杉坂女子
今日はグラディーレでのバイトの日だ。
お客様に呼ばれて注文を取りに行く、その相手の顔には見覚えがあった。
「ご注文はお決まりですか?」
「ミルフィーユと紅茶を一つお願いします」
彼女はいつもと同じ注文を俺に告げた。
「かしこまりました、少々お待ちください」
「いやー、安島さんこれはもう間違いないですよ」
バックヤードに戻ると永原さんがニヤニヤしながら俺を出迎えた。
「ん? 何の話だ?」
「またまた、安島さんだって本当は気づいてるんじゃないですか?」
何の話か分からないが、永原さんにとってしてみれば興味深い話のようだった。
「もう、あのお客さんのことですよ! いつも来てるじゃないですか」
考え込んでいると永原さんに背中を叩かれる、確かに彼女はいつも来ているけれども……。
「常連さんがそんなに珍しいか?」
俺がそう言うと永原さんがようやく何かに気づいたかのような表情を見せる。
「そっか、安島さんからしてみれば気づかないですよね……あの子、安島さんがいる日しかここに来ないんですよ」
「……そうなのか?」
「はい、間違いありません」
「……いやいや考え過ぎだよ、偶然に決まってるじゃないか」
前の桜庭さんの時だって勘違いだったじゃないか、今回もそうに決まってる。
そう思いながらも彼女の様子をもう一度伺う。
うん、なかなか……いや、かなり可愛い子ではある。
一度そう意識してしまうと彼女のことが気になって仕方がなかった。
しかし俺から声をかけるわけにもいかない。
結局なんらアクションを起こすこともないまま、彼女が席を立った。
レジへと向かい、会計を済ませる。
「あの……安島さん、ですよね?」
お釣りも手渡しあとはもう彼女が帰るだけ、そんなタイミングで声を掛けられた。
「はい、そうですが」
そう返事をすると彼女は一度大きく深呼吸をしてから一気にこうまくし立てた。
「これ……私の番号ですっ! ご迷惑でなかったら電話して下さい!」
折りたたんだ紙切れを手渡され、彼女はそのまま早足に店を後にしてしまった。
広げて見ると携帯の電話番号がそこには書かれていた。
その行為の意味を想像して、思わず口元が緩むのを感じる。
「あーじまさん、見ちゃいましたよー」
永原さんに後ろから声を掛けられる、どうやら一部始終を見られていたらしい。
「な、なんだよ」
反射的にポケットに紙を押し込む。
「誤魔化してもダメですよ、可愛い子じゃないですか」
「さて、仕事仕事……」
絡みついてくる永原さんを無視して仕事に戻る。
「どういう結果になったのかぐらいは教えてくださいよ、約束ですからね」
「気が向いたらな」
適当に永原さんをあしらいながら仕事をこなす。
そうしながらも俺の意識はポケットの紙片に向けられていた。
その夜、食事を済ませて時間に余裕が出来る。
皿洗いをしながら彼女に電話をするならばそろそろではないかと思った。
一つ問題があるとすればベットで寝転がる天城さんのことだった。
俺の部屋で夕食を食べた後にしばらく俺の部屋でくつろぐのは習慣となっていた。
少し考えた結果、天城さんの前で電話をすることにする。
何も悪いことをしているわけではない、天城さんに隠す必要もないだろう。
「天城さん、今からちょっと電話をするから」
「……めずらしいですね、誰にですか?」
「……ちょっと知り合いにね」
別に誤魔化しているわけではない、わざわざ説明するまでもないと思ったからだ。
そう言い聞かせて携帯を手に取るも天城さんの姿がなんとなく気になる。
自分でもその理由が分からないまま、紙片にかかれた番号を携帯に打ち込む。
「それ……女の子の文字ですよね? どうしたんですか?」
後ろから天城さんが俺の手元を覗き込んでいる。
「……ああ、今日バイト中に貰ったんだ」
聞かれたら嘘をつく必要もないはずだ、正直にそう答える。
「ふーん……どんな子でした?」
「別に、普通の女の子だよ」
可愛い女の子だった、とはなんとなく口にしづらい。
「何の用なんですかね、わざわざ番号手渡すなんて何かありそうですけど……」
「それを確かめるために今から電話するんだ」
発信ボタンを押す、三回目のコールで彼女が電話を取った。
「はい、もしもし」
「こんばんわ、今日番号を貰った安島修平です」
「あっ、安島さん、お電話ありがとうございます、ちょっと待って下さいね」
手近な椅子か何かに移動しているのかガタガタという音が電話の向こうから聞こえる。
その時背中に重みを感じた、天城さんが俺の背中に乗っかっている。
頭を携帯に近づけて会話を聞こうとしてるようだ。
顔が至近距離に近づいて緊張する。
「天城さん、なにを?」
「……私に聞かれたら困るお話をするんですか?」
どこか不満気な表情を見せる天城さん。
そういう問題でもない気がするが、天城さんが聞きたいのであれば聞かせてやろう。
聞かれて困るような話題にはならないはずだ、多分。
「お待たせしました、私は杉坂女子一年の森岡優月といいます」
移動も終わったのか携帯からそう声がする。
「杉坂女子……」
天城さんがそう呟くのが耳に入った。
「一年、それじゃあ同い年だ」
「はい、安島さんは桜京高校の野球部のマネージャーなんですよね?」
「ああ、そうだよ」
「私は杉坂女子の野球部員なんです、それで近くの野球部同士お近づきになりたいと思って」
そういう話なら断る理由はない、俺の計画にも必要なことだった。
「なるほどな、俺も他の野球部のことを知りたいと思ってたところなんだ」
