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霧祓探偵事務所の怪異録  作者: aik
白腕の絞殺

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1-5

 その時、廊下がにわかに騒がしくなり千葉刑事が怯えきった女中頭たちを伴い、息を切らして駆け込んできた。


「霧祓さん! いまの物音とすさまじい気配は!? 怪異は……!」


 千葉は破壊された部屋と放心状態の佐伯、気を失ったお梅を見て、息を呑む。

 祐市は千葉 に向かって静かに頷いた。


「怪異は祓いました。もう危険はありません」

「そう、ですか。良かった」


 千葉 が安堵しかけたその時、座り込んでいた佐伯が虚ろな声で呟いた。


「妻は、佐知子は逝ってしまったのかね」

「はい」


 蓮月が静かに答える。


「そうか。私も……すぐ……」


 彼女は佐伯の前に立ち、その瞳で虚空を見つめる男を見据えた。


「佐伯さん。あなたは生きなければなりません」

「……」

「あなたの罪は、奥様の霊と共に消えたわけではありませんから」


 蓮月の言葉の意味を正確に理解した千葉刑事は安堵の表情を消し、厳格な警察官の顔に戻った。

 彼は佐伯に向き直る。


「佐伯さん。執事の殺害の件について、詳しくお話を伺う必要があります。署までご同行願えますか」

「……」


 佐伯はもはや抵抗しなかった。

 妻の魂が消え、生きる気力も死ぬ勇気も失った彼は力なく頷いた。

 後ろで見ていた女中頭たちも奥方への迫害の関与、あるいは重要参考人として他の警官に保護されていく。

 祐市は部下の警官に介抱されているお梅に一瞥をくれた。

 (彼女は姉が妹に会いに来たという真相を知らないまま、生き残った)

 佐伯が千葉刑事に抱えられるようにして、部屋から連れ出されていく。


「蓮月。帰ろう」


 祐市が蓮月の肩にそっと手を置いた。

 蓮月は佐伯が連行されていくその背中を、言葉にできない複雑な表情で見つめていた。

 自らのはったりが炙り出した結末をただ噛みしめるように。

 陽は既に西に傾き始めていた。

 佐伯家の屋敷であった激闘がまるで嘘だったかのように、帝都の空は静かな茜色に染まっている。

 霧祓邸へと戻る、千葉刑事の運転するフォードの車内は重い沈黙に満たされていた。

 祐市と蓮月は後部座席に並んで座っている。

 やがて、彼女が絞り出すような小さな声で呟いた。

「……兄さん」

「……ん?」

「口封じは私の勘違いでした」

「私がもっとちゃんとしていれば、別の結末があったのかもしれない」

「私、探偵としてはまだまだ未熟です」


 祐市は無言で蓮月の手を握った。

 霧祓蓮月は天才でもなければ、神の啓示を受ける巫女でもない。

 彼女はただの普通の女の子だ。

 持てる限りの少ない情報と証拠を必死に組み立て時に「はったり」 という危うい橋を渡り、暗闇の中で手探りで真実を探す。

 完璧ではないからこそ彼女の推測は間違う。

 やがて車が霧祓邸の玄関ポーチに着いた。

 千葉刑事に簡潔に礼を述べ、二人は車を降りる。

 重厚な扉を抜け、夕日が差し込む玄関ホールに入り、二人きりになる。

 蓮月はまだ俯いたままだった。

 その肩に祐市がそっと手を置いた。


「蓮月」


 穏やかな声に呼ばれ、蓮月は顔を上げる。

 祐市は静かに言った。


「俺も奥方の霊がただ妹に会いたかっただけだと気づかなかった。俺があの人の愛を攻撃と勘違い した」


 祐市は、蓮月瞳をまっすぐに見つめた。


「完璧じゃないからこそ、力を合わせるんだ。二人で」

「君の力と、俺の力。どちらが欠けても、俺たちは前に進めない」


 蓮月は祐市の胸に顔を埋めるように、強く抱きついた。

 彼女は、天才ではない「普通の女の子」 としての弱さをこの人の前でだけは隠さない。

 祐市はそんな蓮月の背中を優しく、力強く抱きしめ返した。

 しばし二人だけの静かな時間が流れる。

 やがて、蓮月が落ち着きを取り戻したのを感じ、祐市がそっと体を離す。

 だが、その手は蓮月の肩に置かれたままだ。

 至近距離で二人は見つめ合った。

 熱を帯びた蓮月の瞳と彼女を慈しむような祐市の穏やかな瞳。

 事件の緊張感は消え去り、そこには許嫁として時間が流れる。

 祐市の視線が蓮月の唇へとわずかに落ちた。

 その顔が、ゆっくりと、近づいて――


「……コホン」


 不意にホールに低い咳払いが響いた。

 びくりと蓮月は祐市の胸から顔を上げ、祐市 もまた、バッと声のした方へ振り返る。

 そこにはいつから見ていたのか、祖父である霧祓探偵事務所の所長が腕組みをして立っていた。


「お祖父様!」


 二人はぱっと体を離す。

 所長はそんな二人をじろりと見ると、やれやれと首を振った。


「……仲が良いことは結構だが」

「は、はい」

「玄関先では慎みなさい。使用人たちも遠巻きに微笑ましそうに見ておるぞ」


 所長の視線の先、ホールの奥の廊下の角から、数人の使用人たちが「まあまあ」とこちらを覗き見しているのが見えた。


「申し訳ありません!」


 祐市と蓮月の声が綺麗に重なった。

 大正二十年、初秋

 帝都の夕暮れの中、二人の戦いはまだ始まったばかりだった。



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