを兼ね備えている。
打率は四割台後半という数字を残し、本塁打数も今大会に出場した全選手の中で一位だ。
特に得点圏にランナーをおいた場合の打率はなんと七割を超えている。
脅威のクラッチヒッター、その恐ろしさが伝わったのかここ最近は敬遠も増えてきた。
「東堂さんはすごい打者だな、詩織ならどう相手にする?」
「あれだけ満遍なくどこのコースも弾き返してるのはすごいよ、四球覚悟でストライクゾーンの隅ギリギリを突いていくしかないだろうね」
東堂さんは相手投手の左右関係なく安定した成績を残している。
東堂さん自身は特別左が苦手というわけではないようだが、左打者の相手を大いに得意にする詩織であれば優位に勝負することが出来る可能性は十分考えられた。
「……強いて言うなら外角低めが一番安全、少しでも甘く入ったら打たれるだろうけど」
愛里がそう口にする、東堂さんは外角の球を逆方向に強打してスタンドに運ぶことが出来るぐらい柔らかく、そして力強い打撃を身に着けている。
それでも外角に関しては内角よりは打率が低く、特に外角低めは他と比べれば一番打率の低いゾーンだった。
だがそれもあくまで比較的安全、という程度に過ぎない。
愛里の言う通り甘く入れば間違い無くやられるだろう。
そんな紙一重の厳しいコースを攻めるには精密な制球力が必要である。
その点詩織は文句のつけようがない素晴らしいコントロールを持っている。
東堂さん対策には詩織の活躍が欠かせないだろう。
試合が始まった、天帝高校は後攻だ。
天帝高校の三年生エースが初回は三者凡退に相手チームを打ちとった。
球持ちが良く手元で伸びてくる直球と大きく曲がるカーブの組み合わせを軸とするサウスポーで、ここまでは非常に優秀な成績を収めてチームを支えてきた。
しかしその球にそれまでのような球威は感じられなかった。
彼女は地方大会から全国大会まで全ての試合で登板しており、その大部分を自分一人で投げていた。
名門校のエースたるものそのぐらいの連投には耐えないといけないのかもしれないが、それにより疲労が溜まっているのは傍目からも明らかだった。
一方の天帝高校の攻撃、一人ランナーを出して二死一塁で四番の東堂さんに打順を回す。
東堂さんの打撃に期待する観客から大きな声援が飛ぶ。
しかしこの打席でそれを見ることは叶わなかった、一球もストライクが入らないストレートのフォアボールで呆気無く東堂さんが一塁へと歩く。
バッテリーの様子からするとどうにも最初から勝負する気がなかったように見えた。
一塁が空いていたわけではないことを考えるとこれはかなり異例なことだろう。
それだけ東堂さんの打撃を相手が強く警戒しているのだ。
二死一・二塁とチャンスを広げたものの後続が倒れて先制はならず。
東堂さんの第二打席は三回に訪れた、今度は二死無走者の場面。
この打席もストライクゾーンには一球もボールが来ないままフォアボール。
これが故意四球であることに気がついたのだろう、観客席からざわめきが広がり始めた。
そして、このランナーも得点に結び付けられないまま試合は進行していった。
五回の第三打席は第一打席の同じく二死一塁の場面で回ってきた。
そして相手の対応も全く同じ、ストレートのフォアボールが繰り返される。
徹底して勝負を避けるその光景に観客席のざわめきがブーイングに変化していった。
ここもピンチを凌いだ相手チームのナインがそれから逃げるようにベンチへと駆け戻っていく。
そして六回表ついに天帝高校のエースが捕まる。
四球とヒットでピンチを作るとそこから二死までは粘ったもののそこで力尽きてしまう。
打球は外野の前に落ちてランナーがホームを駆け抜ける、一点を先制されてしまった。
そこから後続は断ったが、続く七回表もすんなりとは終わらない。
先頭こそアウトにしたものの次打者にヒット、そして四球を出し一死一・二塁のピンチ。
明らかに彼女は限界だった、マウンドでしきりに汗を拭う仕草を繰り返す。
天帝高校の監督が遅ればせながらピッチャーの交代を告げる。
背番号十番の宍戸真紘さんがマウンドに上がる、一年生の投手だ。
エース以外で登板を記録しているのは宍戸さん一人でこの二人だけで大会を乗り切ってきた。
ここまでの宍戸さんは大会を通じて失点は僅かに一点、防御率一点台と安定した成績を残している。
しかしこれは全国大会、しかもその決勝戦だ。
そのプレッシャーの中で宍戸さんが今までどおりのポテンシャルを発揮できるかどうか。
