砕かれた絆
「いらっしゃいませ、こちらのお席へどうぞ」
グラディーレでのバイト中、お客様を席へと案内する。
その女の子は席に座ると同時に俺に話しかけてきた。
「アイスティーを一つ……あなたが安島さんですか?」
「えっ、はい、そうですが……」
突然名前を呼ばれるとは思わず困惑する。
「大事な話があるんです、時間をとっていただけませんか?」
「……少々お待ちください」
バックヤードに下がり、オーナーの姿を探す。
「どうしたの、安島くん?」
オーナーが突然バックヤードに下がってきた俺に話しかけてくる。
隣で永原さんがいるのが少し気になったがそのまま事情を説明することにする。
「オーナー、お客様がどうにも私に個人的な話があるようで、時間を取れないかという風に言われてしまったのですが……」
「そう……ちょっと早いけど休憩にしてくれていいわよ、行ってらっしゃい」
オーナーは少し考えた後そう言ってくれる。
「ありがとうございます、それでは」
「あ、そうだ安島くん」
オーナーに背を向けた辺りで呼び止められる。
「はい?」
「告白されたらどうするのか、返事ぐらい考えておきなさいね」
「告白!?」
「……な、何言ってるんですか! そんなわけないでしょう!」
そんなこと考えてもみなかった、そして隣にいる永原さんも何故か動揺している。
「そっか、安島さんならそういうことがあっても不思議じゃない……かな?」
「どうして疑問形なんだよ、いや、そもそも考え過ぎだって」
そう言い残して戻ろうとすると、その後ろを永原さんがついてくる。
「……なんでついてくるんだよ」
「いえいえ、お仕事しにいくだけですよ」
白々しくそう言うが俺の様子を伺いに来たのは明らかだった。
とりあえず気にしないことにして注文されたアイスティーを手に彼女の元に向かう。
「お待たせしました、アイスティーでございます」
「ありがとう、ごめんなさい無理を言っちゃって……あとそんなに丁寧にならなくていいんですよ、同い年なんだから」
「……分かった、ちょうど休憩だったからそのことは気にしなくていいよ」
反対側の席に腰掛けて改めて彼女の顔を眺める。
よく整った綺麗な顔をしていて先ほどのオーナーの言葉を変に意識してしまう。
「私は天帝高校一年の桜庭成美といいます、安島さんは今女子野球部のマネージャーを務めていると聞きましたけど、間違いないですか?」
「ああ、間違いないよ」
やはりオーナーの言葉は勘違いだったと感じさせる話の流れに、ホッとしたようながっかりしたような不思議な気持ちになる。
「そう、それでは一つ聞かせてほしいんですけれど、真由……いえ、氷室さんの様子を教えて欲しいんです」
「氷室さんの? ここ最近は別段変わった様子はないけれどなぁ」
一度肘を痛めた時にアイシングをして厳しくいったこともあり、今では慎重に練習に取り組んでくれているようで問題はないように思えた。
「……聞き方が悪かったです、今、氷室さんはどこのポジションをやってますか?」
「どこって、氷室さんは入学してからずっとショート一筋だよ」
そう返事をすると桜庭さんの表情が悲しそうに歪んだ。
「やっぱりそうなんですね……そうなんじゃないかとは思ってましたけど……」
そう絞りだすように呟くと桜庭さんは顔を伏せた、ポタポタと雫がテーブルに零れる。
「ちょ、ちょっと、どうしたんだい桜庭さん」
突然彼女が泣き出した理由が分からず俺にはどうすることも出来ない。
周りを見渡すとこちらの様子を伺っていたであろう永原さんと目が合った。
永原さんとしてもこの展開は予想外であったらしく驚いた顔をしている。
助けてくれ、と視線で訴えるもののソッポを向かれてしまった。
どうやら自分で何とかするしかないようだ。
「桜庭さん、まずは落ち着いて、ね?」
「はい……ごめんなさい取り乱してしまって」
一度深呼吸をして桜庭さんが落ち着きを取り戻す。
アイスティーを一口啜ってからポツリポツリと話し始めた。
「話の始まりは中学校の時です、私と氷室さんはライバルでありよき友人でもありました、私はセンターで氷室さんはピッチャーだったんです」
「氷室さんが、ピッチャー?」
そんな様子は全く見えなかっただけに驚きを隠せない、桜庭さんが頷き話を続ける。
「氷室さんはいいピッチャーでした、練習試合を通じて何度か対戦していくうちに仲良くなり連絡先を交換する仲になったんです」
「一緒に練習したりして、切磋琢磨し合いながら過ごしてたんですが……転機は二年の時の大会のことでした」
話しづらそうにしながらも、それでもしっかりと一言一言を口にする桜庭さん。
「お互いに三回戦まで勝ち進んでついに大会で対戦することになって、そこまでの対戦成績が二割前半で私のほうが抑えこまれてたこともあって、私は焦ってたんだと思います」
「その試合も第一打席、第二打席と打ち取られてノーヒット、チームも氷室さんを打ち崩せず三対〇でリードされる展開でした」
「七回の表、先頭打者として打席に入った私はとにかく打ちたいという気持ちでいっぱいだったんです、自分の成績でもチームの状態でも追い込まれて気持ちに余裕が持てない状態でした」
桜庭さんが強く拳を握り締める、それはここから何かが起こることを予感させた。
