練習試合 VS 杉坂女子①
日曜日、ついに試合当日だ、杉坂女子のメンバーがやってくる。
その中に黒崎さんと森岡さんの姿を見つけた、森岡さんがこちらへやってくる。
「安島さん、今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく、先発は黒崎さん?」
「はい、今日は一年生中心のメンバーになってます」
それを聞いて一安心だ、黒崎さんならば相手にとって不足はない。
「そっか、お互い得るものの多い試合になるといいね」
そう言って、右手を差し出す。
一瞬戸惑ってから手を握り返される、両手で包み込むように握られて意識してしまう。
慣れていないのか森岡さんは少し照れているようだった。
「それじゃ、準備してきますね」
そう言って森岡さんは更衣室に向かった。
うちの打線が黒崎さん相手にどこまで通用するか、今から楽しみだった。
「山本先生、休日に来ていただいて申し訳ありません」
「いいのよ、私が顧問を引き受けたんだから」
顧問の山本愛先生は国語の教師だ、今年から新しく教師になった新任の先生である。
野球に関する知識は全くなかったものの頼み込んで何とか顧問になってもらった。
「愛ちゃんだー、やっほー」
広橋さんが通りすがりにそう先生に声をかける、山本先生はいつもこんな感じでみんなに親しまれている。
「すみません、先生に対してあんな口の利き方で」
「ううん、親しみを持ってくれてると思えば私は気にならないから」
先生が気にしていないのならばいいのだが、物事には限度がある。
無理に顧問を引き受けて貰ったのだから、なおさら礼儀を通さなくてはいけない。
「安島くんが私のことをちゃんと扱ってくれるだけで嬉しいよ」
そういってニッコリと笑う、その笑顔に不意打ちされてしまう。
「いえ、当たり前のことをしているだけで……」
緊張しながらそう返すのが精一杯だ、先生は自分の魅力を理解していないのだろう。
山本先生は女子大を出たばかりの若い先生で、大人びてるというよりは子供っぽくて可愛らしい印象が強い。
「私はずっと女子校の出身だったから男の子の生徒を持つって聞いて緊張してたんだけど、安島くんが優しい子で良かったな」
「男だからって暴れまわったりはしませんよ」
未知の相手だから仕方がないけれど、男に対してどんな先入観を持っているのだろうか。
「これから野球のことも頑張って勉強するから、安島くんよろしくね」
「出来る事は何でも協力しますから、遠慮無く言ってください」
顧問を押し付けてしまったのに、積極的に野球のことを知ろうとしてくれている。
その天使のような優しさに今は甘えさせてもらうことにした。
俺は杉坂女子の試合前のシートノックを眺めていた。
ひと通りみたが守備のレベルはあまり高くない、付け入る隙は十分にありそうだ。
そんな中、天城さんがぼんやりと外野の方を眺めていることに気がついた。
どうやらセンターを守っている女の子を見ているようだ。
「天城さん、どうかした?」
声をかけてみるも、何でもないという風に首を振られる。
その間も彼女から目を離さない、じっとその動きを見つめている。
「ごめんね、茜……それでも私は……」
そう呟くのが耳に入った。
茜、あのセンターの女の子の名前だろうか。
気になったものの本人が何でもないという態度である以上追求も出来なかった。
試合が始まった、先攻は杉坂女子。
スターティングメンバーは以下のように決定した。
一番 キャッチャー 安島愛里
二番 ショート 氷室奈央
三番 センター 天城
四番 サード 樋浦
五番 ピッチャー 氷室真由
六番 レフト 羽倉
七番 ライト 広橋
八番 ファースト 成宮
九番 セカンド 初瀬
まず、左打ちの俊足で選球眼もいい愛里を一番に置く。
続く二番に総合的な打撃力のある奈央ちゃんを据えた、彼女もなかなか足が速い。
三番はチームで一番のヒットメーカーである天城さん、打線の中軸を担うに十分な実力だ。
そして不動の四番である樋浦さん、長打に期待がかかる。
五番には真由に入ってもらうことにした。
中学で三番を打っていたというだけあり打撃力はなかなかのものだ。
六番以降は順当に打撃力の順番に並べてみたといった感じだ。
羽倉さんと広橋さんの配置に迷ったが、広橋さんはフリースインガーであることを考えて下位で楽に打たせることにした。
