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食堂での激しい告発劇の後、蓮月と祐市は再び客間に戻っていた。
千葉刑事達が恐慌状態に陥った女中たちの対応と、当主への報告に追われている。
二人きりになった重厚な客室で目を閉じていた。
「蓮月」
祐市が彼女の思考を邪魔しないよう静かに声をかけた。
「あの娘が気になっているんだろう?」
蓮月がゆっくりと目を開く。
「はい、兄さん。あの人の瞳は憎い相手が破滅していく様を見て、確かに満足しているようでした」
蓮月は立ち上がり窓辺に歩み寄る。
外は変わらず湿った庭が広がるだけだ。
「ですが、構図は見えました。奥方の怪異は強い憎しみから復讐をしている。これがこの事件の構図でしょう」
「ああ」
祐市も頷く。
「執事を殺し、次は主犯格である女中頭たちを狙う。筋は通る。千葉さんと合流し彼女たちを守らねば」
祐市が事件の解決に向けて立ち上がろうとした、その時だった。
「待ってください、兄さん」
蓮月が、彼を制止した。
「最大の疑問が残っています」
「疑問?」
蓮月は窓の外から祐市へと視線を戻す。
「女中頭も言っていた通り、お梅は新入りです。それなのに、なぜ彼女が1年前の奥様への迫害、流産の事実といった屋敷の最も深い秘密を詳細に知っていたのでしょう?」
「確かに。古参の女中たちが新入りにそんな秘密を詳細に話すはずがない」
「はい。これは憶測ですが、お梅さんは自分で知ったのではなく、この屋敷の誰か、その秘密を知り得る立場にある人物が彼女に情報を教えたのでは?」
「誰が、何のために?」
「そこまでは分かりません」
蓮月は首を振る。
「ですがさっきの食堂での彼女の様子、あれは計画された告発ではなさそうでした。彼女は私の尋問に耐えきれず、口を滑らせたのです」
しばらくの沈黙。
「……だとしたら……事態は最悪かもしれません」
蓮月の声が焦燥に震える。
「?」
祐市が首を傾げた。
「これも憶測になってしまうのですが」
「聞かせて」
「情報を教えた奴にとって、あの告発は完全な想定外だった。
そして今、お梅さんは謎の人物から情報を与えられた、唯一の人になる。……黒幕にとって、これ以上邪魔な存在はないのでは?」
祐市の顔色が変わった。
「次の標的は女中頭じゃなく、黒幕に口封じされるお梅さんの可能性があります」
蓮月の言葉が終わるより早く、祐市は客間のドアを蹴破るように開けていた。
廊下にいた千葉刑事が、驚いて振り返る。
「千葉さん! お梅さんはどこだ!」
「え? ああ、あの子なら気分が悪いと先ほど自室に戻らせましたが」
その答えを聞き、蓮月は絶望的な表情で呟いた。
「間に合わない……」
祐市は既に廊下を疾走していた。
祐市の背中を蓮月は必死で追う。
彼の手には客間から持ち出した、錦の布袋に包まれた長尺の「それ」が握られていた。
霧祓家に伝わる刀。
廃刀令が敷かれた大正の世にあって警視庁怪異対策課からの「対怪異武装携帯許可証」を得ている、祐市の切り札だ。
きしむ廊下、湿った空気。
屋敷の闇が二人の行く手を阻もうとするかのようだ。
(兄さん、間に合って……!)
蓮月の論理的な思考が今ばかりは、お梅の無事という祈りに支配されていた。
使用人たちが寝起きする区画は、屋敷の北側、最も日当たりの悪い場所にあった。
千葉刑事が指し示した、一番奥の部屋。
祐市がその障子の前に滑り込んだ瞬間、中から、悲鳴ともつかないか細い音が漏れた。
「ひっ……! あ……ぁ……!」
お梅の声だ。
(間に合わせる……!)
「そこを退けッ!」
祐市はためらわなかった。
錦の布袋を振り払い抜き放つ。
その清冽な刃が障子を蹴破る。
部屋に飛び込んだ二人が見たのはまさに蓮月の推理 が的中したかのような光景だった。
部屋の中央でお梅が腰を抜かし、恐怖に引き攣った顔で後ずさっている。
その目の前にあの仏間で感じた黒い影 が、闇よりも濃く渦巻いていた。
影は執事を殺したあの白い腕を、ゆっくりとお梅に向かって伸ばしていた。
その指先は彼女の秘密を喋った口を塞ごうとしているのか、あるいは喉笛そのものを狙っているのか。
(口封じだ!)
蓮月の思考と、祐市の行動は同時だった。
「させるか!」
祐市は霊力を込めた刀身で黒い影の核めがけて真っ直ぐに斬りかかった。
「ギィィィアアアアッ!!」
影が耳を劈くような甲高い苦悶の声を上げる。
ただの呪符とは比べ物にならない、清冽な刀の霊力による一撃。
祓魔師による明確な攻撃を受けた怨念はその憎悪を爆発させた。
黒い影は激しく揺らめき、祐市を牽制するように部屋の壁を薙ぎ払った。
棚が倒れ、鏡が割れる。
その隙に黒い影は開いた窓から夜の闇へと霧散して逃げていった。
部屋に静寂が戻る。
後に残されたのは割れた鏡の破片と、濃密な怨嗟の残り香だけだった。
祐市は刀身から怨嗟の気を振り払い、刃先を下げたまま、影が消えた窓辺に立ち、荒い息をつく。
蓮月は、その間に、震え続けるお梅に駆け寄っていた。
「お梅さん! しっかり!」
「……ひ、う……あ……」
お梅は恐怖で焦点を失った目で蓮月を見つめ、そのままぷつりと糸が切れたように意識を失った。
「……逃したか」
祐市が悔しげに呟く。
だが、蓮月の推理通り、お梅は間一髪で救われた。
口封じは阻止されたのだ。
安堵が二人を包んだその時だった。
こつ、こつ。
二人が蹴破った障子の向こう、薄暗い廊下からゆっくりとした足音が近づいてくる。
祐市が刀を握りしめたまま、警戒を解かずに振り返った。
そこに立っていたのは客室で憔悴しきっていたはずの当主、佐伯だった。
彼は土気色の顔のまま、無表情にこちらを見ている。
その視線は破壊された部屋、気を失ったお梅、そして刀を構える祐市と蓮月をゆっくりと順番に見た。
蓮月は気を失ったお梅を抱きかかえながら、その当主の顔を冷たく見据え返した。