「……でしたら、今度うちの野球部を見学に来ませんか?」
「俺は部外者だけど、それでもいいのか?」
「ええ、安島さんにとっても興味深いものが見られると思いますよ」
「ありがとう、それじゃあお願いしようかな」
森岡さんと明日に杉坂女子へ向かう約束を交わしてから電話を切る。
天城さんの方に向き直るとどこかぼんやりとした様子だった。
「天城さん、どうかしたのか?」
「別になんでもないですよ、安島くんがそんなにモテるわけないもんね」
「なんの話だよ」
勝手に勘違いした癖に酷い言い草だ、少し傷ついてしまう。
「……心配して損しちゃった」
「えっ?」
意味がよく分からず思わず聞き返す。
「なんでもない! それより杉坂女子の野球部を見に行くんだよね?」
「ああ、その予定だよ」
「そっか……私、今日は部屋に戻るね」
そう言って俺の部屋を後にする天城さんには何か気にかかることがあるように見える。
杉坂女子に天城さんの関わる何かがあるのだろうか。
今の俺にそれを知る術はなかった。
「安島さん、こっちです」
地図を見ながら杉坂女子にたどり着くと森岡さんが俺を出迎えてくれる。
「お待たせ、森岡さん」
「いえ、私も今きたところですから……行きましょうか」
森岡さんの後に続いて杉坂女子の校門をくぐる。
見た目はごく普通のどこにでもありそうな高校だ。
真っ直ぐグラウンドへと歩を進める、他の部員が物珍しそうな目で俺を見ている。
女子校の中に男一人というのはやはりどうしても目立ってしまうものだ。
「わー優月ちゃんが彼氏連れ込んでるー」
「ちょっと先輩! そんなんじゃないですから!」
上級生らしい部員に森岡さんがそうからかわれている。
上下関係の緩いフレンドリーな雰囲気が垣間見える。
「ごめんなさい、先輩が変な事言って……」
顔を赤くしてそういうことを言われるとこっちとしても意識してしまう。
「いや、楽しそうでいいんじゃないか」
視線を逸らしながらそんなことを言って誤魔化す。
「あ、いたいた、怜ちゃんちょっといいかな」
一人の女の子がこちらを振り向く、長い髪が印象的だ。
そして背が高い、男の平均よりも高い俺よりも少し低い程度に見える。
左投げの投手用グローブを手にしているのが目に入った、長身のサウスポーのようだ。
それだけで彼女がいい投手であることを予感させるには十分だった。
「桜京高校野球部マネージャーの安島さん、怜ちゃんのことを見せたくて連れてきたの」
「安島修平です、よろしく」
森岡さんの紹介に続いて自己紹介をする、それをただじっと見つめられる。
「……黒崎怜」
その女の子がそう呟くようにそう言った、黒崎さんと言うらしい。
「この子を俺に見せたいって?」
「そうです……すごい球を投げるんです、きっとびっくりしますよ」
そう言う森岡さんの顔は自信に満ちあふれていて、黒崎さんのことを知りたいと思わせた。
森岡さんがプロテクターをつけ始める、どうやら黒崎さんとバッテリーを組んでいるようだ。
「森岡さん、俺に黒崎さんの球を受けさせてくれないか?」
「いいですけど……大丈夫ですか?」
「キャッチングにはそれなりに自信があるんだ」
鞄から自分のキャッチャーミットを取り出す。
黒崎さんからある程度はなれて捕球体勢を取る。
「プロテクターつけないと危ないですよ」
「大丈夫だよ、まぁ見てなって」
黒崎さんが大きく振りかぶった、高い身長を生かした角度のある速球が投げ込まれる。
ミットの位置から少しずれた位置にボールが飛んできた。
ミットを動かしてしっかりキャッチする。
「これは……」
とにかく速い、ウチで言えば氷室さんも速球派に当たるぐらいのスピードは出ていたと思うが、それよりも更に数段速かった。
左手にボールを持ち替えて投げ返す。
それから何球かを受けた、コントロールにはバラつきがあるもののその球威は一級品だ。
返球を受けた黒崎さんが、俺に向けて握りを見せつけるように左手を突き出した。
人差し指と中指で深くボールを挟むその握り、フォークボールだ。
「ちょっと安島さんフォークはダメです、本当に危ないですよ」
俺を心配してか森岡さんが声を掛けてくれる、それだけすごい変化をするのだろう。
「いや、受けさせてくれ」
その凄いボールを受けてみたい、頭の中はそれでいっぱいだった。
黒崎さんがモーションに入る、思い切り腕を振ってボールを投げ込んできた。
速い、変化球なのにあまり速度が落ちていない。
ボールがベース付近に来て視界から消える、体全体を使ってボールを止めに行く。
鋭く落ちたボールはワンバウンドして俺のミットに収まった。
捕球されるとは思っていなかったのか黒崎さんが驚いた表情を浮かべている。
「ふぅ……」
スピードはまるでスプリットのようだったが、その落差はまさにフォークボール。
切れ味鋭いそのボールは捕球するのがやっとである。
これをバットに当てるのは至難の業であることは容易に想像がついた。
「安島さん、すごいですね……初見でワンバウンドするあのフォークをキャッチするなんて」
「ショートバウンドの処理は前からそこそこ得意だったんだ、とは言っても毎回あれを捕れる気はしないけどね」
あれだけの変化となると体に当てて前に落とす、というのも重要になるだろう。
「すごいものを見せてもらったよ、ありがとう」
これだけの投手、これ以上ない相手だと言えるだろう。
「森岡さん、少し相談したいことがあるんだ」
この機会を逃すわけにはいかない、ぼやけていたビジョンが彩られていく。
あとはもう一人……だな、心の中でそう呟いた。




