Ex.『薄氷の造花』
因果、とは、巡るものだ。生命のように、産まれ、育ち、壊れて、再び還る。
数え切れないほどの選択が、贖い切れない後悔が、
過去を、作る。
因果とは巡るものだ。例えどれ程の不幸に見舞われたとしても。
それは、ただの輪廻の中で、等しく、刹那的な永遠を模している。
──────────────
祖父が、死んだ。
夏が過ぎ、秋色に彩られる森の中で。ただその場所だけが、モノクロに染まっていく。
「この度はお悔やみ申し上げます……」
「祖父も、喜んでいると思います。こんなに沢山の方に……参列、して、いただいて」
家業を継いでいた俺は、当然、その葬式の喪主をやることになった。厳格に、規則的に。人の死を祭るとは、これ程までに、人格を奪われるものなのだろうか。
記憶は曖昧だ。棺の中で眠る祖父を見た時に、初めて、理解できない恐怖というものを覚えた。
死とは。忘れられることだと誰かは言う。俺はそれを、正しく飲み込むことができない。忘れてしまっても、世界からその痕跡が、一つ残らず消えてしまったとしても。誰かに理解されていた、その事実がある限り、人は死ぬことができない。
安寧とは地獄のようなものだと思った。何故なら、安寧を理解することは、この世の誰にも、できやしないのだから。
「無事に終わって、一息、つけましたね」
「すみません、手伝っていただいて」
「あら?家族の葬儀の手伝いに、何を謝られることがあるのかしら」
その時期、俺は西条凪紗と、いわゆる、夫婦の関係、になっていた。どちらから、という訳でもない。苗木がいずれ大木に変わるように。酷く退屈で、当たり前の循環。
いつからか、そう思うようになっていた。
「俺、どうしたらいいんでしょう」
弱音を吐いたわけではなかった。祖父が居なくなったとしても、俺の役割は変わらない。だから、ただの確認作業。この平穏を守る、ある種の人柱として、生きていくのだとわかっていた。
「コウくんは、どうしたいの?」
日課になってしまった、暗い部屋の中での晩酌。彼女は、文句の一つも言わずに付き合ってくれる。彼女の時間は、水仙を見たあの日から、止まってしまったように、残酷なほど綺麗なままで。
「……探偵は、探偵をやっていない時、一体、何者なんでしょうか」
「それって、そんなに重要なことかしら」
彼女の問いに対する答えは、未だに見つかっていない。ただ俺は、誰かを理解することで、その誰かを殺してしまうことを、この時期に覚えたのかもしれない。
「役割を失った花は、枯れる以外にありません」
「役割って?なに、コウくん」
「……咲くこと、です。或いは、咲かされる、こと」
彼女は、その横顔に、憂いを帯びた眼差しを浮かべる。そんな表情をするようになったのも、俺という土に根を張ってしまったからなのだろうか。
「不謹慎な話」
「……すみません。酔いが回ったのかも」
「アルコールのせいにするなら、もうコウくんとお酒が飲めなくなってしまうわ」
「……でも、じゃあ、人の死って、何なんでしょうか」
俺はその日、初めて、彼女という深淵に反発した。覗こうと決めてしまった。
「悲しかった?」
「……いいえ」
「辛くなった?」
「いいえ」
「じゃあ、楽しい?」
「それは、違うと、思います」
寂寥感では片付けられないほどの空白。そしてそれは、反転した他者への興味でもない。善意でもない。底知れぬ悪意でもない。ただ、咲くことの出来なくなった花のように、その場にヒラヒラと落ちていくだけの、意味の無い、感情。
「多分ね、それは、愛、なんだと思う」
「愛、ですか」
「そう。悲しい、嬉しい、そういった感情の向こう側にある、一種の本能」
「……愛とは、こんなにも、不明瞭な形をしているのですか?」
彼女は、煙草の灰を落とす。俺に合わせるように、吸い始めたその匂いを、ずっと、受け入れることができなかった。
「見えないものに形を見るなんて、傲慢だわ」
「形容しないと、それは、回収されない伏線のようなもの、だと思って」
「現実は喪失の連続で形作られるの。コウくんが失ったそれは、家族の死に対する、答え、なんかじゃないわ」
彼女は口癖のように言っていた。人は、失うからこそ、生きているのだと。死に向かう流星。燃え尽きる運命のままに堕ちる、願いの星。
「凪紗さんは時々、難しい言い回しをしますね」
「誰かさんの癖が移ったのかも」
「……そういうのも、あるんですか」
誰かを真似る以外で、他人に寄ることがあると、彼女は教えてくれた。意識ではなく、無意識の領域で。その人に近づこうとすると。美しい幻想だと思った。
「コウくんって、時々、信じられないくらい、冷たく見えるわ。冷たいってより、覚めてる、っていうか……」
「そういうつもりはないんです。すみません。俺は凪紗さんの言葉、好きです。好きだと思います」
「なにそれ。ふふっ。不器用なだけなのよね、コウくんは」
確認のようなその言葉に、俺は上手く答えることができなかった。
理解とは、一種の刃だ。理解とは、人の胎を割いて、その中身を覗き見るような。だが、その行為こそが、人間の社会性を補っている。人類とは、互いの腸を、貪りあって生きている、そんな生き物なのだと。
「……分からないことを、そのままにしておくのは、良く、ないですか」
「……私はね、全てを理解しているから、コウくんの隣にいる訳じゃないのよ」
「じゃあ」
「理解し続ける、っていうのも、愛の形、なんじゃないかしら」
理解とは、その場しのぎの記号ではなく、それ自身を、数珠繋ぎに視認すること。自分のうちに、閉じ込めてしまうことだと、彼女は言った。
「もし、できなくなってしまったら?」
「その時は────」
「────現実に、戻らないといけない。そう感じるの」
俺は幻の中に、彼女という鏡像を見ていたのかもしれない。この時は、きっと、そうであると願いたかった。
久々のEx回です。書く時はずっと緊張しています




