練習試合 VS 杉坂女子②
二回の表は真由が相手打線を三者凡退に切って取った。
この回の攻撃は六番から始まったのだが危なげなくスリーアウト。
こちらと同じく杉坂女子も上位打線と下位打線で大きく力量に開きがあるようだ。
そして二回の裏のこちらの攻撃、先頭バッターとして五番の真由が打席に入る。
ワンボールツーストライクと追い込まれてから二球粘ったものの、最後はフォークボールで三振に倒れた。
黒崎さんは初回よりはコントロールが安定している、どうやら立ち直ってきたようだ。
「あのストレートとフォークの組み合わせられると厳しいね」
ベンチに戻ってきた真由がそう漏らす。
打席のことは忘れてピッチングに気持ちを切り替えて欲しいところだ。
続いて六番の羽倉さんが打席に入る、その初球だった。
黒崎さんがボールをリリースする直前に羽倉さんがバットを横に寝かせる。
バントしてボールをサードの前に転がした、上手いバントだ。
完全に不意を突かれたサードが慌てて前進してくるものの、一塁には投げられない。
羽倉さんが見事なセーフティバントを決めた、これで一死一塁だ。
次打者の広橋さんが打席に入っても羽倉さんの動きは止まらない。
ピッチャーの黒崎さんを挑発するかのように大きなリードを取る。
それを見て牽制を入れられるものの頭から戻る、まだ余裕がありそうだ。
基本的に左投手相手にはリードを取りづらいものだ。
しかし黒崎さんの牽制は今のを見た限りお世辞にも上手いとは言えない。
それを見た羽倉さんが攻める、更にリードを広げ黒崎さんにプレッシャーをかける。
もう一度牽制、先ほどよりは際どいタイミングだが十分にセーフ。
初回に愛里に盗塁を決められ、それが失点につながっているため相手の警戒も強い。
黒崎さんがじっくりボールを持ってから、今度はキャッチャーに投げた。
大きく外すウエストボール、羽倉さんはスタートを切らなかった。
そしてまた牽制球、しかし傍目からはこの牽制では何度繰り返そうと羽倉さんを刺すことは出来ないように見えた。
羽倉さんの帰塁が良いのだ、スタートかバックかの判断が早い。
次のボールでついに羽倉さんがスタートを切った。
ウエスト気味のボール球のストレート、まだ相手は盗塁警戒を解いてはいなかった。
キャッチャーの森岡さんが素早く二塁に送球する、悪くない送球だ。
羽倉さんがスピードを落とさず足から二塁に滑りこんだ。
タイミングは際どいがタッチが間に合わない、盗塁成功となった。
厳しい警戒を掻い潜った見事なプレーで一死二塁とチャンスメイクした。
森岡さんはベストを尽くしたが、それでも羽倉さんを刺すには至らなかった。
盗塁阻止は投手と捕手の共同作業、クイックが遅ければ阻止するのは難しい。
盗塁警戒のウエストにより、打者の広橋さんに対してツーボールノーストライクとカウントを悪くしている、ここがチャンスだ。
羽倉さんが少しずつだが黒崎さんを追い詰めつつあった。
二塁に進んでも羽倉さんは相変わらず大きなリードを取る。
三盗を意識させることで黒崎さんはランナーを無視することが出来ない。
振り返って二塁に牽制、羽倉さんが手から帰塁する。
黒崎さんは無表情なピッチャーだが、それでもかなりランナーに対して神経質になっているのは伝わってきていた、
再び牽制球、今度は先程より早い牽制だ。
なんとかして羽倉さんを刺したかったのだろうがそれが裏目に出た。
その牽制球がカバーに入ったセカンドの頭上を大きく越える暴投となってしまった。
素早い牽制を意識するあまり送球が疎かになってしまったのだろう。
センター前にボールが転がる間に羽倉さんが三塁を陥れる、これで一死三塁となる。
マウンドの黒崎さんが帽子を取って汗を拭った。
肉体的な疲労というよりは精神的にかなりの負担がかかっているだろう。
ランナーが三塁に進塁したことを受けて、相手の内野が前進してくる。
まだ序盤だが一点もやらないという守備シフトを敷いてきた。
杉坂女子側もあまり得点力には自信がないはずだ、これ以上の失点はどうしても防ぎたいという意図が透けて見える。
黒崎さんが一度プレートを外して一つ間をとった。
そしてゆっくりとセットポジションに入る、その姿は先程より落ち着いて見えた。
まずいな、直感的にそう感じる。
ランナーが三塁まで進んだことでバッター勝負出来る環境が整ってしまった。
ある程度バントが出来るのであればスクイズという選択肢もあるが、広橋さんはバントの練習は全くしていない。
そしてケースバッティングが出来るような器用さもないため、後は広橋さんの打撃に賭けるしか無いといった状況だった。
ツーボールノーストライクからの三球目、外よりのストレートに対してバットが出た。
打球はセカンド方向に飛んだ、思ったよりも強いゴロだ。
これでは三塁ランナーは動けない、そのはずだった。
しかし羽倉さんはスタートを切っていた、捕球したセカンドがすかさずバックホームする。
タイミングはアウト、だが想定外のスタートに慌てたのか送球が一塁側に逸れている。
そして羽倉さんはそれを見逃さなかった。
体を大きく三塁側に投げ出して回りこむように本塁に滑りこむ。
ベースに触れようと左手を必死に伸ばす、勢い余って体が転がる。
送球を受けた森岡さんがタッチをしにいくも送球が逸れた分タッチが間に合わない。
判定はセーフ、記録はフィルダースチョイスで羽倉さんが生還した。
みんながベンチに戻ってきた羽倉さんを出迎える、ホッとした表情が印象的だった。
