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霧祓探偵事務所の怪異録  作者: aik
霧晴れて、春を歩く

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7-5

 差し伸べられた祐市の手。

 泥と血にまみれそれでも力強く開かれたその掌。

 蓮月は呆然とそれを見つめていた。


「本気、なんですか?」


 震える唇から掠れた声が漏れる。


「本当に私でいいの? 一生、怪異に追われることになるんですよ?」

「ああ、上等だ」


 祐市は笑った。


「俺たちは祓魔師だ。怪異が出れば祓う。ただそれだけの日常が死ぬまで続くだけだ」


 日常。

 その言葉が蓮月の胸に突き刺さる。

 死ぬまで続く二人だけの日常。

 それは彼女が心の底から望みそして諦めていた未来だった。


「馬鹿よ、兄さんは」 


 蓮月は涙を零しながらおずおずと手を伸ばした。

 彼女の手は黒い泥に覆われ醜く変色している。

 触れれば彼まで汚してしまうかもしれない。

 ためらい指先が空中で止まる。

 その時、祐市が強引にその手を掴み取った。


「捕まえた」


 温かい。

 泥の冷たさも黄泉の瘴気も一瞬で吹き飛ばすような熱量。

 黄泉の底まで迎えに来てくれた彼の眼差し。

 奔流のような彼の愛情が黒い泥、絶望を洗い流していく。

 神話なんて関係ない。

 ここにあるのは世界でたった一つの確かな絆だけ。


「兄、さん」


 蓮月の瞳から虚無の闇が消えた。

 彼女を縛り付けていた黒い泥がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。

 彼岸花が枯れその下から清らかな水が湧き出してくる。


「ただいま、兄さん」

「ああ」


 祐市は彼女の体を強く引き寄せ抱きしめた。


「おかえり」


 二人の体温が混ざり合う。

 その場所から柔らかな光が溢れ出した。

 イザナギの命とイザナミの死が溶け合う調和の光。

 光は波紋となって広がり黄泉の闇を白く染め上げていく。


「馬鹿な……」


 頭上で見ていた天津神の使いが狼狽の声を上げた。

 殺していない。

 封印もしていない。

 ただ抱きしめただけで暴走していた黄泉の門が鎮まっていく。


「拒絶、封印ではなく受容だと? そんな結末、神話にはない……」

「あるさ」


 祐市は蓮月を抱いたまま使者を見上げた。


「俺たちが今、作った」


 光が強まり世界を白く塗り潰していく。

 黄泉の底から二人の体がふわりと浮き上がった。


「行こう、蓮月」

「はい」


 蓮月は祐市の胸に顔を埋めた。

 もう怖くなかった。

 自分が鍵だろうが呪いだろうが構わない。

 この人が隣にいてくれるならどんな運命だって越えていける。


「家に帰ろう。父様たちが待っている」


 二人の魂は光の束となり現世へと上昇していった。

 気がつくとそこは黒神山の山頂だった。

 猛吹雪は止み雲の切れ間から朝日が差し込んでいる。

 祭壇の結界は消滅し異形の軍勢も土塊に戻って崩れ去っていた。


「祐市、蓮月」

 雪の中から掠れた声が聞こえた。

 二人が駆け寄るとそこにはボロボロになった宗顕と源蔵が倒れていた。

 全身創痍。

 服は裂け血まみれだ。

 だが二人の胸は微かにしかし確かに上下していた。


「父上! お祖父様!」

「遅いぞ、馬鹿者」


 宗顕が笑った。


「待ちくたびれた、ぞ」

「まったく、年寄りに心配をかけさせおって」


 源蔵もまた苦しげに咳き込みながらも安堵の息を吐いた。

 生きていた。

 二人は数百の怪異を相手に最後まで命を繋ぎ止めていたのだ。


「父様、お祖父様っ!」


 蓮月が泣き崩れ二人の冷たい手を握りしめる。

 その手は温かく握り返された。


「よく戻った、蓮月。ここは寒い。帰ろうか」

「はいっ! はい……!」


 朝日が四人を照らす。

 祐市は立ち上がり空を見上げた。

 怪異は消えないかもしれない。

 戦いは続くかもしれない。

 だが俺たちは負けない。

 繋いだ手の温もりがそう確信させてくれた。


「帰りましょう」


 四人は互いに肩を貸し合い雪解けの道を歩き出した。

 その背中に春の足音が近づいていた。


 あれから季節は巡った。  

 黒神山での決戦の後霧祓家は慌ただしい日々を送っていた。  

 奇跡的に生還した宗顕と源蔵の治療、そして何より二人の祝言の準備である。

 春の陽気が満ちるある晴れた日の朝。  

 霧祓邸の広間で蓮月は鏡台の前に座っていた。  純白の白無垢姿。  

 文金高島田に結い上げた髪、紅を差した唇。  かつて災いを呼ぶと自らを呪っていた少女は、今誰よりも美しい花嫁となっていた。

 廊下で待っていた祐市が着付けを終えた蓮月を見て息を呑んだ。  

 黒紋付羽織袴で正装した祐市もまた若き次期当主の顔つきになっている。


「兄さん、どうですか?」

「綺麗だよ。世界で一番」


 祐市の直球な言葉に蓮月が頬を染めて俯く。


「さあ、二人とも。皆が待っているぞ」


 宗顕が豪快に笑って現れた。

 その隣にはやれやれと孫たちを見守る源蔵の姿もある。  

 傷は深かったが彼らはなんとか日常に戻ってきていた。


「はい、父上」

「行こう、蓮月」


 祐市が手を差し出す。  

 泥だらけだったあの日の手とは違う。

 清らかで温かい手。  

 蓮月はその手を取りしっかりと握り返した。

 式は霧祓家の庭園で執り行われた。  

 満開の桜が舞い散る中親族や関係者が見守る前で二人は神前に進み出た。  

 かつて運命に翻弄された二人が今、神の前で人としての誓いを立てる。

 三三九度の盃。  

 神酒を注ぎ合い口にする。  

 視線が交差する。  

 言葉はいらなかった。


「これより、霧祓祐市と蓮月は夫婦めおととなることをここに宣言する!」


 仲人の声と共に万雷の拍手が湧き起こる。  宗顕が目頭を押さえ源蔵が満足げに頷く。  桜吹雪の中、祐市と蓮月は互いに向き合った。

 長い冬が終わり本当の春が始まった瞬間だった。


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