八番九番は自動アウトとしても上位の流れで十分得点が期待できる打線だろう。
あとはどこまで黒崎さんの速球に食らいついていけるかだが、こればかりは蓋を開けてみなければ分からない。
先発投手の真由がマウンドに登る。
いつものようにハンカチを鼻に押し当てて大きく深呼吸を一つ。
まずは投球練習を行う、極度の緊張状態というわけでもなく問題なくそれを終えた。
最後の一球を受けた愛里が盗塁を想定して二塁に送球する。
ワンバウンドとなったものの、ベースカバーに入ったショートの奈央ちゃんが足元に構えたグラブに綺麗にボールが飛び込んだ。
愛里はあまり肩が強くないものの送球の正確性はピカイチだ。
取ってから投げるまでも非常に早く、その弱点を十分にカバーしていた。
左のバッターボックスに先頭打者が入る、大事な復帰後初登板だ。
初球、ストレートがアウトコースに決まる。
なかなかのスピードだ、これならそうそう打ち込まれることはないだろう。
ボール球を一球挟んでから今度はインコースのストレートで相手を追い込む。
最後は同じコースにスライダー、バットが空を切った。
ストレートと大差ないスピードで切れ込むスライダーは大きな武器になるだろう。
二番打者は初球のストレートを打ってあっさりとショートゴロに倒れた。
ファーストの詩織がきちんと捕球できるかヒヤヒヤしたものの、ショートの奈央ちゃんの送球は胸元への完璧な送球で事なきを得た。
これでツーアウト、警戒しなくてはいけないのはここからだ。
三番にピッチャーの黒崎さんが据えられているのだ、ゆっくりと左打席に入る。
練習試合で一年生中心のメンバーとはいえピッチャーでありながら三番打者。
それ相応の打力があることが予想される、ここは慎重に攻めてほしい。
愛里もそれは十分に分かっているのか初球、二球目と共にボール球から入った。
三球目、カウントを取りに行ったスライダーを狙われた。
芯で捉えた打球はライトの頭上を遥かに超えてフェンスにまで到達する。
黒崎さんが二塁ベースを蹴った、既にライトの広橋さんが中継に入ったセカンドの初瀬さんに送球したところだ。
タイミング的には完全な暴走、だが広橋さんの返球は大きく逸れた。
セカンドの頭上を超えたその暴投を慌ててピッチャーが処理しにいく。
スリーベースヒット、ランナー三塁のピンチを迎える。
しかしツーアウト、ここでなんとか切って欲しい。
バッターボックスに四番でセンターの堀越さんが入る。
先ほど天城さんが気にしていた相手だ、相手チームの四番だったとは。
初球ボール球からの二球目、アウトコースのストレートを打たれる。
打球はピッチャーの手前で大きく跳ねた、真由が手を伸ばすも頭上を越える。
セカンドベースの横、セカンド寄りに打球が抜けていく。
勢いは無いもののバウンドが高い難しいゴロ、初瀬さんが必死に追いかける。
何とか逆シングルでグラブにボールを収め、体を捻って一塁へ。
崩れた体勢からの送球になった、ワンバウンドでしかもライト方向に少し逸れている。
そんな難しい送球を急造ファーストの詩織に止めろというのは無茶な話だった。
ボールが後ろに逸れる、カバーに入ったキャッチャーの愛里がボールを拾い上げる。
三塁ランナーの黒崎さんが悠々と生還、守備の乱れで先制を許す形になってしまった。
黒崎さんと堀越さん、この二人のプレーには光るものがあった。
この得点は黒崎さんの暴走と紙一重の好走塁があってこそだったし、堀越さんも右方向へという意識が打撃に感じられた。
おそらく試合前のシートノックでライト方向の守備が弱点だというのが見ぬかれていたのだろう。
そうであれば黒崎さんのあの走塁も納得がいく、してやられたという感じだ。
続く五番打者は三振に打ちとってスリーアウトチェンジ、しかし先制点を許してしまった。
「ごめんなさい、送球が逸れちゃいました」
肩を落としながらベンチに帰ってくる初瀬さん。
「気にするなよ、あれは難しいプレーだったから仕方ない」
その背中を軽く叩いてやるが、まだ気持ちの整理が出来ていないようだった。
「そうそう、私の方がもっと酷かったんだから」
その一方で広橋さんはあっけらかんとした態度だった。
「ごめんね氷室さん、次は気をつけるから」
そう真由に一つ謝罪を入れると、今度は先頭打者の愛里に声援を送る。
これが広橋さんのいいところだ、助っ人の経験が豊富であるせいかプレッシャーに強い。
