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精霊術師の終着点 〜 短編シリーズ 〜

『私と不思議な夢物語』

作者: ワイパス
掲載日:2026/09/18

※注意※

この作品は長編小説の本編「精霊術師の終着点 〜 短い言葉に込めた重い物語 〜」の内容に関するネタバレを含みます。

本編を未読の方は、本編を先に読むことをおすすめします。

「あれ? ここは…?」

私は、不思議な空間で目を覚ました。

足元に広がっているのは、白い雲のような地面。

触れてみると、ふわふわと柔らかな感触が返ってくる。

辺りを見回しても、太陽らしきものはどこにもない。

それなのに、どこからともなく暖かな光が差し込み、まるで陽だまりの中にいるようだった。

そして、私の目の前には

赤い花で作られた、レッドカーペットのような道が続いている。

まるで、私をどこかへ導くかのように。

けれど、それ以外には何もない。

見渡す限り白い空間が広がっているだけだった。

…いや。

この場所で、一番おかしいのは別のことだ。

「あー…あー…あー…」

声が聞こえる。

自分の声が。

「…私、声が出てる?」

思わず、自分の喉に手を当てる。

「あー…」

もう一度、声を出してみる。

ちゃんと聞こえる。

嬉しくなって、私は何度も声を出した。

「ふふっ…」

現実では、声を出すことなんてできない。

だから、これは夢なのだろう。

「うーん…現実だったら良かったのにな」

そう呟いてから、私は小さく笑った。

夢だと分かっている。

それでも声を出すのが楽しかった。


「アイちゃんさ。ちょっと真面目すぎじゃない?」

「ローレルが真面目にやらなすぎるのだ!」

「ふふふっ。似ているかな?」

普段はできない声真似までして、ひとしきり声が出ることを楽しんだ私は、目の前に続く赤い花の道を見つめた。

「どこに続いているんだろう?」

私は少し考えてから、その道の横を歩き始めた。

赤い花を踏んでしまうのは、夢の中でも少し可哀想な気がしたのだ。

しばらく歩いていると、周囲の景色が少しずつ変化していく。

そして、気が付いた時には

真っ白だった空間が、深い森へと変わっていた。

まるで、いつの間にか別の場所へ移動してしまったかのようだった。

けれど、赤い花の道だけは途切れていない。

「…ここ、どこだろう?」

私は一度立ち止まり、辺りを見回した。

人の背丈をはるかに超える巨木が、辺り一面に生えている。

太い枝と青々とした葉が幾重にも重なり、空を完全に覆い隠していた。

晴れているのか、雨が降っているのかさえ分からない。

それなのに、不思議と森の中は明るかった。

どこからともなく差し込む陽光が、木々の隙間から地面を照らしている。

そんな不思議な森だった。

「…なんだか、懐かしいな」

どうしてそう感じるのかは分からない。

それでも、この森にはどこか

故郷のイズーナを思い出させるような、懐かしさがあった。

私は再び赤い花の道に沿って、黙々と歩き続けた。

やがて、木々の隙間から陽光が差し込む、小さな広場のような場所が見えてきた。

そこには、おしゃれな木製の机と椅子が置かれている。

そして、その椅子に腰掛け、優雅にティーカップを傾けている一人の女性がいた。

誰だろう?

