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霧祓探偵事務所の怪異録  作者: aik
白腕の絞殺

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1-4

 破壊されたお梅の自室。

 三者の視線が張り詰めた空気の中で交錯する。

 刀を構えたままの祐市。

 気を失ったお梅をかばう蓮月。

 そして、感情の読めない虚無的な表情でそのすべてを眺める当主、佐伯。


「……何事だね。今の、騒ぎは……」


 佐伯が乾いた声で問いかけた。

 蓮月はその問いを無視した。

 (……証拠がない)

 蓮月の思考が高速で回転する。

 (確たる証拠は、何一つ。あるのは二つの「状況」だけ。お梅さんが新入りなのに詳しすぎたこと。そして、この人があまりにも都合の良いタイミングで、この使用人部屋の区画に現れたこと)

 (論理じゃない。でも、試す価値はある。この人は「何か」を隠している)

 蓮月はこの状況で持ちうる最大の武器「はったり」を選んだ。


「佐伯さん」


 蓮月の声は氷のように冷たく、すべてを見通したかのように響いた。


「すべて分かりました。あなたが黒幕ですね」


 佐伯の眉がわずかに動く。

 祐市は蓮月が確たる証拠を持っていないことを察しつつ、無言で彼女の「はったり」に同調した。

 刀の切っ先を佐伯の喉元へと一寸、近づける。

 その圧を受け、蓮月は畳み掛けた。


「お梅さんが新入りなのに屋敷の秘密を知りすぎていた理由も、あなたが彼女を口封じしようとした動機も。私たちは、すべて把握しています」


 罪悪感と動揺。

 観念した佐伯は蓮月の「勘違い」 から、訂正せざるを得なかった。


「……口封じ?」


 乾いた、虚ろな笑いが漏れた。


「……違う。何もかも違う……」


 佐伯の視線が気を失ったお梅に向けられる。


「私があの子を殺すはずがない。あの子はお梅は……」


 佐伯は、告白した。


「私の妻、佐知子の……たった一人の妹なのだから」


 その言葉は祐市と蓮月にとって完全な想定外だった。

 蓮月は息を呑む。

 自分のはったりが予想だにしなかった真相の扉を開けた。


「妻が死んでから私は妹であるお梅を探し出し、事情を知らぬ新入りとして、この屋敷に雇った。妻の面影に触れたかったのかもしれない」

「私が彼女に迫害の真相を教えたのは利用するためではない。ただ、妻の無念をたった一人の家族と共有したかったからだ」


 佐伯の視線が祐市の構える刀に移る。


「妻も、同じだった。あいつは、ただ、妹に会いたかっただけなんだ!」

 蓮月は自分の推理が決定的な情報の欠落によって、真逆の結論を導き出していたことに気付いた。

 口封じなどではなかった。

 祐市もまた、自分が斬りつけた相手が、ただ妹に会おうとしていただけの、悲劇的な霊だったことを悟り、刀を握る手に力がこもる。

 だが、蓮月は思考を止めない。

 彼女は最後の核心を突いた。


「分かりました。奥方の霊がお梅さんに会おうとしたのは、愛だったのでしょう」

「ですが、佐伯さん。執事の殺害は違います」


 佐伯の表情がこわばる。


「あれは『愛』ではない。『復讐』です。あなたは、奥方の霊が執事を殺すのを知っていた。そして、容認した」

「私たちにも怪異の正体を隠し、憔悴したフリを続けた。あなたは、妻の共犯者です」

「……そうだ」


 佐伯は、崩れ落ちるように自白した。


「私は妻を守れなかった。あいつらを止めることもできなかった。だから、妻が死してなお、怨念となって復讐を望むのなら……私はそれを止める権利などない」

「私は、妻の共犯者だ」


 その言葉が、引き金だった。

 佐伯が告白し終えた瞬間、屋敷全体が激しく揺れる。

 窓の外に逃げていた黒い影がすさまじい怨嗟と共に部屋に再び流れ込んだ。

 奥方の霊は夫が共犯だと自白したのを聞いていた。

 彼女は夫がまだ自分の味方であると信じていた。

 だが、佐伯は怨念をむき出しにする妻の霊を見て、愛するがゆえの決断を下した。

 彼は妻の霊に向かって崩れ落ちた。


「……すまない、佐知子……! すまない……!」


 彼は慟哭する。


「やめるんだ! これ以上、お前を苦しませたくない!」


 佐伯は祐市に向かい、額を畳にこすりつけた。


「頼む! 霧祓さん! 妻を、妻の魂をこれ以上罪に汚させないでくれ!どうか妻を……楽にしてやってくれ……!」


