Northern Land(5)
「別にそれはかまわないが、今日は教室の下見にきただけだから、直ぐに帰るつもりだが?」
アイリスと色々話したい気持ちはあったが、それよりも先に頭の中を一端整理して出直したかったのだ。
「そう、なら私も帰るわ」
そんな俺の意図とは裏腹に帰ろうとする俺とイリスの方へ机の上に置いてあった鞄を取って小走りでやってくる。フットワークが軽いのは今も昔も大差ないようだ。
「それじゃあ帰ろうよ」
「それはいいが、帰る方向が一緒とは限らないだろ」
「細かいことはいいでしょ、それよりもあなたの名前、教えてほしいな」
「そうか……、そうだよな」
俺は覚えているが彼女にとっては初対面だ。それを考えると少し胸が苦しいが、仕方の無いことだ。
「俺は小宇坂宗助、こっちは……妹のイリスだ」
イリスの扱いについてとても迷ったがとりあえず妹ということにしておこう。話によれば戸籍上の苗字は俺と同じ小宇坂になるようだから問題ないだろう。
「兄妹なんだ! だったら名前で呼んだほうがいいよね?」
「好きにしてくれ」
「じゃあ宗助くんね」
「イリスちゃんもよろしく」
アイリスは少し屈んでイリスの目線にあわせる。
「はぅ……」
無表情のイリスは声にならない声を出した後、無言のまま、助けを求めるようにギュッと俺の手を強く掴み、俺の顔とアイリスの顔を何度か見比べる。
「あれ、嫌われてる?」
少し残念そうに笑いながら視線を俺の方に戻す。アイリスは身長が少し伸びているものの俺との相対的な身長差は変わらず、常に上目遣いで見ている。
「そんなことはない、イリスが人見知りしているだけだ。気にしないでくれ。それと俺は何て呼べばいい?」
「宗助くんは昔の呼び方のままでいいよ。何か思い出すかもしれないし……」
「そうか、じゃあアイリスって呼ぶわ」
「わかったわ、これからよろしくね」
何となくだが3年の時が経って、記憶もないが確かにアイリスはアイリスである。本質は変わっていないではないかと思う。
廊下に出た俺たちはゆっくりと正面玄関へ向かって歩き始めた。
アイリスはイリスに配慮してか俺の横を歩いた。イリスは少し下向きの視線のままアイリスとは目を合わせない。
「それじゃあ早速だけど、私と宗助くんのこと色々聞かせてほしいな」
「枠が大きいな、もっと具体的に質問してくれ、それじゃあいくら時間があっても足りないな」
「そう、じゃあ私と宗助くんはどういう関係だったの?」
いきなり核心に迫る質問で少し驚いた、確実に心拍数が上がる。本当のことを言いたい気持ちもあったが、ここで失敗したら俺の人生がエンドだ。ここは無難に行くしかないだろう。
「友人だな、小学生からの付き合いだ」
「じゃあ、フランス人なの? 私には日本人に見えるけど」
「俺は日本人だよ。親の仕事の都合で小学生のときにフランスに引っ越してきた。それからだよ、アイリスと出会ったのは」
「そっか、じゃあ所謂幼馴染ってやつだね」
「そんなところだな」
「じゃあ、ここまで私を探しに来たとか……なんちゃって」
少し照れながら言う姿に俺も照れてしまうのは無理もない。とりあえず元気そうで安心する。
「偶然だ、偶然、調子乗るなよ」
反射的におでこを優しく突いてしまう。
「もう、何するの~」
だが嫌がっている様子はなく、俺は一安心する。昔のようにスキンシップを取ってしまって嫌がられたらどうしようとやってから思ったが、それは杞憂だったようだ。
そんなやり取りをしているうちに昇降口に到着してしまった。
「今日はここまでじゃないか?」
「だからそこは心配しなくていいよ。だって宗助くんが守護科に転入する生徒なんでしょ?」
「そうだが噂にでもなってたか?」
「それはそれは大事だったよ。各委員会が召集されたり、東京での事件も大々的に取り上げられたりしていたから」
「なるほど、だがそれと下校の関連性が見えてこないんだが?」
「だから、これから住むアパート、きっと私と同じところだよ、きっと」
「フラワーガーデン・ノワールⅠだよね?」
「アイリスもか?」
「そうだよ、だから問題ないの」
どうやら新しく入ってくる生徒がいるという情報で出回っていたらしく守護科と一部の生徒には詳細な情報が伝わっていたようだ。
「それじゃあ一緒に帰りましょう」
「そうだな」
「じゃあ話の続きが聞きたいな」
確か小学生の話はしたからその後からか……。
「俺とアイリスは日本でいうところの中学生まで一緒だったけど、例の事故以来アイリスは行方不明だった訳だが、あの事故のことそれなりに知ってるのか?」
「ちょっと聞かされただけ、後は新聞やテレビのニュースで得た情報程度なら」
「そこにアイリスが居たことは知っているのか?」
「それも聞かされただけ、事故に巻き込まれた私は脳に重大なダメージを負っていて美咲市にある治療施設でないと助からなかったみたいなの」
だから日本だったわけか、それなら納得がいく。だがアイリスの両親が行方不明になってしまった以上、アイリスの動向を知るものがいなくなってしまった訳だが、俺は他にも何か理由があるはずだと思っている。
「それで、今は大丈夫なのか?」
「月に一度は定期健診に行ってるけど、経過は良好だよ」
「なら良かった」
「後、私フランスのこと全く覚えてないんだよね。最初目が覚めたとき自分が日本人だと思い込んでて、自分の顔みたとき日本人じゃないことに気づいたの、だからフランス語はしゃべれないんだ」
「そんなことってあるんだな、アイリスは純粋なフランス人だったはずだぞ。日本語を知っているのは小学生になる前まで日本に住んでたから……、ということはフランス語のほうが後に覚えたことになるな」
「だからなんだ、これでおかしいなぁって思ってたこと一つわかったよ」
生まれが日本だったかどうかは定かではないけど、フランス語を忘れてしまったのは恐らくこれが原因だろう。とは言え俺自身どちらでも話すことができるので特に言葉の壁はないが……。
「そうだ、ずっと気になってたことがあるんだけど、いいかな?」
「なんだ?」
「その剣なんだけど」
「ああ、これか? これは見ての通り双剣だけど?」
「そういうことじゃなくて見た目アンティークみたいなのに、機械仕掛け、不思議だなって思って」
「アイリスは目の付け所がいいな。アイリスが思ったことそのままだよ。中世くらいの名のある武器に現代の技術を盛り込んだ古代と現代の複合武器……、とは言っても貰い物だから詳しくは知らないけど」
「なるほど、だから巷では銀幕の双剣(Weiss・Zwei:ヴァイス・ツヴァイ)なんて呼ばれているんだね」
「その通り名恥ずかしいからあまり言いふらすなよ」
「もうみんな知ってるって」
「マジかよ」
「そんなこと言っているうちに着いちゃったね」
アイリスと一緒に歩いていただけだったが徒歩5分程度で到着してしまった。
「私は一階の角だからまた明日ね」
アイリスは笑顔で手を振って部屋に入って行った。俺も小さく手を振りその後ろ姿が見えなくなるまで見送った。