見覚えはない。

なのに、不思議だった。

まるで小さい頃からずっと一緒にいたかのような、懐かしさを感じる。

それと同時に

人が、安易に近づいてはいけない。

そんな神々しさも感じた。

「…」

私は、少し怖くなった。

ここにいてはいけない。

そう思った私は、来た道を静かに引き返そうとする。

その時だった。

「あら?」

女性の声が、森の中に響いた。

振り返る。

女性は、いつの間にかこちらを見ていた。

そして、優雅に微笑む。

「あら? 人間とは珍しいわ。せっかくですので、お茶をしていきませんこと?」

かなり距離が離れているはずなのに、その落ち着いた声は不思議なほどはっきりと私の耳に届いた。

いや

耳で聞いたというより、頭の中に直接響いてきたような感覚だった。


私は、その不思議な女性の向かいの席へと歩いていった。

女性は優雅にティーカップを傾けながら、いつの間にか机の上に現れていたケーキスタンドへ手を伸ばす。

そこには、色とりどりのお菓子やクッキーが綺麗に並べられていた。

女性がクッキーを一枚つまんだところで、私が立ったままでいることに気がついたのか、小首を傾げる。

「あら? お座りにならなくて?」

「い、いえ。失礼します…」

私は慌てて椅子を引き、女性の向かいに腰掛けた。

そして、改めて目の前の女性をじっと観察する。

艶やかな緑色の髪は、緩やかなウェーブがかかっていて美しい。

瞳はエメラルドのように透き通っていて、どこまでも深い輝きを湛えている。

ティーカップを持つ細く長い指も、白く滑らかで綺麗だった。

綺麗。

そんな言葉では足りない。

まるで、この世のものではないような美しさだった。

私は、気がつけばその姿から目を離せなくなっていた。

「わたくしの顔に、何か付いていますか?」

女性は私の視線に気づいたのか、ティーカップを机へ置くと、小首を傾げて尋ねてくる。

「い、いえ、その…お姉さんが美しかったので、つい…」

じっと見つめていたことが恥ずかしくなり、私は慌てて視線を机の下へ逸らした。

すると、女性は嬉しそうに微笑んだ。

「ふふっ。わたくしが美しい?」

まるで、もう一度言ってほしいと言わんばかりの表情だった。

「はい…美しいです」

私は、その自信満々な様子に少し押されながらも、小さな声で答える。

すると女性は、満足そうに胸を張った。

「当然ですわ。主様に与えられた、わたくしの容姿ですもの」

得意気な表情を浮かべる女性。

どうやら、この人は自分の容姿を褒められるのが好きらしい。

その神々しい姿からは想像できない、少し子供っぽい一面。

私は、そんな姿を可愛らしく思った。

けれど

「主様…ですか?」

先ほどの言葉が気になった。

私が尋ねると、女性は一瞬だけ私を見つめた。

そして、どこか寂しそうにも見える笑顔を浮かべる。

「もう、時間のようですわ」

「え?」

「また今度、出会えたら…その時にお話ししてあげますわ」

女性はそう言うと、にっこりと微笑んだ。

そして、私に向かってひらひらと手を振る。

その瞬間

目の前の景色が、一気に遠ざかっていった。

女性も、森も、赤い花の道も。

すべてが光の彼方へ消えていく。

「待っ」

私は手を伸ばそうとして

目を覚ました。

「…」

声を出そうとする。

けれど、やっぱり声は出なかった。

「…」

私は少しだけ落ち込んだ。

さっきまで、あんなにも自由に声を出せていたのに。

すると、いつの間にか近くにアイリスがいた。

「リリーが寝坊なんて珍しい。疲れているなら、出発をもう一日ずらそうか?」

アイリスは眉間に皺を寄せ、心配そうに尋ねてくる。

