Sports Festival ~First Day~(1)
あの事件から一週間が過ぎようとしているが、俺の身の回りは嵐の後の静けさのように今の所、あれ以降は何も起きていない。これに懲りたのか、それともまた新たに事件を起こそうと策略を練っているのか、何れにしても警戒を怠ってはいけないのは事実だ。
また、あの事件で色々と敵の正体が明るみになって来た。様々な思惑が絡み合い、より状況を複雑化させている。俺の中でも一定の整理はついた。
敵の正体はフランス政府特殊部隊とノルマンディー家が雇った職業軍人の連合軍であるということ。目的はフランスで起きたあの事故の当事者、つまり目撃者を拘束すること。さらにその中でもアイリスだけはノルマンディー家が身柄を保証するという理由で拘束者名簿の非該当者となっているということ。
ここで厄介なのはノルマンディー家だろう。相手がフランス語しか喋れなかったから良かったものの、アイリスは記憶喪失だ。何か吹き込まれた場合にどういうことが起こるのか想像しにくい。やっとアイリスを見つけたというのにこんなつまらない奴のせいでバッドエンドなんてことは絶対に阻止しなければならない。
正直、アイリスのことで焦るつもりは全く無かったのだが、状況が状況なだけに焦らざるを得ない。
考えれば考えるだけ、どんどん深みに嵌まるような気がしてならない。
気持ちの切り替えが重要だろう。
五月に入り、一層と熱の入る体育際の練習が各所で繰り広げられている。
その一つ、体育館に今俺はいる。
「――――東條さん!!」
アイリスのドリブルをリアが止める、するとアイリスは逆サイドの東條へパスを出した。
俺は東條のドリブルを止めようとするが、そう簡単にはいかない。ただアイリスの手前シュートを決めさせる訳にはいかない。
俺を抜けないと判断したのか東條はその場でシュートを打つ。俺は全力ジャンプしでシュートを妨害する。
ボールはバックボードに当たって跳ね返り、リングに接触するが入らない。
「中々やるわね、小宇坂くん」
悔しそうな顔でそう言った。俺、東條、アイリス、リアの三人で二対二の攻守の練習をしている。残りのイリスとニルは別の場所でシュートやドリブルなどもっと基礎的なことを練習している。
「そろそろ休憩にしない?」
汗を掻いて少し息を切らしているリアがそう言う。
「そうね、休憩にしましょうか」
東條が腕時計を見ながら壁際に移動する。時刻は十五時を過ぎたところだ。授業自体は十四時で終わっているので一時間程度といったところだ。
「ニルたちも休憩していいわよ!!」
少し遠くにいる二人にリアが叫ぶ
「やったー!!」
ニルが大喜びで戻って来る。イリスはいつも通りの無表情だ。
「ニルとイリスは何飲む?」
千手院先生が気を利かせて持ってきてくれたクーラーバックからスポーツドリンクとお茶を出す。
「ありがとう、じゃあスポドリで」
「私はお茶がいいです、兄さん」
それぞれに冷えた飲み物を手渡す。ニルは汗だくだが、イリスは汗一つ掻いていない。体質の問題だろうか。
イリスが持つとやけに大きく見える五百ミリリットルのペットボトルを両手でしっかりと掴んで少しずつ飲んでいる姿を眺めつつ、俺も飲みかけのお茶の蓋を開ける。
飲み物を飲むイリスの姿は小動物のようで可愛い。
「……何ですか、兄さん?」
「いいや、何でもない」
「そうですか」
俺が見ているのが気になったのだろう。イリスもこちらをチラチラと見るようになり、それから何回か目が合ったが何か言ってくることは無かった。
壁に寄りかかっているニルがぐったりしていて覇気がない。
「相変わらず体力無いな、お前は」
「当たり前じゃない、私運動は苦手なんだから」
「ニルは昔からそうだって……って一年くらいの付き合いだけどな」
「そう考えると意外と短い付き合いだよね」
確かにそうだ。だが気持ち的には小学校からずっと一緒みたいな親近感がある。過ごした時間の密度が濃いからかもしれない。リアにも同じことが言える。
「入学初日の実戦訓練で何も無い所で転んだ時は――」
「ちょっと、変なことみんなの前で言わないでよ!!」
壁に寄りかかるように座っていたニルが立ち上がって俺の目の前で慌てた声でそう言う。
ニルの顔が数センチの距離に思わず一歩下がる。
汗の臭いではない甘い香りがふわりと鼻をくすぐる。
「あれ、すっごく恥ずかしかったんだから」
顔を赤くしてさらに一歩踏み出して来る。
「わかった、わかった、俺が悪かったよ」
「絶対その話広めないでよね」
「ああ、ただ、あの時と比べれば大分ましにはなってるけどな」
「今更褒めても遅いわよ」
最初が酷すぎたのでかなり成長したように感じる。それでも平均以下ではあるが……。
「角谷さんは昔からなのね」
東條はなら仕方ないみたいな仕草をする。
「そういえば、それ止めない?」
突然ニルが叫んだ。
「何がそれなんだ?」
「なんか苗字で呼ぶのって距離感があって嫌だったのよね。それにさん付けだと長いしバスケしている時も違和感あったのよね」
確かにそれには同意だ。パス出すときにさん付けだと長いと思っていたのは俺も同じだったからだ。
「私は会って数週間だからまだ早いと思っていたわ。それに一応はクライアントとその友人ということで一定の距離を開けようと思ってのだけど……」
「そういうのは関係ないだろ、同じ学園の学友なんだし」
アイリスのリアもうなずく。
「バルザックって呼ばれたことないから、苗字で呼ばれるのは、しっくり来てなかったんだよね」
確かにリアのことは愛称かオフェリアと呼んでいる。千手院先生くらいだろうかバルザックさんなんて固い呼び方をしているのは。
「みんながそういうなら名前で呼ぼうかしら……」
「それがいいよ、その方が団結力とかも上がりそうだし」
アイリスが笑って頷く。
「それじゃあリアって呼んでみてよ」
壁際の東條をリアとニルとアイリスで囲むような体勢となっており、東條は俺たちを見回す。イリスは少し離れた場所で座ってこちらを見ている。俺も少しイリスの横で様子を伺っている。
「ちょっとみんな近づき過ぎよ」
ニルが「早く、早く」と急かす。
「急には無理よ、また今度ってのはどうかしら?」
「ダメに決まってるでしょ。ほらクラスの団結力を上げて体育際頑張るんでしょ?」
東條は困った顔でもじもじし出す。いつも凛々しいだけにギャップによるインパクトは凄まじい。顔を赤くして俯いてしまった。東條にそういうことを思ったことはないが、正直に言って今の東條はそこらのアイドルなんか比にならないくらいの可愛さがある。
重要なのはギャップなんだなぁと遠目で見ている。
「止めないのですか、兄さん?」
「止めた方がいいか?」
「……?」
どちらでも良いのか首を何となく傾げている。俺も何となく微笑ましいので黙って見ていることにしよう。