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白い部屋  作者: 深津メイ
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1.病室

 本作品には性に関する描写が含まれております。

 

 「生」とは何か。「死」とは何か。それを考える上でも、こうした描写は必要であると思われますので、その点をご理解いただきながらお読みください。

「お前さ」伯父が僕に笑いかけるように訊いてきた。「死神に逢ったことあるか?」

 その時の彼の表情を、僕は今でも忘れることが出来ない。

  

 僕が結婚して間もなく、伯父は公立のM病院に入院した。平年ならとっくに梅雨明けしているはずなのに、その年はいつまでもシトシトと雨が降り続いた。彼が入院したのはそんな年回りの、そんな頃だった。「疲れが出たんだ」と言って伯父は笑っていたが、手術後も彼は退院して来なかった。

  

 九月の或る日曜日を利用して、僕は家内と一緒に伯父を見舞うことにした。よく晴れた、爽やかな午後だった。

 街の郊外にその病院はあった。小高い丘の上に造られた、淡く青い色で塗装された鉄筋コンクリートの建物がそれだった。そこへと向かう途中の田んぼ道では、稲穂が色づき始め、ところどころに曼珠沙華が咲いていた。

 カー・オーディオからクリームの『ホワイト・ルーム』が流れ始めた。

 夏が来ないまま、辺りはすっかり秋めいてしまっていた。そのことについて家内と言葉を交わしているうちに、僕らを乗せた車は病院の駐車場へと滑り込んでいった。

 新しい病棟を建てているためか、病院のあちらこちらがゼネコンのマークの入った柵で仕切られていた。駐車場もそうだった。車を降り、建設中の新病棟を僕は見上げた。

 僕と家内は正面玄関へと向かった。

 自動ドア。それはガタガタとちょっと文句を言いたそうにゆっくり開いた。

 建物内へ入った。病院特有の消毒液の匂いが鼻腔の奥を刺激した。

 僕たちはエレベータに乗ると、5階の外科のナースセンターに行った。そこで伯父の病室を尋ねることにした。

 三十代後半の看護婦が一人、机でカルテの整理をしているところだった。

 僕が挨拶をして声をかけると、彼女は視線だけをこちらに向けた。

 伯父の名前を告げ、病室の番号を尋ねた。

 感情をどこか小さな部屋に押し込んで外から鍵を掛けてしまった、そんな印象が彼女の態度のから感じられた。彼女は僕を一度も見ることなくカルテに目を通しながら伯父の病室の番号を事務的に答えた。

 廊下を右に出て、三つ目の部屋。

 無駄はどこにもなかった。

 僕たちは軽く会釈をすると、教えられた通りに伯父の病室へ向かった。床に貼られた黄緑色のリノリウムが、僕たちの足音を冷たく硬いものにして廊下に響かせた。

 509号室

 青と白の2色に塗られた引き扉にはステンレス製の取手が付けられていた。その外観から重たそうな印象を受けたが、実際開けてみると意外と軽かった。

 家内とふたり病室へと入った。

 白い壁。白いリノリウムの床。白いカーテン。そして白いシーツのベッドが四つ。でもそこには、窓際の伯父以外に入院患者は誰もいなかった。

「なんだ、個室だね」僕は笑いながら言った。

 ベッドで本を読んでいた伯父が視線を上げ、僕たちの方へ顔を向けた。

 彼は眼鏡をずらすと、上目遣いに僕たちを見た。

「お前たちか」伯父は微笑んだ。「見舞いに来てくれたんか。すまねぇな。そこの椅子出してさ、座りな」

 家内は微笑みながら会釈をすると、丸椅子に腰掛けた。

「伯父さん一人なんだね?」僕は訊いた。

 僕は隣のベッドのところから椅子を持ってきて、家内の隣に腰掛けた。

「昨日まで隣にいたのさ」伯父は僕を見た。「昼ごろかな、退院していった」

 僕は隣のベッドを見た。もともと誰もいなかったのではないか、そんな風に思えるほど無機質で冷たいスチールのパイプベッドがそこにはあるだけだった。

「どうなの、腰とか背中の痛みは?」僕は訊いた。

「ああ、痛み止めを貰って飲んでっから、今はずいぶんと楽だな」そう言って伯父は微笑んだ。

「それは良かった」僕も微笑んだ。

「そうだな。でもな…」そう言って、伯父は窓の外へ目をやった。「潰瘍は切除したんだが、レントゲンやCTを撮ったら軟骨とかが潰れてるらしいんだな。それで神経が圧迫されてるみたいなんだ」

「だってね」僕は言った。「お袋から聞いたよ」

「だからな、軟骨を作る薬も服用しながら軟骨ができてくるのを待つんだとよ」

 窓から差し込んでくる太陽光線が眩しいのか、伯父は目を細めた。

「ま、これを機に身体中をオーバーホールするといいよ」

 僕も伯父が見ている方に目をやった。

 黄緑色のネット状の幕に覆われた建設中の新たな病棟の向こう側に、色づき始めた田んぼが見えた。

 雲が太陽を遮ったのか、陽が翳った。部屋の中が薄っすら暗くなった。

「彼岸花が咲いてるな」と伯父は呟いた。

 僕は頷いた。そして、途中で咲いていた曼珠沙華の話を伯父にして聞かせた。目を閉じつつ、それを静かに彼は聞いていた。その様子は眠っているようにも、微笑んでいるようにも見えた。