私は返事をするため、ペンとメモ帳を探した。

すると

「はい」

アイリスが、私の筆談セットを手渡してくれた。

『ありがとう。私は大丈夫だから、旅を続けよう』

私はそう書いて、アイリスに見せる。

アイリスは私の文字を確認すると、少し安心したように頷いた。

きっと、他の仲間達も待っている。

そう思った私は、急いで荷物をまとめて宿の部屋を出た。

荷物をまとめている間に

夢のことなど、すっかり忘れてしまっていた。


「あれ…? ここは…?」

気がつくと、私はまた雲の上から始まる夢の世界にいた。

足元を見れば、前回と同じように赤いバラの道が続いている。

「よし!」

私は、再び赤いバラの道を辿っていくことにした。

しばらく歩いていると、前回の夢が終わった場所へと辿り着く。

そして

やはり、あの女性がそこにいた。

けれど、前回とは少し様子が違う。

女性は席から立ち上がり、私が来るのを待っていた。

まるで、今日ここへ来ることを知っていたかのように。

「お待ちしておりましたわ。お茶でもいかがです?」

私に気づいた女性は、ふわりとスカートの裾を持ち上げて一礼する。

そして、私を席へと誘うように、自分の向かいにある椅子へ手を向けた。

「いただきます」

私はその誘いに従い、女性の向かいの席へと向かう。

その時だった。

「そうでしたわ!」

突然、女性が何かを思い出したかのように、大きな声を上げた。

「ひゃっ…!」

席に座ろうとしていた私は、突然の声に驚いて身体をびくりと震わせ、その場で動きを止める。

恐る恐る女性へ視線を向ける。

すると

「まだ、ご挨拶もしていませんでしたわね」

女性は何事もなかったかのように、優しい笑みを浮かべていた。

「わたくしは、イズーナと申します。以後、お見知りおきを」

「イズーナ…?」

その名前を聞いて、私は少しだけ首を傾げた。

イズーナ。

私の故郷と、同じ名前だ。

どうして同じ名前なのだろう。

そんな疑問が頭をよぎったけれど、私はそれ以上考えても仕方ないと思い、自分も名乗ることにした。

「私は、リリーです。えっと…精霊術師をやっています」

「精霊術師…?」

イズーナが、その言葉を繰り返す。

そして

「…そう。あなたが…?」

先ほどまでの優しげな表情が、ほんの一瞬だけ消えた。

私を見る瞳が、冷たくなる。

まるで、哀れむような。

まるで、恨んでいるような。

そんな感情が入り混じった、ぞっとするような視線だった。

「…えっ?」

私は、突然変わったイズーナの態度に困惑した。

何か、まずいことを言ったのだろうか。

動揺して、私は一度イズーナから視線を逸らす。

そして、恐る恐るもう一度顔を見る。

「あら? いかがなさいましたか?」

そこには、先ほどまでと変わらない優しい笑顔を浮かべたイズーナがいた。

何事もなかったかのように、小首を傾げている。

「い、いえ…何でもありません」

「そうですか。それでは、お座りになられて」

「はい。失礼します」

私は、今のは気のせいだったのかな、と不思議に思いながら、促されるまま椅子に腰を下ろした。


カチャッ。

イズーナは、ティーポットから紅茶をカップへ注いだ。

「前回は、何をお話ししていましたっけ?」

そう尋ねながら、注ぎたての紅茶を私の前へ差し出す。

「えっと…主様って方のお話を聞こうとしたところまでです」

私は、前回の夢の内容を思い返した。

すると、不思議なことに

起きている時には思い出せなかったはずの夢の内容が、すんなりと頭の中へ蘇ってきた。

「そうでしたわ!」

パンッ!

