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練習試合 VS 杉坂女子③

 長い守備を終えてベンチにみんなが戻ってきた。

 ベンチに腰掛けた真由が大きく息を吐く、ぼんやりと自分の右手を見つめている。

「大丈夫か?」

 その曖昧な問いかけに対して、真由がこちらを振り向く。

「……私はまだまだだね、打たれるのが怖くて黒崎さんから逃げちゃった」

 自分の力不足を感じているのか俯いたままの真由、右手が強く握られる。

「あんまり自分を責めるなよ、さっきのは仕方のない失点だよ」

 そう声をかけるも首を振られてしまう。


「四番の堀越さんにもカウントに余裕があったのに甘く入っちゃったし、こんなんじゃ点を取られるのも当然だよ」

 どうやら三失点のショックがまだ抜けきっていないようだ。

「まだ四回だ、試合が終わったわけじゃないし次があるんだからそこで取り返せばいい話だ」

「うん……そうだね」

 それでも真由はまだどこか前のプレーを引きずっている様子だ。

 ここから立ち直れるかで真由の真価が問われることになるだろう。

 復帰後初登板をなんとか本人の納得いく形で終えてほしいとそう願った。

 

 四回裏の攻撃、先頭バッターは四番の樋浦さん。

 その樋浦さんが直球を叩いて三遊間を破るレフト前ヒットを放った。

 これがチーム二本目のヒット、クリーンヒットは初めてだ。

 やはり黒崎さんは好投手だ、なかなかヒットは打たせてもらえない。

 無死一塁とランナーを出してここからどう攻めていくか。


 樋浦さんがランナーに出たのを見て一塁ベースコーチの位置に羽倉さんが向かった。

 ベースコーチには打順の遠い野球経験者が持ち回りで入るという風に試合前に決めていた。

 ランナーの樋浦さんに何か声を掛けてからすぐに戻ってきてネクストに入る。

 何か黒崎さんのモーションに関するアドバイスでも送ったのだろうか。


 しかし羽倉さんとは違い樋浦さんは典型的なスラッガータイプで走塁面の能力は高くない。

 単独スチールのような作戦を取ることは難しいだろう。

 五番の真由は打席に入るとバントの構えを取った。

 特にサインは出していないが自分の判断で送るつもりのようだ。

 だがこの作戦はどうだろうか。

 六番の羽倉さんは今日いい動きをしているが、七番の広橋さんが未知数の状態。

 そして八番九番に回ってしまえばチャンスをものにするのは難しい。

 そこに回る前に勝負を決めないといけない、そういう状況だ。

 送ってチャンスを作ってプレッシャーを掛けたいのは分かるが、以上の状況を考えるとここでアウトカウントを一つ献上するのは少し惜しい気もした。

 そして真由のバント技術は前にみた練習の感じでは可もなく不可もなくといったところだ。

 それで速球派の黒崎さんから上手くバント出来るかという点も不安だった。


 その不安が的中した、高めの難しいストレートを真由がバントするも打球は上がってしまう。

 打球はピッチャーへの小フライとなってランナーは進塁出来ず、一死一塁と変わる。

 真由が肩を落としてベンチに戻ってくる。

「なんとかランナーを進めたかったんだけど……ごめんなさい」

 励ましの声が他のメンバーから飛ぶが真由は俯いたままだ。

 投球内容が下り坂の中でのバント失敗、これが精神的負担にならないと良いのだが。


 六番の羽倉さんが打席に入る前にこちらを見た。

 視線を合わせると、エンドランの後にキャンセルのサインを出してきた。

 恐らく初球からではないが、あるタイミングでエンドランを仕掛けたいということだろう。

 黒崎さんが一塁に牽制球を投げる。

