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起きてください、しろさん

作者: アメリカンフットボーラーの威を借るオタク
掲載日:2026/07/03

第一話ということになります 二話以降も投稿していきますのでよろしくお願いします

朝比奈家の朝は、静かだ。


 街の喧騒とは少し離れた丘の上に建つその屋敷は、昔ながらの洋館を思わせる重厚な造りで、ザ・金持ちのお屋敷の風貌を呈している。赤茶色の屋根に白い外壁、季節ごとに色を変える広い庭。春を迎えた木々の葉が朝風に揺れ、小鳥のさえずりだけが穏やかに響いていた。


 そんな静寂を破るように、一人の青年が廊下を歩いていく。


「……また、ですか」


 制服姿の朝比奈(あさひな) (みなと)は、小さくため息をついた。高校二年生。朝比奈家の一人息子であり、この大きな屋敷の"ご主人さま"でもある。もっとも、学校ではそんなことを知る者はほとんどいない。ただの少し真面目な高校生。それが周囲から見た朝比奈湊という人物だった。


 廊下の先にあるリビングの扉は、少しだけ開いている。中を覗き込むまでもなく、湊は確信していた。


 ――いる。

 今日も。

 昨日も。

 一昨日も。

 きっと明日も。


 静かに扉を開ける。朝日が大きな窓から差し込み、白いレースのカーテンをゆっくり揺らしていた。広々としたリビングの中央。革張りのソファには、予想どおり一人の女性が横になっている。


 銀色の長い髪がクッションの下へ流れ落ち、黒と白のメイド服は驚くほど綺麗なまま。両手で抱き枕を抱え込み、ほぼずり落ちた状態の毛布をギリギリ体に載せながらも規則正しい寝息を立てていた。


「……すぅ」


「やっぱりか」


 湊は苦笑した。


 昨日の夜。


『今日はちゃんとベッドで寝てくださいね』


 そう念を押したはずだった。その時の返事も覚えている。


『……はい。』


 あれは何だったのだろうか。どう考えても、この人はベッドまで歩くことすら面倒になって、そのままソファに倒れ込んだに違いない。が、そんなことを考えていても仕方ない。


「しろさん」


 優しく呼びかける。返事はない。


「しろさん、朝ですよ」


「……」


 静かな寝息だけが返ってきた。


 湊はソファの横まで歩み寄る。


 近くで見ると、しろは本当によく眠っている。長いまつ毛は微動だにせず、表情も穏やかそのもの。これだけ見れば、とても優秀なメイドには見えない。いうなれば、ただ眠るのが大好きなお姉さんだ。


「しろさん」


 もう一度。今度は少しだけ大きな声で呼ぶ。


「……ん」


 小さく肩が動いた。


「朝ですよ」


「……ん……ご主人。」


 閉じたままの唇がゆっくり動く。


「おはようございます」


「おはようございます」


 返事を返した湊は、ほっと息をついた。起きた。

 ……と思ったのだが。


「それじゃ、起きてください」


「……はい」


 返事だけは、とても素直だった。しかし。


 十秒。


 二十秒。


 三十秒。


 しろは一ミリも動かない。


「……」


「……」


「しろさん」


「……はい」


「目、開いてませんよ?」


「……開けます」


「いつですか」


「……そのうち」


「そのうちじゃ困ります」


 ようやく、しろは薄く片目を開けた。眠たげな瞳がぼんやりと湊を映す。


「……朝ですか」


「朝です」


「……早いですね」


 柱時計を見る。時刻は七時ジャスト。


「普通です」


「……まだ夜でもいいと思います」


「北極圏じゃないんですから。世の高校生はみんな起きてますよ」


「……大変ですね」


「他人事みたいに言わないでください」


 しろは少しだけ考えるように天井を見上げた。


「……ご主人」


「はい」


「あと五分」


「却下です」


「……三分」


「減らしても駄目です」


「……一分だけ。給料減らしてもいいので」


「交渉しないでください」


 しろは小さく息を吐く。


「……世知辛い」


「二度寝かまそうとする人が言う台詞じゃないですよ?まったく」


 数秒の沈黙。


 そして。


「……昨日の私が悪かった」


「昨日だけじゃありません」


「……一昨日も」


「認めるんですね」


「……その前も」


「開き直らないでください」


 湊は思わず笑ってしまう。本気で怒ろうと思っていたのに、この人相手だと調子が狂う。しろは相変わらず眠そうな顔のまま、ゆっくりと身体を起こした。銀髪がさらりと肩から流れ落ちる。寝癖一つない。不思議な人だ、と湊はいつも思う。あれだけ無造作に寝っ転がっていたのにメイド服は乱れず、髪も綺麗なまま。本人は「面倒」やら「眠い」やらが口癖なのに、身だしなみだけは完璧なのだ。