イズーナは嬉しそうに手を叩いた。

「わたくしの主様について聞きたかったのでしたわよね?」

そう言うと、イズーナは今にも話し始めそうなほど嬉々とした様子で、身を乗り出してくる。

「はい。お願いします…」

私は、その勢いに若干押されながら答えた。

「わたくしの主様は、そうですわね…」

イズーナは嬉々として話し始める…かと思った。

けれど。

「…」

顎に手を添え、左上をぼんやりと見つめながら考え込んでしまった。

「…どうかされましたか?」

少し待ってみたものの、一向に話し始める様子がない。

不思議に思った私は、尋ねてみた。

「いえ、ただ…少しばかり…」

イズーナは困ったように笑いながら、歯切れの悪い言葉を並べる。

けれど、その口調にはどこか嬉しそうな響きがあった。

「少しばかり?」

「ええ。少しばかり、威厳に欠けるといいますか…その…」

イズーナは、先ほどまでの嬉しそうな様子とは裏腹に、どこか申し訳なさそうに言葉を紡いだ。

「威厳がない…?」

主様と呼ぶ人物からは、かなりかけ離れた印象の言葉だった。

私は、少し驚いてしまう。

「もちろん、悪い意味ではありませんわ!」

イズーナは慌てて両手を振る。

「そうですわ! 親しみやすいお方なのです!」

どうやら、ようやく適切な言葉を思いついたらしい。

けれど、どこか誤魔化すように声を大きくして訂正していた。

「親しみやすい方なのですか…?」

それでも、私が想像していた「主様」とは、やっぱり少し違う。

戸惑いながら聞き返す。

「そうですわ」

イズーナは、どこか遠い目をしながら話し始めた。

「普段は押しに弱く、変なところで失敗して、ネーミングセンスもなく…」

そこで一度言葉を止める。

「色々と残念なお方ですわ…はぁ…」

イズーナは、主様のことを思い出しているのだろう。

ため息をついているというのに、その口元は緩んでいた。

「でも…」

そして、少しだけ嬉しそうに微笑む。

「どこか、人を惹きつける魅力がある不思議なお方ですの」

「ふふっ。アスターみたい」

イズーナが嬉しそうに話すのを聞いて、私も自然と頬が緩んだ。

話を聞いているうちに、ある人物の顔が頭に浮かんだ。

だから、私はつい口にしてしまった。

「アスター…?」

その名前を聞いた瞬間

イズーナの表情が変わった。

「アスター…?」

まるで、その名前に何か引っかかりを覚えたように、イズーナが繰り返す。

「そうですけど…」

私が答えると、イズーナは眉間に皺を寄せた。

「わたくし達の主様も…アスター様と言いますの…」

「えっ…?」

その瞬間

目の前の景色が、一気に遠ざかっていく。

イズーナも。

机も。

ティーカップも。

すべてが、光の彼方へと引き離されていく。

「待って!」

私は、この感覚に見覚えがあった。

また夢が終わる。

そう直感した私は、必死に手を伸ばす。

けれど

抵抗することもできないまま、すべてが遠ざかっていった。

そして、私は夢から覚めた。

「リリちゃん、おはよ。最近、寝坊多くない?」

目を開けると、目の前にはローレルの顔があった。

「ローレル、配膳を手伝ってくれないか?」

続けて、アイリスの声も聞こえてくる。

「ほいさ」

ローレルは、アイリスの呼びかけに答えるように、すぐにアイリスのもとへ移動していった。

その間、私は目覚めたばかりの頭で、先ほどの夢を思い返す。

イズーナさんの主さんの名前も、アスターっていうの?

「…」

まさかね…


「あら? 今日は、いきなり現れましたわね」

私は、イズーナのその言葉で意識を取り戻した。

辺りを見回す。

巨木に囲まれた森。

太陽は見えないのに、どこからともなく陽光が差し込んでいる。

その先には、いつものように真っ白な空が広がっていた。

いつもの夢の続きのようだ。

「お久しぶりです」

私は、イズーナの存在に気がつくと、軽く会釈をした。

「どうぞ、おかけになられて」

イズーナは、いつも通り私を席へと促した。

私は椅子に腰を下ろし、イズーナがお茶の用意をしてくれている間、ある疑問について考えていた。

どうして、私は同じ夢の続きを見ているのだろう?

何か意味があるのだろうか?

首をねじ切れんばかりにひねって考えてみても、答えは出てこない。

「うーん…?」

「どうかなさいまして?」

私が悩んでいることに、イズーナは気がついたようだった。

不思議そうに首を傾げながら尋ねてくる。

「いえ…どうして同じ夢を見ているのかな? 何か意味があるのかな? って思って考えていたんです」

夢中になって考えている姿を見られていたことが少し恥ずかしくなり、私は早口で答えた。

「ええ、意味はありましてよ」

イズーナは、さらりと答えた。

「そうですよね。意味はありますよね」

私は、何も考えずにイズーナの言葉を鸚鵡返しした。

そこで、気がついた。

今、意味があると言った…?