投球練習を終えてから野手の方に振り向いて声をかける。
宍戸さんが満面の笑みを浮かべていた、口元から覗く白い歯が印象的だ。
その姿はまるでこのピンチを楽しんでいるかのように見えた。
もしそうだとしたらとんでもない強心臓の持ち主である。
その宍戸さんの投球は二球続けて外角、どちらもボール球。
一死一・二塁というこの状況でいきなりカウントを悪くしてしまった。
ピッチャー側が追い込まれてしまってもおかしくない状況だが宍戸さんに動揺は見られない。
三球目は一転してインコース、内角を待っていたのかバッターがスイングする。
ボールは手元で鋭く胸元に食い込んだ、鈍い音と共にショートの正面にゴロが転がる。
打球を処理したショートがセカンドに転送し、そしてファーストへと渡る。
ダブルプレーが完成してスリーアウトチェンジ、大歓声が上がる。
最後の球はインコースのシュートボール、狙い通り内野ゴロを打たせてゲッツーを取った。
これが彼女の持ち味だ、派手な奪三振こそ少ないものの内野ゴロの山を築いて確実にアウトを積み重ねていく。
花より実をとるスタイルだと言えるだろう。
常に勝利が求められる名門の天帝高校の次期エースに相応しい内容に思えた。
このピンチを凌いだことで流れが変わったか、七回裏の九番から始まるこの回の攻撃で一死一・二塁と相手投手を攻め立てる。
ここでバッターボックスには三番打者が入る、ネクストバッターズサークルに東堂さんが姿を現す。
マウンドの相手投手がチラリと東堂さんに視線をやった、それも一度ではなく二度三度と繰り返す。
東堂さんの前に塁を埋めるわけにはいかない、それはよく分かっているのだろう。
それを意識する余り平常心を乱してしまったか。
絶対にストライクを入れないといけない場面なのにストライクが入らない。
ボールが先行し、カウントが苦しくなる。
一度プレートを外して牽制で間をとったりするものの気持ちを立て直すには至らなかった。
フォアボール、東堂さんに繋いだ三番打者がガッツポーズを見せる。
最後のボールが外れた瞬間、マウンド上で相手投手がガックリとうなだれた。
〇対一で相手チームが一点をリードする中、一死満塁で東堂さんを打席に迎える。
塁は全て埋まっている、もう逃げることは許されない。
観客もそれを理解したのかこれまでで一番大きな声援を打席の東堂さんに送る。
相手チームの捕手と内野陣が投手の元へと集まる、既に相手投手は顔面蒼白といった感じだ。
励ましの声を掛けているのだろうが、それでも相手投手が落ち着きを取り戻す様子はない。
試合が再開されての第一球は、その動揺が現れたかのような大きく外角に外れるボール球。
二球目はあやうく東堂さんにぶつかりそうなぐらいのインコースのボール球になる。
ここもボール先行、相手投手は完全に追い込まれていた。
第三球を投げた、真ん中低めのストライクからボールになるカーブ。
東堂さんがこの試合初めてバットを振った。
耳をつんざくような金属音が響き渡る、打球はライトの頭上に上がる。
ライトがバックして打球を追いかける、犠牲フライには十分だ。
しかしまだ伸びる、ライトが思い切り手を伸ばすも打球はフェンスの最上部を直撃した。
外野をボールが転々とする間に三塁ランナーと二塁ランナーがホームインする。
そして、一塁ランナーもホームに滑り込んだ。
走者一掃のタイムリーツーベースで逆転、三対一。
一振りで試合をひっくり返した東堂さんに割れんばかりの歓声が降り注ぐ。
それでも二塁ベース上に佇む東堂さんは無表情で、どこか完璧に仕留めきれなかった自分を恥じているようなそんな雰囲気すら感じさせた。
主砲の放った逆転打、それは試合の流れを反転させるには十分過ぎる一打だった。
続く八回、宍戸さんが力投を見せる。
打者三人を全て内野ゴロで打ち取るらしいピッチングで三者凡退に抑える。
そして最終回、九回表ツーアウト。
最後の打者をセカンドゴロに打ち取ると、マウンド上に歓喜の輪が出来た。
三対一で天帝高校が全国大会を制した。
この試合は改めて東堂さんの圧倒的な存在感を見せつける結果となった。
そして好救援の宍戸さんも最高の仕事をしてみせた。
ピンチで登板した七回表をゴロゲッツーで仕留め、その後も内野ゴロの山を築き上げる。
終わってみればアウト八個のうち七個を内野ゴロで奪いノーヒットに抑えた。
自分の持ち味を存分に出し切った素晴らしい投球内容だった。
一年目の全国大会は、天帝高校が四連覇を達成して幕を閉じた。