 奥方の霊の動きがぴたりと止まった。

 彼女の行動の理由は復讐だった。

 その共犯者であり味方だったはずの夫から、今、明確に「私を殺してくれ」と敵に懇願された。

 これ以上の裏切りはなかった。

 彼女を人間に繋ぎとめていた、最後の愛の糸が切れた。


「ギィィィィィアアアアア!!」


 祐市は佐伯の悲痛な叫びと絶望によって変貌していく敵を冷静に見据える。

 人としての奥方は消滅し怨念は愛と憎しみの区別なく、すべてを破壊する怪異へと変貌した。

 祐市は蓮月とお梅を背後にかばうように刀を構え直した。

「来るぞ、蓮月! あれはもう奥方じゃない、ただの怪異だ!」


 もはや、それは人の声ではなかった。

 奥方の絶望が飽和し黒い影は人間の形を失って膨張する。

 怨嗟の塊がお梅の狭い自室を瞬く間に侵食していく。

 その絶叫が響くより早く、祐市は動いていた。

 彼は気を失ったお梅を抱える蓮月 を背後にかばい刀の切っ先を暴走する怪異へと向ける。

 学生服の身でありながら、その立ち姿は、幾多の死線を越えてきた守護者そのものだった。


「あ……あ……佐知子……」


 佐伯は腰を抜かし、自分が引き起こした絶望的な結果に呆然と座り込んでいる。

 怪異は祐市を最大の敵と認識した。

 影の中から執事を殺したあの白い腕が今度は数十本、数百本と無差別に伸び、祐市 に襲いかかる。


「兄さん!」


 祐市の太刀筋は、冷静沈着そのものだった。

 彼は蓮月たちの前から一歩も引かず、迫り来る怨念の腕をその刀で的確に斬り祓っていく。

 だが、斬っても斬っても腕は即座に再生する。

 キリがない。

 (……ジリ貧だ)

 祐市 は冷静に戦いながら、敵の動きを分析する。

 (攻撃は俺に集中している。だが……)

 彼は気づいた。

 怪異の攻撃は自分に向かっているにもかかわらず、その本体であろう黒い影が、呆然と座り込む佐伯の周囲から離れようとしないことに。

 (……なるほど。あれか!)

 祐市は瞬時に核を見抜いた。

 奥方の怨念は夫への愛と裏切られた憎しみによって、あの佐伯自身に縛り付けられている。

 あれを断ち切らない限り怪異は無限に再生する。

 その、祐市の思考と同時だった。

 佐伯もまた、自分が妻を暴走させた絶望から最後の決断を下していた。

 彼は祐市が戦っている隙に床に落ちていた鏡の鋭い破片を拾い上げ自らの喉に突き立てようとした。


「佐知子……今、逝く……!」

「兄さん! ダメ! 当主が!」


 蓮月の叫び。

 祐市は迫る怪異の腕を刀で受け止めながら即座に反応していた。

 彼は腰に差していた刀の鞘を抜き放つと、体勢を崩しながらもそれを正確無比な投擲で放つ。

 鞘は鋭い風切り音を立てて飛び、佐伯の手首を強打し鏡の破片を弾き飛ばした。


「佐伯さん!」


 蓮月 が叫ぶ。


「あなたの罪悪感も罪も死んで消えることはありません! 奥様を本当に愛している のなら、生きてください! こんなこと奥さんは望んでない!」

 佐伯は自殺を止められ、蓮月の言葉を受けただ崩れ落ちる。

 だが、怪異は止まらない。

 奥方だったものは佐伯が生きることも死ぬことも許さず、自分を裏切った存在をを道連れにするために最後の攻撃を仕掛けた。

 黒い影の本体が津波のように佐伯に襲いかかる。


「兄さん!」

「ああ!」


 祐市は佐伯と怪異本体の間に、完璧なタイミングで割り込んだ。

 佐伯に背を向けたまま、低い、しかし有無を言わせぬ穏やかな声で告げた。


「生きろ。死なせはしない」


 祐市は刀に全霊力を込める。

 彼の目には二人を繋ぐ、目に見えない怨念の鎖がはっきりと見えていた。


「君の鎖は俺が断ち切った」


 一閃。


「二度とこの世には繋がせない!」


 祐市の刀が怨念の鎖を断ち切る。

 現世との鎖であった佐伯との繋がりを祐市の祓魔の力によって強制的に断ち切られたことで怪異は留まる術を失った。


「ギィィィ……ア……」


 断末魔の叫びが次第に薄れていく。

 黒い影は刀の霊力によって浄化され、光の粒子となって消滅していった。

 屋敷に静寂が戻る。

 残されたのは破壊された部屋、気を失ったお梅、そして、生きる希望を失い、ただ座り込む佐伯の姿だけだった。

 祐市は刀身についた怨嗟の気を振り払うと、静かに鞘を拾い上げ刀を納めた。



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