「…意味は、あるんですか…?」

少しの間を置いてから、私は確認するように恐る恐る尋ねた。

「ええ、ありましてよ。まあ、わたくしの一方的な願いに近い意味なのですが」

イズーナは、紅茶を注ぎながら、まるで雑談でもするかのように軽く答えた。

「それは、どういうことでしょうか?」

「そうですわね。本日は、そのお話をしましょう」

コトッ。

イズーナは、私の目の前にティーカップを置くと、優しく微笑んだ。

どこか安心するような柔らかな笑顔。

けれど、その奥には、なぜか少しだけ恐怖を感じた。

「どこからお話ししましょうか…」

イズーナは、紅茶を片手に考え始めた。

私もイズーナにつられるように、ティーカップへ手を伸ばす。

「まず、精霊ってご存知ですわよね?」

イズーナは、紅茶を少しだけ口にすると、ゆっくりとティーカップを置いた。

そして、確認するように尋ねてきた。

「はい…神様から遣わされた存在ですよね?」

私は、なぜそんな当たり前のことを確認されるのか戸惑いながらも、端的に答えた。

「いいえ。本当は、神ではなく魔王様に作られた存在ですわ」

イズーナは、私の言葉をきっぱりと否定した。

その態度には、一切の迷いがない。

嘘をついているような気配も感じられなかった。

「えっ?」

だからこそ、私はただただ困惑した。

「そう言われても、困りますわよね」

イズーナは、苦笑を浮かべながら同情するように言った。

そして、ケーキスタンドへ視線を向ける。

「お茶菓子でも召し上がりながら、わたくしの昔話に付き合ってくださりませんか?」

そう言うと、イズーナは椅子に深く座り直し、クッキーやケーキが綺麗に並べられたケーキスタンドへ手を向けた。

「はい、お願いします」

私は促されるように、中央にイチゴジャムが乗ったクッキーを手に取った。

すると

イズーナは、静かに話を始めた。


「先ほども言ったように、わたくしたちは魔族と呼ばれる存在で、主様…つまり、魔王様によって作られましたわ」

「わたくしたち? 他にもいらっしゃるのですか?」

私は、イズーナの話の中で気になったことを尋ねた。

「ええ。わたくしたちは五人いますわ」

イズーナは、何でもないことのように答えた。

「あなたがたも、よく知っていますわよ。火の魔族アグニス、土の魔族エヒメア=ツチガルド、金の魔族サカリウム、水の魔族ビワリア。そして…」

イズーナは、そこで自分の胸に手を置いた。

「わたくし、木の魔族イズーナ」

すらすらと、五人の名前を挙げていく。

そこには、言い淀みも、考え込む様子もなかった。

まるで、ただ当たり前の真実を並べているだけのようだった。

「その名前…」

私は、イズーナが口にした名前に心当たりがあった。

全部、知っている。

アグニス。

エヒメア。

サカリウム。

ビワリア。

そして、私の故郷、イズーナ。

どれも、精霊様がいらっしゃる街と同じ名前だった。

「名前はご存知でしょう?」

イズーナは、私の反応を見ながら微笑む。

「はい…」

私は、イズーナの問いに小声で返すことしかできなかった。

「それに、あなたの故郷は、イズーナ様が治めていた土地の名前が、長い年月の中で短くなって…イズーナと呼ばれるようになったのですもの」

「…え?」

私は、思わず息を呑んだ。

故郷の名前。

その由来まで知っている。

私の胸の内を見透かされているような感覚に、背筋がぞくりとした。

同時に、冷たい汗が背中を伝っていく。

「いくら教会の力が強くても、土地の名前までは書き換えられなかったようですわね」

イズーナは、小さな声で呟いた。

その口元には、どこか勝ち誇ったような笑みが浮かんでいる。

私は、目の前にいる存在が何者なのか分からなくなっていた。

精霊。

魔族。

魔王に作られた存在。

何が本当で、何が嘘なのか。

考えれば考えるほど分からなくなり、ただ恐ろしいものにしか見えなくなっていく。

私は、何も言えずに固まってしまった。

「あら? そんなに怯えないでくださいませ」

イズーナは、そんな私の様子に気がついたらしい。

困ったように笑うと、ティーポットを手に取った。

「お茶のおかわりはいかがです? おいしいクッキーやケーキもありましてよ?」

そう言いながら、イズーナは新しい紅茶をカップへ注ぐ。

そして、ケーキを一つお皿に取り分けると、私の目の前へそっと置いてくれた。

「召し上がれ」

「…」

私は、目の前に置かれたケーキを見つめた。

優しい。

あまりにも優しい。

だからこそ、怖かった。

目の前にいる存在が何者なのか。

その優しさのおかげで、ますます分からなくなってしまった。