俺は羽倉さんに一つ聞きたいことがあった、ベンチに座った彼女に声をかける。
「羽倉さんはどうしてあんなにいいスタートが切れたんだ?」
三塁ランナーの羽倉さんのスタートの早さは普通ではなかった。
それにより本来ならば本塁を伺うことすら許されないような強いゴロ、しかも前進守備を相手にしても本塁に突入することが出来たのだ。
「あれはギャンブルスタートです、バットに当たるなら何でも突っ込むつもりでした」
なるほど、最初から帰塁を考えていなかったからこそのあのスタートだったわけだ。
「しかしまた……随分と思い切りがいいんだな」
もしもライナーが飛んだ場合確実に併殺になるだろう、リスクの高いプレーだ。
「ハイリスクなのは重々承知です、それでも広橋さんの後ろが詩織ちゃんと初瀬さんですから」
羽倉さんの言う通りだ、確かにその二人の打撃ではどちらにしても生還出来る可能性は低いだろう。
リスクを冒すべくして冒し、一点をもぎ取ったわけだ。
一連のプレーには羽倉さんの野球センスと様々な技術が詰め込められていた。
まず最初に決めたセーフティバント、あれは高いバント技術が無いと成功しなかっただろう。
そして盗塁技術、厳しい警戒をものともせず見事なスタートを切ってみせた。
最後に走塁技術、タッチを掻い潜ったあのスライディングは素晴らしいの一言だ。
判断力、決断力にも目を見張る物があり野球脳の高さをみせつけた。
何でもこなせる選手だという印象は持っていたが、ここまで高水準のプレーが出来るとは思っていなかった。
その後は羽倉さんの見通し通り、一死一塁から詩織と初瀬さんが連続三振に倒れた。
それだけにあの思い切りの良い走塁が光る結果となった。
勝ち越しの一点を手にして二対一と一点リードで三回表に入り、真由がギアを上げた。
九番から始まるこの回も見事に三人で抑えて見せた、中軸以外のバッターは真由のスピードについてこれていない様子だ。
三回裏のこちらの攻撃は一番の愛里から始まったが、先頭の愛里はスライダーで三振。
二番の奈央ちゃんは惜しい当たりのファール飛ばしたものの最後はフォークで三振。
続く三番の天城さんはストレートを捉えた、センターの頭上に打球が飛ぶ。
しかしセンターが背走しながらボールをキャッチしてスリーアウトとなった。
黒崎さんも回が進むにつれて本調子になってきた様子だ、ここから追加点を取るのは難しいかもしれない。
試合は中盤の四回表に入った、杉坂女子のクリーンナップから始まる攻撃。
三番の黒崎さんが打席に入る、第一打席にスリーベースヒットを打たれた要注意人物だ。
前の打席に完璧に捉えられているせいか真由が投げにくそうにしている。
ツーボールノーストライクとボールが先行、先ほどと同じパターンだ。
ここから甘い球は投げられないという強い意識のせいか、大きく投球が外れる。
そのままストライクが入らない、ストレートのフォアボールで黒崎さんをランナーに出してしまった。
無死一塁となり迎えるは四番の右打者堀越さん、先ほどはセカンドゴロエラーという記録だったが右方向へ意識を向けた打撃には内容があった。
初球はアウトコースにスライダー、見逃しでストライクを取る。
二球目にインハイのボール球のストレートで体を起こし、三球目にアウトローのストレートで追い込む。
ここまでの組立ては上手くいっている、あとはどう仕留めるか。
愛里は外のスライダーを選択した、カウントに余裕があるのでボール球でもいい場面だ。
しかしそのスライダーが少し甘く入った、堀越さんが真ん中外よりのスライダーを右方向に弾き返した。
打球はライトへ高々と上がった、ライトの広橋さんが下がっていく。
広橋さんがこちらに振り返り捕球体勢に入る。
だが打球が思ったより伸びる、こちらを向いてから再び後ろに下がる。
最後に思い切りグラブを伸ばすが打球はその先をすり抜けていった。
広橋さんが走ってボールを拾いにいくものの完全に長打コースだ。
大きなフライに対して目測を誤ってしまう痛恨の後逸となった。
一塁ランナーの黒崎さんがホームイン、打った堀越さんは三塁へ。
マウンド上で真由がガックリとうなだれる。
記録はスリーベースヒット、いい当たりではあったがアウトにしてほしい打球だった。
これで同点、試合の行方はまたわからなくなった。
しかも無死三塁とピンチが続く、一気に崩れてしまわないかが心配だった。
五番打者を打席に迎える、前進守備のシフトを敷く。
外野フライも許されない場面、ここは低め低めの配球をする必要があるだろう。
その考えは愛里にもあったのか徹底して低めを要求するリード、ツーボールツーストライクと追い込んでから最後は外のスライダーで三振。
これでまず一つアウト、なんとか落ち着きを取り戻してほしい。
次の六番打者に対してはワンボールワンストライクの平行カウントになる。
三球目、アウトローへのスライダーに体が泳いだ。
ボテボテのファーストゴロ、三塁ランナーがホームに突っ込んでくる。
それを見たファーストの詩織が送球を焦るあまり平凡なゴロを掴み損ねてしまった。
慌てて拾い直すも時既に遅し、三塁ランナーはホームに滑りこみバッターランナーもファーストを駆け抜けた。
記録はファースト詩織のエラー、これでついに逆転を許す形になってしまった。
何とか後続は断ったものの、調子の出てきた黒崎さんが相手であることを考えると失ったこの一点は致命的かもしれない。
二対三の一点ビハインドで四回表を終える、急造のチームに綻びが見え始めていた。