「……ご主人」


「はい?」


「お腹空きました」


「起きて最初がそれですか」


「……朝なので」


「それはそうですけど」


 しろはソファから立ち上がると、小さく伸びをした。


「……朝ご飯、作んなきゃ」


 その一言を残し、ふらふらとキッチンへ向かって歩き始める。足取りは今にも寝そうなくらい頼りない。


 ――大丈夫かな。


 そんな心配が頭をよぎる。だが、その心配は毎朝裏切られることを、杞憂であることを湊はよく知っていた。


 この人は。


 この眠そうな年上メイドは。


 料理だけは、いや――料理も、なのだが、とにかく何をやらせても信じられないほど完璧なのだから。


キッチンから聞こえてくるのは、規則正しく包丁がまな板を叩く音だった。


 トントントン。


 一定の間隔で響くその音は、不思議と耳に心地よい。さっきまでソファで「あと五分」と寝ぼけていた人物とは思えないほど、迷いのない手つきだった。湊は制服のネクタイを整えながら、その様子を横目で見つめる。しろは一言も喋らない。眠そうな表情も変わらない。けれど、包丁を持った瞬間だけは別人だった。


 卵を割る。


 フライパンを温める。


 ベーコンを並べる。


 食パンをトースターへ入れる。


 どの動作も静かで、速く、無駄がない。


(……やっぱりすごいな)


 何度見ても見惚れてしまう。飽きない。


 昔、テレビで一流ホテルの料理人を特集していたことがある。その料理人の動きと比べても、しろはまったく見劣りしなかった。


 本人は「面倒」が口癖なのに。


 料理だけは絶対に手を抜かない。


「……ご主人。」


 卵を混ぜながら、しろが声をかける。


「はい?」


「コーヒーですか」


「あ、今日は紅茶でお願いします。」


「……承知しました。」


 返事は短い。だが、湯を沸かし始める手に迷いはなかった。


 やがて、部屋いっぱいに紅茶の香りが広がる。焼きたてのパンの匂い。ベーコンの香ばしい匂い。朝の静かな屋敷に、それだけで温かさが満ちていく。


 十分も経たないうちに、朝食は完成した。


「……できました。」


 食卓には二人分の皿が並んでいる。


 こんがり焼けたトースト。


 ふわりと湯気を立てるスクランブルエッグ。


 彩りのいいサラダ。


 ベーコン。


 そして、紅茶。


 どれも見事な出来栄えだった。湊は椅子を引きながら、向かいの席を見た。


「しろさん」


「……はい」


「座ってください」


 しろは一瞬だけ動きを止める。


「……私は後で。」


「駄目です」


 湊は即答した。


「朝比奈家のルールですよ」


「……」


「食事は、できる限り一緒に食べる。」


「…………」


「主人である僕が決めたルールです」


 しろは小さく息をついた。その反応を見て、湊は苦笑する。最初の頃は毎回こんなやり取りだった。


 『私は使用人ですので』


 『主人より先には食べられません』


 『後でいただきます』


 何度断られても、湊は首を横に振った。


 ――一人で食べるご飯は、おいしくないから。それだけが理由だった。


 広い屋敷。


 長い食卓。


 誰もいない席を眺めながら食べる朝食が、どれほど寂しいものか。湊はよく知っていた。だから決めた。この家では、一人では食べない。それが朝比奈家のルールだと。しろも今では分かっている。このルールは主人としての命令ではなく、湊の優しさなのだと。


「……分かりました、ご主人。」


 そう言って、しろは静かに椅子へ腰を下ろした。二人が向かい合う。窓から差し込む朝日が、白いテーブルクロスを柔らかく照らしていた。湊は手を合わせる。


「いただきます」


「……いただきます」


 二人の声が重なる。それだけで、少しだけ嬉しくなる。


 トーストを一口。表面は香ばしく、中はふんわり。スクランブルエッグは驚くほど滑らかで、バターの香りが口いっぱいに広がる。


「……おいしい。」


 思わず本音が漏れた。


「やっぱり、しろさんの料理が一番です」


「……そうですか。」


「はい。」


「……よかった。」


 ほんの少しだけ。本当にほんの少しだけ。しろの口元が緩んだ気がした。


 けれど、それは一瞬でいつもの無表情に戻る。湊は気付かなかった。


「しろさん。」


「……はい。」


「これだけ料理が上手なんですから、もう少し真面目に働いてくれません?」


 しろは紅茶を一口飲み、静かに答える。


「……今、働いてますが。」


「それはそうですけども」


「朝食も作りましたし」


「はい。」


「一緒に食べてます。」


「はい。」


「……今日はもう十分じゃ?」


「十分じゃありません。」


「掃除も洗濯もありますよ。」


 しろは少し考える。


「……ちゃんと終わらせますよ。」


「本当ですか?」


「……たぶん。」


「『たぶん』が一番信用できないんですよ。」


 その言葉に、しろは小さく首をかしげた。


「……信用、ないですか?」


「あります。」


「でも、寝ちゃいますよね?」


「……たしかに」


「折れないでください」


 思わず笑いがこぼれる。朝の食卓には、他愛のない会話しかない。けれど湊は、この時間が好きだった。誰かと向かい合って「いただきます」と言うこと。誰かが「おいしい」と笑うこと。それだけで、この広い屋敷は"家"になる気がしていた。


 そして、そのことを――しろも少なからずわかっていた。

何も考えずに読んでいただけたら幸いです。続きかくかもしれません。不定期更新していきます。よろしくお願いします。


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