「さて、ここからが本題なのですが…わたくしたちを、どうか助けていただけませんか?」

イズーナは、新しい紅茶を自分のカップへ注ぐと、席に腰を下ろした。

そして、あまりにも自然な口調でそんなことを言い出した。

「え、えぇ…?」

私は、突然の話についていけず、困惑してしまう。

「実は、わたくしたち魔族は、今も封印されていますの」

イズーナは、私の反応を気にする様子もなく、淡々と話し始めた。

「その封印は、とても苦しくて…痛いものですの。現に、わたくしの本体は今も苦しんでいますわ」

そう言うと、イズーナは遠くを見るような目をした。

どこか切なそうな表情だった。

「今、目の前にいるイズーナさんって…何なのですか?」

私は、イズーナの話を少しずつ信じ始めていた。

けれど、ふと疑問が湧いてきた。

目の前にいるイズーナは、本体ではない。

では、一体何なのだろう?

「わたくしは、そうですわね…」

イズーナは、そこで言葉を止めた。

まるで、どう説明すればいいのか考えているようだった。

しばらく沈黙したあと、イズーナは再び口を開く。

「引き裂かれて、リリーさんに取り込まれた力と…記憶の一部、といったところかしら?」

「引き裂かれて…取り込まれた…?」

私は、その恐ろしい言葉に引っかかった。

そんな物騒なことをした覚えなんて…

そこまで考えた瞬間。

一つだけ、心当たりが浮かんだ。

精霊様への祈り。

あれが、何か関係しているの…?

その疑問の答えは、すぐに返ってきた。

「精霊術師が捧げる、精霊への祈り…とでも言えばいいのかしら?」

イズーナは、またしても私の心を読んだかのように、答えを口にする。

「あれは、わたくしたち封印された魔族から、一方的に力を吸い取る術を発動させているだけなのよ」

「…」

御業。

力を得る。

封印術。

精霊の間の禍々しさ。

今まで見てきたものが、頭の中で一つに繋がっていく。

全部、このためだったの…?

信じたくはない。

それでもイズーナが言っていることは、本当なのではないか。

そんな気がしてならなかった。

「…」

そこまで考えると、私は何も言えなくなった。

私が今までしていたことは

魔族を苦しめることだったの…?

そう思った瞬間、胸の奥が締めつけられた。

罪悪感に押し潰されそうになり、私はただ俯くことしかできなかった。

「リリーさん」

そんな私を見て、イズーナが優しく声をかける。

「あなたを責めているわけではありませんのよ。ですから、そんなに俯かないでくださいまし」

「…私は、どうしたらいいのですか?」

気がつけば、口が勝手に動いていた。

けれど、怖くてイズーナの顔を見ることができない。

「そうですわね…」

イズーナは、少しだけ考え込んだ。

そして、静かに私へ提案する。

「少しばかり、お身体を拝借させていただけませんこと?」

「身体を…拝借…?」

その言葉を聞いた瞬間、恐怖が全身を駆け巡った。

身体を借りる。

それって

魔物落ちのことでは…?

そんな疑問が頭に浮かんだ、その瞬間。

一気にイズーナや机が遠ざかっていく。

「あ…」

目覚める。

そう直感した。

そして同時に、少しだけ安堵した。

このまま夢が終わってくれる。

そう思った。

意識が現実へと引き戻されていく中

イズーナの声だけが、遠くから聞こえてきた。

「拝借したお身体は、必ずお返しいたしますわ」

そして最後に。

「主様に誓って」


「…!」

私は、目を覚ました。

辺りを見回す。

見慣れた机に、椅子。

そして、私の筆談セット。

どうやら、サカリウムの宿のようだ。

私は、無事に目を覚ますことができたことにホッとした。

だけど、イズーナさんの言葉が頭から離れない。

そして、以前グラッドから言われた言葉も頭をよぎった。

不思議な夢には、気をつけろ。

私の頭の中は、もう情報でパンパンだった。

考えていても仕方がない。

気分転換をして、少しでも忘れるために、夜の街を散歩しよう。

そう決意すると、私は筆談セットとワンドを持って、宿を出た。

夜の街は、昼間とは大きく違っていた。

職人さんが金属を打つ音も、子どもたちが遊び回る声も聞こえない。

聞こえてくるのは、自分の足音ばかり。

そして時折、どこからともなく謎の鳥の鳴き声が聞こえてくる。

昼間はあれほど賑やかだった街が、まるで別の場所になったようだった。

私は、静かな街を歩きながら、頭の中を整理していく。

精霊は、魔族。

その魔族は、封印されている。

御業は、魔族から力を吸い取る術で…

そして…

アスターは、魔王…?