 ランナーは平均より足の遅い樋浦さんだが相手にそのデータは無いはずだ、既に二回盗塁でかき回されているので警戒しているだろう。

 盗塁警戒も相まってかボールが先行する、ツーボールノーストライクだ。

 仕掛けるならここだろう、エンドランのサインを送る。

 黒崎さんがモーションに入ると同時に樋浦さんがスタートを切る、アウトコースにボール気味のストレートが投じられる。


 羽倉さんが右方向にそれを流し打つ、打球はセカンドの守備範囲へのゴロとなった。

 しかしセカンドは盗塁のベースカバーに入っており一二塁間が大きく開いていた。

 慌ててセカンドが反転して打球に手を伸ばすが届かない、ライト前に抜けていく。

 スタートを切っていた樋浦さんは余裕を持って三塁に到達した。


 エンドラン成功で一死一・三塁とチャンスを広げる、見事な右打ちだった。

 バッターボックスに七番の広橋さんが向かう、外野フライでも一点の場面だ。

 初球は低めのスライダーで大きな空振りを取られる、マズイものを見られてしまった。

 広橋さんはとにかく変化球に弱いのだ、全くバットに当たらないといってもいい。

 それが今のスイングで露呈してしまった感じがあった。


 キャッチャーの森岡さんもそれに気づいたのか二球目もスライダー、ビデオを再生しているかのような空振りが繰り返される。

 ランナーが三塁にいるためフォークは投げづらいだろう、なんとかスライダー一本に絞ってバットに当ててくれないだろうか。

 そう願ったが、続くボールもスライダーであえなく空振りの三振に倒れた。


 これで二死一・三塁となりバッターは八番の詩織、得点するのは難しいだろう。

 初球のストレートにバットを出すも空振り、ボールとバットが大きく離れている。

 返球を受けてから黒崎さんがセットポジションに入る、その時一塁ランナーの羽倉さんが一歩飛び出してしまった。

 それを見た黒崎さんがプレートから足を外さず一塁に牽制球を投げようとする、それと同時だった。

 三塁ランナーの樋浦さんが猛然とスタートを切った、相手の守備側から声が上がるものの黒崎さんはプレートを外さない一塁への牽制モーションに既に入ってしまっている。

 ここで牽制を中断すればボークを取られるため黒崎さんはそのまま一塁に牽制するしかない。


 ファーストがボールを受けてすぐさま本塁に送球する、樋浦さんが足から滑りこむ。

 激しく砂埃が舞う、タイミングはセーフのように見えた……が審判の右手が上がっている。

 樋浦さんのスライディングを森岡さんが左足で完全にブロックしていた、ベースに足が届いていない。

 スリーアウトでチェンジ、得点は入らない。

 しばらく立ち上がれない樋浦さんを羽倉さんが引き起こす、慰めるように背中を叩いた。

 今のはフォースボークと呼ばれる奇襲作戦だ。

 一塁ランナーがわざと飛び出して牽制を誘い、その隙に三塁ランナーがスタートしてホームを狙う。

 ピッチャーが慌てて牽制を途中で中断すればボークで生還出来る。

 左投手の黒崎さんからは三塁ランナーが見えづらいことを生かしたものだ。

 そういう作戦だったがあと一歩及ばなかった。

 先ほどランナーに出た樋浦さんに声をかけたのはこれの打ち合わせだったのだろう。


「樋浦さん、羽倉さんナイスファイトだったよ、狙いはすごく良かった」

 森岡さんの好ブロックが無ければ得点が入っていたかもしれない、紙一重だった。

「正面から行き過ぎました、私が上手く回りこんでいれば……」

 樋浦さんがそう自分の走塁を悔やむ。

「あれは森岡さんのファインプレーですよ、仕方ないです、でも……氷室さんのためにもなんとか結果を出したかったです」

「そうだね……」

 

