第四十六話 切り取られた署名
紙の右下だけが、
四角く切り取られている。
「破れたんじゃない。」
トーマが言った。
「誰かが切った。」
ガレスは紙へ触れず、切断面を見つめる。
「古い傷だ。」
「いつ切られたかは分からん。」
記録院の職員も確認する。
「保管時の状態と一致しています。」
「記録院へ来る前から失われていた部分です。」
「この報告を書いた人の名前だけですか?」
レインが尋ねる。
「署名欄と、所属を示す印の一部です。」
「ほかに名前が分かる記録は?」
「受領台帳を確認します。」
職員が部屋を出ていく。
扉が閉じると、トーマが小さく息を吐いた。
「名前を探しに来たのに。」
「また名前が消えてる。」
「同じ名前とは限りません。」
セレスが言う。
「黒衣の負傷者の名前と、報告した人の名前。」
「二人分です。」
「だから余計に変だろ。」
負傷者の名前は、記録から欠けている。
それを見た者の名前も、切り取られている。
名前のない者を、
名前のない報告者が記していた。
「クロニクルは?」
ガレスが尋ねる。
「何も出てません。」
「検索は保留したままです。」
「なら、そのままにしておけ。」
レインは頷く。
自分で読めるものを、先に読む。
それは禁書庫で学んだことでもあった。
◇
職員が薄い台帳を持って戻ってきた。
「該当する報告の受領記録です。」
台帳には、日付と保管番号が並んでいる。
該当する行だけ、名前の欄が空白だった。
「ここも。」
「はい。」
「書き忘れではありません。」
職員が紙を斜めから見る。
「一度、文字が書かれています。」
「その後、削られています。」
紙の表面に、浅い傷が残っていた。
学院の修復術具があれば、痕跡を調べられるかもしれない。
だが、ここでは使えない。
「記録院の方法で復元できますか?」
セレスが尋ねる。
「可能性はあります。」
「ただし、別の許可が必要です。」
「今日中には?」
「難しいでしょう。」
トーマが肩を落とす。
「また待つのか。」
「待っている間に、ほかを読める。」
レインは台帳の次の欄を見た。
同じ保管番号を参照する記録が、もう一つある。
『北方救護所への照会。』
「これ。」
「黒衣の負傷者について、救護所へ確認してる。」
照会の日付は、街道報告の翌日。
回答の日付は、その三日後。
だが、回答の内容はここにはない。
「二つ目の申請記録でしょう。」
セレスが言った。
北方救護所からの搬送記録。
職員が次の箱を準備する。
中には、細長い帳面が入っていた。
負傷者。
病名。
治療内容。
搬送先。
いくつもの項目が細かな字で並んでいる。
「黒衣の男を探すのか。」
「日付と傷から絞れます。」
セレスとレインが頁を分けて確認する。
トーマも向かい側から名前を追った。
夕方が近づいても、該当する記録は見つからない。
「救護所に来てないんじゃないか?」
「街道の報告では、負傷していた。」
レインは最後の頁をめくる。
そこに、一行だけ、欄外の書き込みがあった。
『治療を拒否した者、一名。』
『左脇腹に深い傷。』
『黒衣。白銀の剣を所持。』
名前の欄には、
何も書かれていない。
その代わり、備考欄に短い言葉が残っていた。
『本人は、名乗る名がないと答えた。』
レインは、その文から目を離せなかった。
名前が消されたのではない。
この時にはもう、
本人が自分の名前を口にしなかった。