「それが起こったのは追い込まれてからの四球目のことです、氷室さんが投げたボールに対して私は思い切り踏み込みました」
「ぶつかる、そう思った時にはもう手遅れでした、そのボールは私のヘルメットを直撃、辺りは騒然となりました、私は硬球が頭を直撃したということで担架で運ばれて交代しました」
「あの時氷室さんが私に駆け寄って来て泣いていたのを今でも思い出します、幸い私は大事には至らなかったのですけど、その後の氷室さんの内容は酷いものだったそうです」
「ストライクが、入らなくなったのか?」
思わず口を挟む、話の筋がようやく見えてきた。
「その通りです、私に当ててしまってからストライクを一つも取れないまま四者連続でフォアボールだったそうです、しかも、その投球内容は全て打者と反対側のアウトコース方向に大きく外れるボール、明らかに死球の影響が出てました」
俗にいうイップスという奴だろう。
頭部死球を当ててしまっただけでも精神的ダメージは大きいだろうにその相手が親友の桜庭さんとなればその影響は計り知れなかった。
「交代後の控え投手のレベルが氷室さん程度に達しているはずもなく、氷室さんがマウンド降りてから私たちのチームはあっさり逆転して勝ち進みました」
「そして全国大会に出たことで知名度が上がり、私もこうして天帝高校に推薦で入学することが出来たというわけです」
喋り疲れたのか改めてアイスティーで喉を潤し、一息つく桜庭さん。
「氷室さんに投手として復活してほしい、そしてもう一度対戦したい、桜庭さんの願いはそんなところかな?」
「はい、あの時私がきちんとボールを避けていたらこんなことにはならなかったんです……ずっとそのことが心残りでした」
「そしたら私じゃなくて氷室さんが勝ち進んで、天帝高校への推薦の話だって氷室さんに来ていたかもしれない……とんでもないことをしてしまったと自覚してます」
「桜庭さんのせいじゃない、もちろん氷室さんのせいでもない、不幸な事故だったんだよ」
そんなありきたりな言葉をかけることしか出来ない。
当然桜庭さんの辛さを取り除いてあげることは出来ないだろう。
元の二人に戻って欲しい、桜庭さんの話した内容は第三者の俺でもそう強く思わせるだけの物があった。
「安島さん、お願いです、マネージャーとして氷室さんを支えてあげてください、そして出来れば彼女を再びマウンドに立たせてあげてください」
そう言って深々と頭を下げられる、言われずとも俺の心はもう決まっていた。
「その話を聞いた時からそのつもりだったよ、最善を尽くすことを約束する」
「……ありがとうございます、真由のことよろしくお願いします」
桜庭さんが店を後にする。
長い休憩になってしまった、オーナーにお詫びを入れてから仕事に戻る。
「安島さーん、女の子泣かせちゃって憎いですねぇ、この女たらしー」
「そんなんじゃないよ」
肘で俺を突く永原さんを軽くあしらいながら今後の事を考える。
まずは氷室さんと話し合いだ、詩織一人では投手が不足する場面が容易に予想できる。
それを考えれば氷室さんの投手としての復活はチームとして必要不可欠だろう。
注文を受けて料理をしながらも頭のなかは氷室さんのことでいっぱいだった。
その日の夜、俺は氷室さんの部屋を訪れていた。
用件はもちろん桜庭さんに打ち明けられたあの件だ。
「氷室さん? ちょっといいかな」
ドアをノックすると氷室さんが顔を出す。
「安島、どうしたの?」
「大事な話があるんだ……氷室さんのことでね」
そう言うと氷室さんはこれからの話の内容を察したのか小さくため息をついた。
「……分かった、立ち話もなんだから上がって」
「おじゃまします」
氷室さんの部屋に上がる。
整理整頓されていてあまり生活感が感じられない部屋だった。
氷室さんは椅子に、俺は床に座り込む。
「今日、グラディーレでバイトしてるときに桜庭さんって人が俺を訪ねてきたよ」
その名前にぴくりと氷室さんが反応する。
「そう……なんて言ってた?」
「氷室さんのこと心配してたよ、あと自分のことを責めてた」
「そんな! なんで成美が……ぶつけたのは私なのに」
思わずといった感じで氷室さんが椅子から立ち上がりながらそう言った。
「踏み込みすぎなければ避けられたんじゃないかってね、俺に言わせればどっちも責任を背負い込みすぎだ……もうその事故のことは忘れて先のことを考えて欲しいと思ってる」
「そんなのどう考えたって悪いのは私だよ、失投したのは私、そこから試合を壊したのも私、それから立ち直れなくてピッチャーから逃げたのも私……情けなくて嫌になるよ」
声が震えている、辛い思い出を呼び起こさせてしまったことに心苦しさを覚えるがこれは越えないといけないけない壁だ。
「……俺に協力させてくれないか?氷室さんと一緒に解決策を考えていきたいんだ」
「安島……」
どこか俺に縋るような目で俺を見る氷室さん。
その視線になんとかしてやりたいという気持ちがますます強くなる。
「出来るかな……私に」
「ああ、出来るさ、俺も全力でサポートさせてもらうから……明日からよろしくな」
自室に戻り、明日からのことを考える、長い戦いが始まりそうな予感がした。