考えれば考えるほど、頭の中が整理されるどころか、逆にぐちゃぐちゃになっていく気がした。

アスター本人に聞けたらなぁ…

そんな馬鹿なことを考えながら、宿へ向かって歩いていると

前方に、男性の影が見えた。

「…!」

私は、思わず足を止める。

夜道で突然現れた人影に、警戒する。

しかし、距離が近づくにつれて、その姿がはっきりと見えてきた。

見慣れた姿。

…アスター!

そう分かった瞬間、私は小走りでアスターの元へ向かった。

そして

まるで、私の疑問に答えるかのように。

アスターは、イズーナから聞いた話と同じ話を、例え話として私に語り始めた。


私は、アスターの話を聞いて、とても動揺していた。

イズーナさんの話は、本当だったの…?

そう思うと、胸がキュッと締め付けられるようだった。

いったい、何を信じればいいのだろう。

そんなことを考えながら、私とアスターは約束をした。

明日、仲間のみんなにアスターの悩みを打ち明ける、と。

それから、私は足早に宿の部屋へと戻った。

そして、布団に入る。

目を閉じながら、イズーナの最後の言葉を思い出した。

少しばかり、身体を拝借させていただけませんこと?

…イズーナさんに、少しだけ身体を貸してもいいよね…?

そう思いながら、私は眠りについた。


「あら? おかえりなさいまし」

気がつくと、私はいつもの夢の中に戻ってきていた。

「イズーナさん!」

私は、イズーナさんに再会できたことを喜んだ。

「あらあら。そんなに慌てて、いかがなさいました?」

イズーナは、私の様子に少し困惑しているようだった。

「本当に…身体を返してくれますか?」

私は、イズーナの目を真っ直ぐ見つめて、真剣に尋ねた。

「もちろんですわ。主様に誓いますゆえ」

イズーナさんも、私の目を真っ直ぐに見据えて答える。

「イズーナさんの主さん…アスターさんは、今この近くにいます」

その言葉を聞いた瞬間、イズーナの表情がわずかに変わった。

「そして、私は明日、アスターさんの悩みを仲間のみんなと一緒に解決しないといけません」

私は、一度言葉を切る。

「だから、身体を貸せる時間は短くなってしまいます。それでも、構いませんか?」

私は、イズーナのことを完全に信じ切ることはできなかった。

だから、条件を付けた。

イズーナにとって、きっと一番裏切りたくない相手。

その人の名前を、あえて出した。

「やはり…近くにいらっしゃるのですね…」

イズーナは、嬉しそうに微笑んだ。

その表情は、今まで見たことがないほど嬉しそうだった。

「主様に少しだけお会いして、お話をしたら、すぐにお返ししますわ」

待ちきれない。

そんな気持ちが伝わってくるほど、イズーナは嬉しそうに言った。

「分かりました。でも…」

私がそこまで言ったところで

イズーナの姿が、ふっと消えた。

「えっ?」

何もない空間を見回す。

すると、どこからともなくイズーナの声が聞こえてきた。

「本当に感謝いたしますわ。すぐに戻ってまいりますので、少々お待ちあそばせ」

「イズーナさん…?」

返事はない。

私は、一人で取り残された。

「…私の身体、声が出ないけど大丈夫かなぁ…?」

一抹の不安を覚えながら、私は先ほどまでイズーナが座っていた場所を見つめる。

けれど、今さら追いかけることもできない。

仕方なく、私は置かれていたお茶菓子を手に取った。

「…おいしい」

そう呟いてお茶を楽しみながら、イズーナが戻ってくるのを待つことにした。

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