After Dating(8)
~Iris Side~
私は逃げている。だが何から逃げているのかは分からない。唯々逃げ続けている。走っても走ってもそれは追ってくる。
私が通った道はまるで厳冬期のシベリアのような寒さで全てを凍りつかせる。私の背中にもその冷気を感じ、少しでも走るペースを落とせばその冷気に飲み込まれ氷漬にされてしまうような脅威に私は恐怖した。だが私が恐怖した一番の理由はそれではない。そう、それはその実体がまるで掴めないことでした。
「何がどうなってるの?」
私はそう呟き裏路地をひたすら走り続ける。後ろは振り返らない、そんな些細なロスですら致命傷になるような緊迫感に襲われる。
もう何分くらい追いかけられているのだろうか、わからない。
しかしその追いかけっこも終わりを迎えようとしていることにはまだ気づかない。
ビルとビルの合間を抜けたその先は行き止まりだったのだ。しかし速度は緩めない。
「……仕方ない、気体流動(Aero Dynamics)」
その瞬間、私の体は突如吹き荒れる上昇気流に乗りふわりと体が浮き上がる。そのまま追い風を受けてビルの壁を駆け上がる。
だがまだ追いかけっこは終わらない。
終にはビルの屋上まで辿りついてしまう。
そして私は足を止めた。
「追いかけるのも飽きたわ」
ビルの屋上で私を待ち伏せしていたのだろう。そう考えると私の動きをあらかじめ予測していたことになるのかな……。それとも私以上の速度で移動できるのか……、でもそう考えると私を追いかけていたことの説明がつかないし……。考えていても纏まらないから、考えるのはやめた。
古めかしいデザインの軍服、授業で習った時に出てきた大日本帝国の軍人さんが着ていた服に良く似ている気がするけど……。
「誰なの、あなたは?」
「お前に答える義務はないが、そうだな、私は大日本帝国最後の軍人だと言っておこう」
「その軍人さんが私に何のようなの?」
「目的はただ一つ、お前の血だよ。アイリス・アンジェ・アトランティカ。お前は複数の能力を使えるみたいだな」
「……どうしてそれを」
自分の能力を他人に話したことはないし、なるべく隠すようにしていたのに……。
「驚いているようだが、私に隠し事はできない。全て把握済みだ。そして今日、お前の能力を貰いに来たのだ」
私は会話を引き伸ばしつつ退路を確保しようとする。
「逃げようとしても無駄だ。このビルの屋上からは一歩たりとも出ることはできない」
私が逃げようと走りだすよりも早くに軍服の女性が喋る。
でも私の動作は止められない。敵に背を向け走る先はビルの端、空中へ飛び降りようとするが見えない壁に衝突し私は冷たい雪の上に尻餅を付いた。
「プロテクション……、我が能力の一つ、四方全ては囲まれている逃げられはしない」
私はゆっくり立ち上がり振り向いたときだった。次第に体の動きが鈍くなっていくのを感じる。力は入るが、動きが遅い、それはさらに加速していく。
「最初からこうしておけば良かったのだ」
なんらかの能力が私に作用しているだろうか、わからない。
ついには私の体は完全に動かなくなり、最後に私は途切れ途切れにこう言った。
「何、を、した、の?」
それが最後の言葉だ。もう口は動かない。そして力も入らない。
「これも私の能力の一つ、これでアイリス、お前は私の人形だよ」
ゆっくりと近づく彼女に恐怖心で心が震える。
逃げたいけど逃げられない。能力を使おうにも体が言うことを聞かない。
そして彼女は私の目の前で視線を合わせるように屈み、そっと耳元を吐息で擽らせる。それは同時に私の鼓動を少しだけ早くした。
「痛いのは最初だけだ、最後は気持ちよくなる、大人しく力を抜いていろ」
力を抜けと言われても力が入らない以上、どうしようもない。そしてこれから何をされるのかは、なんとなくわかる。
怖くて怖くしょうがないから最後に私は心で叫ぶ。
『――――――誰か助けて!!!!』
それは声ではないけど遠くまで響くはず、頭の中で超音波のごとく発散した私のテレパシーが街中に拡散した。
それにもっとも近くにいた彼女にはもの凄い音量で脳内に響いたのだろう。
「――――何をする!!」
首筋まで一ミリというところで彼女と距離が離れていく。
彼女は頭を押さえながら一歩、二歩と後退した。
そして私の拘束が弱まり、私はゆっくり立ち上がりビルの端を伝いながら距離をとろうと試みる。
「クッ、まさかこんな隠し玉を持っていたとは……、だがこの程度で!!」
彼女はそう叫ぶがもう一度襲って来ようとはしない。私のこの能力の詳細な特性はわからなけど、相手の能力が強ければ強いほど良く脳内に響くようでした。まだ頭を押さえているところを見ると頭痛のようなものが収まらないのだろう。つまり彼女はかなり強い能力者であるということにもなる。
さらにそこから片膝を付いたのは想定外だった。その瞬間にビルを覆っていたプロテクトが解かれ、私の体を縛る拘束も解除される。
「しまった、本体が、やら、れ……」
彼女は最後にそう言い残し、微粒子となって消失したのだ。まるでそこには何も無かったかのように足跡だけを残して……。