そしてミスを引きずらない、気持ちの切り替えが上手いのだ。
こればかりは後から容易に身につくものではない、本人の性格の問題だ。
この性格は一つ広橋さんの大きな武器と言えるだろう。
黒崎さんが投球練習を行う、そのスピードにこちらのベンチがどよめいた。
「はやいねぇ……」
感心したように奈央ちゃんがそう漏らした。
「打つのは難しそうか?」
「私じゃなかったらね」
そう言っていたずらっぽい笑顔を見せる奈央ちゃん、それだけ余裕があれば大丈夫そうだ。
ストレートと決め球のフォークに加えて、スライダーも投げるようだ。
「あのフォークは厄介ですね、追い込まれる前に決めたいところです」
頭の中で打席のプランを練っているのだろう、それに期待させてもらうことにした。
一番打者の愛里が左打席に入る、なんとか出塁して得点のチャンスを作って欲しい。
黒崎さんが大きく振りかぶって第一球を投げた、快速球だったが高めに外れるボール球。
二球目は真ん中付近のストレートでストライク、愛里はあっさりと見送った。
次のボールは大きく外高めに外れるボール球だった。
これでカウントはツーボールワンストライク、ここまでストライクとボールがハッキリしている様子だ。
四球目はワンバウンドするボール球となった、これも投げた瞬間ボールと分かる球だ。
そして最後はアウトコースに大きく外れてフォアボール。
労せず愛里が出塁する、大事なランナーだ。
この打席を見る限り黒崎さんは荒れている、この回になんとか点を返したい。
続く二番の奈央ちゃんに対しても初球がボール球、なかなかストライクが入らない。
ランナーを出してセットになったことで、どこか投げにくそうだ。
その隙を一塁ランナーの愛里は見逃さなかった、次のボールでスタートを切る。
それを見た奈央ちゃんが空振りで盗塁を支援する。
森岡さんが二塁に送球するものの悠々セーフ、盗塁成功でランナー二塁となった。
黒崎さんはどうやらクイックが苦手なようだ。
セットから投げているもののリリースまでにそれなりに時間がかかっている。
それもあり森岡さんの送球は悪くなかったものの余裕を持ってセーフとなった。
カウントがワンボールワンストライクとなってから一球見逃してストライク。
今のはコースに決まった難しいボールだ、見逃しで正解だろう。
次のボールはアウトコースへの外に逃げていくスライダーだった。
左打者にとってサウスポーの外へのスライダーは難しいボールだ。
しかし奈央ちゃんは見事にそれに対応してみせた、片手一本で強引にセカンド方向にゴロを飛ばす。
セカンド正面の緩いゴロ、これが二塁ランナーの愛里を三塁に進める進塁打となった。
追い込まれながらきっちり最低限の仕事をしてみせた、貫禄のあるワンプレーだ。
「いいとこにスライダーが来ましたね、やられました」
残念そうにベンチに戻ってくる奈央ちゃん。
「あれを進塁打にしただけすごいよ、いい打撃だった」
「そう言って貰えると助かります、追い込まれてたんでフォークだったらヤバかったです」
ワンナウトランナー三塁となって打席には三番の天城さん。
スイッチヒッターということで、左の黒崎さんに対しては右打席で相対する。
最低でも外野フライが欲しい場面、それを踏まえて天城さんがどういう打撃をするかだ。
初球だった、ボール気味かというぐらいの高めのストレートを叩く。
打球は高々と上がる、レフトが定位置より後ろに下がってからボールを捕球する。
犠牲フライには十分な距離だった、三塁ランナーの愛里がホームイン。
ベンチに戻ってきた愛里と天城さんの二人とハイタッチを交わす、これで同点だ。
「初球打ちとはめずらしいな」
天城さんは慎重にボールを見て追い込まれてから粘るタイプだと思っていた。
「黒崎さんの場合追い込まれるとフォークがあるからね、早いカウントからでもベルトより上は打とうと思ってたの」
なるほど、打撃スタイルも臨機応変と言うわけだ。
また一つ天城さんの凄さを垣間見た気がした。
続く四番の樋浦さんはフォークボールで空振りの三振に倒れてスリーアウト。
愛里と奈央ちゃん、そして天城さんの三人がノーヒットでもぎ取った一点はチームとして奪った一点だ。
早くもこれからのプレーが楽しみになるような素晴らしいものを見せてもらった。
初回から早くも試合は動き始めた、行く末はまだ見えない。
みんなが二回表の守備へと散っていく、試合はまだ始まったばかりだ。