 その言葉は二重の意味が込められているだろう。

 単純に真由への援護点を入れるという意味が一つ。

 もう一つは送りバントを失敗してしまったそのミスをなんとかカバーしたかったのだろう。

 それが失敗した今、流れは杉坂女子へと傾いているように感じた。


 五回の表裏はお互いに三者凡退に終わった。

 そして六回の表の先頭打者は三番の黒崎さん、三度目の打席となる。

 そのマウンドに真由の姿はなかった。


「成宮さんと交代させて下さい」

 五回の裏が終わった時にそう真由に志願された。

「体力的にきついのか?」

 そう尋ねると真由は首を振った。

「ううん、でも今の私じゃ杉坂女子のクリーンナップは抑えられないから……」

 そうハッキリと負けを認めた、ここまでの失点で心が折れてしまったのだろうか。


「お姉ちゃんはまだ投げられるよ! 次の回で私が出て逆転するから!」

 奈央ちゃんがそう主張する、その頭を真由が撫でる。

「ありがとう、奈央……でももう十分だよ、私はチームのために交代するの」

「チームのため、か」

「うん……私だって負けたくないから、今勝つための最善の道は成宮さんをマウンドに上げることだよ」

 その瞳には後ろ向きな物は感じられなかった、ただ純粋にチームのための選択なのだろう。

「分かった、交代しよう」

「ありがとう修平……今はまだ力不足だけど、次はもっと成長して抑えてみせるから」

 強い決意が感じられる、これならば次回登板に期待が持てるだろう。

 真由は五回三失点の内容でマウンドを降りることとなった。


 真由がファーストに入り、詩織がマウンドに上がる。

 投球練習を見ていても構えたところにビシっと制球されている、調子は悪くないようだ。

 相変わらず惚れ惚れするようなコントロールで感心してしまう。


 投球練習が終わり、試合が再開される。

 三番の黒崎さんが左バッターボックスに入った。

 その初球はアウトローいっぱいにストレート、ストライクを取る。

 詩織はプレートの一塁側ギリギリを踏んでサイドスローで投球している。

 ベースを対角線に横切るようにボールを投じるクロスファイアで詩織は左打者に対して圧倒的な強さを誇っている。

 左打者にとってしてみれば、背中からボールが来るような感覚を覚えるだろう。


 続くボールはアウトコースいっぱいに大きく曲がるスライダー、手も足も出ないボールだ。

 三球目も外にスライダー、これは僅かにボール球になる。

 追い込んでから膝下へのボール、伝家の宝刀スクリューボールだ。

 呆気無くバットが空を切った、空振りの三振。

 やはり詩織の左キラーぶりは健在だ、強打者黒崎さんを完璧に打ちとってみせた。


 しかしまだ気は抜けない、四番の堀越さんが打席に入る。

 ここでも低めにきっちりとボールをコントロールしていき、低めのカーブを引っ掛けさせてサードゴロに打ちとった。


 続く五番打者はスライダーで空振りの三振、スリーアウトだ。

「さすが詩織だな、左ならどんな相手でも苦にしない」

「それが取り柄だからね」

 そう謙遜しながらも誇らしげな笑顔を見せる、自分でも絶対的な自信があるのだろう。

 相手のクリーンナップを完璧に抑えてみせたのだ、これで勢いに乗って行きたい。


 六回裏、二番の奈央ちゃんからの攻撃。

 なんとか先頭打者として出塁して欲しいところだったが、フォークボールで三振に倒れた。

 三番の天城さんが右打席に入る、先程はいい当たりだったがセンターフライだった。

 初球を見逃してからの二球目、インコースのスライダーに対して上手く腕を畳んだ。

 体を少し開いて捉えた打球はレフトの頭上を越えていく、ツーベースヒット。

 これが初めてのロングヒットだ、さすが天城さんといったところか。


 一死二塁のチャンスで四番の樋浦さん、絶好のチャンスだ。

 初球のスライダーを空振り、そのスイングに力みが感じられた。

 先ほどの見事なクリーンヒットが嘘かのように真ん中付近の速球を打ち上げてしまう。

 サードへのフライに倒れた、これでツーアウト。


 打席に真由が入る、追い込まれてからの三振に倒れた打席を反省して早いカウントからという気持ちが強かったのだろう。

 初球から振っていった、バットにボールが当たる。

 しかしこれは完全な力負けだ、ボテボテのピッチャーゴロが正面に転がり一塁アウト。

 真由が天を仰いだ、この回得点を返すことは出来なかった。

 一死二塁のチャンスを逃し、二対三のビハインドのまま試合は終盤へ突入した。

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