 太陽が照ってきた。

 僕の話も終わった。

 伯父は目を開けると、家内を見て微笑んだ。

「悪いんだが、暫く こいつと二人だけにしてくれるかな?」

 家内は僕の顔をちらりと窺い、伯父に軽く会釈をしながら微笑むと病室から出て行った。

 陽が再び翳った。静寂が部屋に満ちて、気圧が一気に低くなったように思えた。

 伯父が口を開いた。

「お前には話しておきたいことがあるんだ」

 僕は伯父を見た。それは今までには見たことのない、彼の険しい表情だった。凄みというか、迫力があり、それが初めて彼を怖いと思った瞬間だった。


   *   *   *


 伯父はずっと独身だった。

 僕にとっても、それはとても不思議なことだった。母にその理由を何度か訊いたことがあった。しかし、その度のらりくらりとはぐらかされて、僕は煙に巻かれてしまうばかりであった。

 ところが中学生になった頃だった。同じ質問をした時、それまで誤魔化していた母が少し困ったような表情を浮かべたのを今でも覚えている。

「あれは、兄ンちゃんには悲しい思い出なんだろうね」

 そんな風に呟いたかと思うと、彼女は伯父にまつわる悲しい思い出を話し始めた。

 僕が生まれる少し前のことだ。

 伯父には婚約者がいた。彼より2歳年上の、綺麗な女性だった。母はグレース・ケリーやグレタ・ガルボみたいだと言っていたが、当時の僕にはそれらをうまくイメージすることはできなかった。

 結婚式を数ヶ月後に控えた或る日、伯父の婚約者は突然交通事故で亡くなってしまった。

 一人娘を失って悲嘆にくれる相手方の両親を伯父は励ました。彼女の葬儀も彼が仕切る形で粛々と執り行われた。

 芯の強い人というのが周囲の彼に対する評価であった。

 その後、伯父は以前と変わらず快活で明るく過ごした。或る時、一週間ほど旅行に行きたいと会社に頼んで休暇を貰った以外は遅刻や欠勤もせず、仕事もバリバリこなした。そういう男だったらしい。

 ただ、何事に対しても一生懸命取り組んだ伯父がひとつだけ拒み続けたものがあった。それは新たな縁談やお見合いであった。「もう結婚はこりごりだ」と彼は冗談めいて笑って断っていたようだが、それは周囲から見ても意固地とも思えるほどのものだったらしい。そんな彼の姿を見続けていた周りの人間たちは、彼のそうした頑な態度を、他言できない心の疵の現れとして考えるようになっていった。やがて、縁談はもち掛けないでおこうというのが、周囲の人間たちの暗黙の不文律になっていったようである。


   *   *   *


 日差しが戻ってきた。伯父の顔に血の気が戻ったように見えた。

「お前さ」伯父が僕に笑いかけるように訊いてきた。「死神に逢ったことあるか?」

 伯父の表情とは全く相反する質問内容だったので、僕は少し戸惑ってしまった。

「な、ないよ」僕は言った。

「俺はな、あるんだ」伯父はニヤリと笑った。

 僕は驚いた。

「最近?」

 そう言って、僕は直ぐに自分の失言に気づいた。しかし、ここで慌てると変に勘ぐられてしまうのではないかと思い、僕もニヤリと笑うことにした。

「バヤカヤロー、縁起でもねぇや」そう言って、伯父は笑った。「お前ぇが生まれる前の話だ」

「死神って、大きな鎌を持ってる骸骨のでしょ?」僕は訊いた。

「と、思うだろ?」伯父はニャっと口元を歪めた。

「違うの?」

 僕の問いかけに伯父は頷いた。

「普通の格好」と伯父は言った。「本当に普通のオヤジさんだ。ベージュのチノパンツ穿いて、白いフランネルのシャツを着てる。ちょうど、今の俺くれぇの年格好かな」

 僕は拍子抜けというか、ちょっとがっかりした。

「じゃあ、パッと見で死神かどうか解らないじゃん。どうやって死神って見分けをつけるの?」僕は訊いた。

「見分けはつかねぇな」と彼は答えた。「ただな、いつも自転車押してるんだ。学校の用務員さんが乗ってたような自転車があるだろう? アレだ。でもな、やっこさんは自転車に乗らねぇんだ。いつも押してる。そうやって、家にやって来る」

「なんだか変な死神だね」僕は笑った。

「死神って言ってもな、死ぬことだけに関わってるわけじゃねぇみてぇだな」そう言って、伯父も微笑んだ。「生まれてから死ぬまで、ずっと関わるそんな神様みてぇなんだ。だから、家の中に上がってきても、誰だっけか名前は思い出せねぇんだが、ものすごく懐かしい知り合いが来たみてぇな感覚があるんだ」

「それが、伯父さんところに来たの?」僕は訊いた。

 伯父は頷いた。

「お前ぇ、二六だっけか?」伯父は僕の目を覗き込むように訊いてきた。

「この八月でね、二六になった」僕は答えた。

「そうすると、二七年前になるのか」と伯父は呟くように言った。「ちょうどお盆だったな」

 僕はベッドの傍らで、彼の話に耳を傾けた。


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