第七十八話 測れない名前
王都記録院で見た。
切り取られた署名の写し。
レインは紙の端へ定規を当てた。
「ここから、ここまで。」
空白の幅は分かる。
だが。
「待ってください。」
セレスが別の紙を重ねた。
「これは報告者の署名です。」
百年前の勇者の名前ではない。
自分たちが分けたはずの空白だった。
「そうだった。」
レインは定規を置く。
名前を探すことに集中して。
また、別の欠損を重ねかけた。
「測っても。」
ガレスが言う。
「分かるのは、報告者の署名の長さだけだ。」
「蓮の家名には使えない。」
「悪い。」
「気づけたならいいです。」
セレスは空白の紙へ線を引いた。
『調査対象から除外。』
◇
「でも。」
トーマが切り口の写しを見る。
「名前が消された方法は比べられないか?」
「方法?」
「報告者の署名は切られた。」
「受領した人の名前は削られた。」
「蓮の家名は、音が欠けてる。」
消えた名前は複数。
消え方も複数。
同じ人物の名前ではなくても。
同じ時期に。
同じ出来事の周りで起きている。
「比べるなら、長さじゃない。」
レインは三つの欄を作った。
『紙の切除。』
『文字の削除。』
『音声の欠損。』
「起きた時期と。」
「誰の記録に起きたか。」
司書が続ける。
「残っている部分も必要です。」
消えた場所だけを見ても。
消した理由は分からない。
「誰かが意図して消した、とも限らない。」
学院長が言う。
「紙は人の手で切られています。」
「ですが、音声の参照喪失まで同じ者が行った証拠はない。」
「名前に関わると、別々の記録で異常が起きる。」
トーマが三つの欄を見る。
「そこまでは同じだろ?」
「うん。」
レインは共通点を別の紙へ移した。
『百年前の人物に関わる記録。』
『複数の名前が欠けている。』
『欠損方法は一致しない。』
同じ原因だと決めず。
関係がないとも決めない。
◇
三つ目の音声を流す。
『――ざき、蓮。』
欠けているのは。
家名の前半らしい音。
それ以外の声は残っている。
「紙とは違う。」
学院長が言う。
「音声魔石そのものは壊れていません。」
「はい。」
司書が魔石を光へ透かす。
「記録の一部だけが読み出せない状態です。」
「クロニクルでは?」
レインが尋ねる。
【欠損状態を確認】
【媒体損傷:なし】
【名称参照:部分喪失】
紙を破ったような。
物理的な欠損ではない。
名前に当たる部分だけが。
記録からつながらなくなっている。
「黒い本の蓮は残っていた。」
トーマが言う。
「どうして、そっちは消えなかった?」
「分かりません。」
同じ名前でも。
残る形が違えば。
消え方も違うのかもしれない。
だが。
それも推測だった。
◇
測れなかった名前の長さを。
レインは諦める。
代わりに。
音声の前後を書き出した。
『記録しておく。』
『俺の名前は――ざき、蓮。』
「誰に向けた記録でしょう。」
セレスが尋ねる。
「分からない。」
「でも、自分から名乗ろうとしてる。」
北方では。
『名乗る名がない』と答えた。
この音声では。
自分の名前を残そうとしている。
「順番は?」
ガレスが言う。
三件目の音声が。
北方より前か、後か。
作成時期は表示されていない。
「声の違いから、時期は分かりませんか?」
セレスが尋ねる。
司書が二つの声を並べる。
名乗ろうとした声は落ち着いている。
北方の声は。
息が浅く、傷の痛みが混じっていた。
「負傷の有無は推測できます。」
「ですが、どちらが先かは分かりません。」
「傷が治った後の声かもしれないから?」
「はい。」
声の弱さも。
時間の印にはならなかった。
「分かりません。」
レインは新しい欄へ書く。
『名前を名乗ろうとした記録。』
『名乗る名がないと答えた記録。』
『前後関係は未確定。』
名前の長さは測れなかった。
けれど。
名前が失われる途中に。
少なくとも二つの状態があった。
一つは。
まだ、名乗ろうとした声。
もう一つは。
名乗ることをやめた声だった。
その間に何があったのか。
今はまだ。
名前より大きな空白として残っていた。




