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翌日、祐市と蓮月は千葉刑事の手配したフォードに揺られ奥多摩の山深くへと分け入った。
帝都の華やかさとは隔絶された山犬村は霧がかった山々に囲まれまるで時代から取り残されたかのようにひっそりと息を潜めていた。
駐在所までの道すがらすれ違う村人たちは祐市たちを遠巻きに見るだけで誰も口を開こうとしなかった。
彼らの目にはよそ者への警戒心と共に祟りに関わるなという深い恐怖が宿っているのが見て取れた。
無言の圧力が村全体を覆っているかのようだ。
村に唯一ある駐在所も雨風に晒された古びた木造の建物だった。
中に入ると妙な匂いが混じった淀んだ空気が鼻をつく。
奥の簡素な机で中年の警察官が一人帳簿に何かを書き込んでいた。
制服はくたびれているがその姿勢にはどこか軍人を思わせる雰囲気があった。
くたびれた制服とは対照的に机の上にはこの古びた駐在所には、不釣り合いなほど立派な置時計が鎮座しており、男が使う万年筆も金色の光を放っている。
所々置いてある値段が張りそうな小物達がこの村の駐在所には不釣り合いな印象を受けた。
そして男のペンを走らせるその指先がほんの僅かに震えているのを蓮月は見逃さなかった。
全体的に動きがどこかぎこちない。
何かの後遺症だろうか。
「警視庁怪異対策課 の紹介で参りました、霧祓探偵事務所 の霧祓と申します」
祐市が穏やかに名乗る。
男は億劫そうに顔を上げた。
一瞬、その目が虚ろに揺れたように見えたがすぐに険しい表情に戻る。
「霧祓? ああ、聞いてるよ。俺は駐在の木島。わざわざ帝都からご苦労なこった。だが、無駄足だ」
彼は溜息と共に吐き捨てた。
「また神隠しさ。山犬様の祟りだよ。あんたら都会のもんに何ができる? 早く帰った方が身のためだ」
その口調には諦めと介入されることへの苛立ちが滲んでいた。
「祟りですか」
蓮月が静かに問い返す。
「ですがここ数ヶ月で五人もの方が行方不明というのは異常事態です。我々はあらゆる可能性を視野に入れて調査するよう依頼されています」
「可能性だと? 馬鹿馬鹿しい」
木島は吐き捨てるように言った。
「これは祟りだ。山犬様を怒らせたんだ。それ以外に何がある?あんたらが下手に嗅ぎ回れば次の犠牲者が出るだけだぞ」
木島は頑なに祟りを主張しそれ以上の情報提供を拒んだ。
祐市が冷静に失踪者の名前や日時、最後に目撃された場所といった事実確認をしても彼は「山に入ったきり戻らんだけだ」「祟りだと言ってるだろう」と繰り返すばかりだった。
(これ以上の情報は引き出せそうにないな)
祐市は蓮月と目配せをする。
蓮月も静かに頷いた。
「分かりました」
祐市は一旦引き下がることにした。
「我々は村の方々にもお話を伺ってみます」
祐市と蓮月が駐在所を出て行こうとした、その背中に木島 がぶっきらぼうに声をかけた。
「おい、あんたら」
振り返る二人に向かって、木島は苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「本当に山に入るのか? もし何かあったらすぐに狼煙でも何でも上げて知らせてくれ。助けに行く」
彼は吐き捨てるように付け加えた。
「だがな、西の古い鉱山跡なんぞには絶対に近づくんじゃねえぞ。村のモンは誰も寄り付かねえ禁足地だ。助けになんか行けねえからな」
その言葉はぶっきらぼうながらも二人の身を案じているようにも聞こえた。
祐市達は静かに一礼し駐在所を後にする。
二人は得られた情報を基に村の他の情報源を求めて調査を開始する。
駐在所を出た二人はひとまず村を見渡せる小高い丘へと向かった。
霧はいくらか薄れ眼下に広がる山犬村の全貌が見える。
時代に取り残されたような静かでどこか息詰まるような空気を纏った集落だ。
祐市は霧に煙る西の山の方角を見据えた。
「俺はまず失踪現場を調べてみるよ。何か物理的な痕跡が残っているかもしれない」
「はい」
蓮月は頷く。
「私は村に残ってもう少し聞き込みを。駐在さんがあれだけ祟りを強調するからには何か村に伝わる話があるはずです。それと村の最近の状況についても少し気になることがあります」
「分かった。無理はしないで」
「兄さんもお気をつけて」
二人は互いの無事を確認するように短く視線を交わすとそれぞれの調査へと向かった。
蓮月はまず村で唯一の神社へと足を向けた。
年の頃なら七十は超えているであろう人の良さそうな神主は帝都から来たという物珍しい訪問者を快く迎え入れてくれた。
「山犬様の言い伝えですか。ええ、確かにこの村には古くから伝わっておりますが……」
神主は少し困ったように眉を下げた。
「祟りを恐れる村人もおりますがわしとしてはただの古い迷信だと思っておりますよ」
蓮月は神主の許可をもらい、神社の片隅にある小さな書庫で村の古い記録を調べさせてもらうことに成功した。
埃をかぶった和綴じの書物を次から次へと目を通していくと彼女の目はある記述に釘付けになった。
「山鬼」
それは山犬様とは別のより禍々しい存在について記されたものだった。
「飢饉の折、山にて人を食らいし者、人の道を外れ鬼と化す」
「死者の声を真似て山に入りし生者をおびき寄せ喰らう」
「山鬼は月が満ちる夜に決まって現れ山に入りし不届き者を喰らう」
蓮月は千葉刑事から得ていた5人の失踪者リストを取り出しその日付を確認する。
指が震えた。
「8月4日、9月2日、10月2日、10月29日、全て満月あるいはその前後だわ……。五人ともほぼ満月の夜……」
神隠しでも祟りでもない。
この事件の犯人は古文書に記された怪異、山鬼である可能性が極めて高い。
さらに別の民間伝承を記した書物には屍香という記述があった。
「山中に咲く稀な薬草。甘く腐敗したような香りは、飢えたる鬼を誘う」
怪異の正体とその習性は掴んだ。
だが蓮月の疑念は別の方向へ向かう。
(だとしてもなぜ今? なぜあの五人が?)




