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霧祓探偵事務所の怪異録  作者: aik
二人の誓い

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24/40

5-1

 大正18年、霧祓探偵事務所では祐市と蓮月が

 つい先ほどある怪異の討伐任務から帰還した直後だった。

 祐市は17歳になり学生服の硬い襟を指で緩め刀の手入れを淡々と行っている。

 5年前のような力への焦りはその表情から消え冷静沈着な霧祓家の剣になっていた。

 彼の傍ら膨大な古文書に囲まれた机で15歳になった蓮月が筆を走らせている。

 学校の制服ではない動きやすい書生風の和装。 

 彼女はある事情のため学校には通っていない。

 蓮月が報告書を書き終え立ち上がろうとした瞬間。

 彼女は小さくよろめき反射的に机に手をついた。

 日常的な目眩だ。

 祐市が刀の手入れをピタリと止めた。

 彼が蓮月を心配そうに見つめる。

 その視線は過保護な兄のそれだった。


「大丈夫です。兄さん」


 蓮月はその痛いほどの視線に気づき慌てて取り繕うように微笑んでみせる。

 だがその微笑みはどこか怯えにも似ていた。

 兄妹の間に不自然な沈黙が落ちる。

 二人の絆は危ういバランスの上で成り立っていた。

 夕暮れの事務所に不自然な沈黙が落ちている。

 蓮月は祐市の視線から逃れるように机の上の資料を片付け始めた。

 祐市は刀の手入れを止めたままその場に立ち蓮月を見つめている。

 やがて彼は穏やかだが有無を言わせぬ口調で告げた。


「蓮月。次の任務は休め」


 蓮月の手がピタリと止まる。

 その言葉は彼女にとって優しさではなかった。

 対等な相棒ではなく守られるべき妹というレッテルを貼られる彼女が恐れる拒絶の言葉だった。

 蓮月は祐市と対等な兄妹でありたい一心で食い下がる。


「いいえ、兄さん。私は大丈夫です」

「ダメだ」


 祐市は蓮月の言葉を遮った。

 彼の庇護の行動が蓮月の兄の役に立ちたいという対等への願いを真正面から否定する。

(置いていかれるのは、いやだ。私が足手まといだから?)

 ほんのわずかな弱音が胸の奥で生まれ、

 必死に押しつぶすように蓮月は拳を握りしめた。

(兄さんの隣に立ちたいだけなのに)

 二人の視線が夕暮れの事務所でぶつかった。

 祐市の瞳には負目が。

 蓮月の瞳には焦りが。

 二人の絆が10年という月日を経て初めて明確なすれ違いを見せた瞬間だった。

 その張り詰めた沈黙を破ったのは奥の廊下から響くけたたましい電話のベルだった。

 祐市と蓮月が同時にそちらを向く。

 使用人が慌ただしく受話器を取りすぐに事務所の戸口に現れた。


「源蔵様、西園寺公爵家から緊急のご依頼です」


 二人のすれ違いは任務によって強制的に中断された。

 数分後、霧祓邸応接室

 祖父、源蔵が電話の内容を祐市と蓮月に伝えている。

 源蔵の表情は険しい。


「……依頼はこうだ。西園寺家の令嬢が自室から忽然と姿を消した。部屋は内側から鍵が掛かった完全な密室」


 蓮月は源蔵に向き直り身を乗り出す。


「お祖父様、その件私と兄さんが……!」

「待て」


 蓮月が「行きます」と言い終えるより早く祐市が彼女の意欲を叩き折った。

 彼の脳裏には先ほど蓮月がよろめいた姿が焼き付いている。

 祐市は源蔵へと向き直り宣言した。


「お祖父様、その任務は俺が一人で行きます。蓮月、お前は屋敷で待機していろ」


 応接室の空気が凍り付いた

 源蔵は二人の間に走った亀裂に気づき口を挟まずただ黙って二人を見ている。


「……どうしてですか」


 絞り出すような声だった。


「決めたことだ」


 祐市は蓮月の目を見ようとしない。


「私を信じてくれないんですか!」


 蓮月の声が怒りで震える。


「そうじゃない……」


 祐市が否定する。


「……兄さんの、馬鹿」


 彼女は応接室を飛び出していった。

 祐市が自分から離れていく、その想像だけで胸の奥が痛む。

 理由はまだわからない、ただ怖い。


「蓮月!」


 祐市が呼び止めるが蓮月は戻らない。

 源蔵が飛び出した蓮月の背中と拳を握りしめて俯く祐市を見て深いため息をついた。


「お祖父様、準備します」


 祐市は苦々しくそう言い捨て蓮月とは逆方向、任務の準備のために自室へと向かった。

 祐市が学生服の上から戦闘用の外套を羽織り玄関へと向かう。

 手には布に包まれた刀を持っている。

 玄関では源蔵が彼を待っていた。


「祐市。本当に一人で行くのか」


 源蔵は二人のすれ違いの根を知りながらあえて静かに問うた。


「はい」


 祐市は靴を履きながら短く答えた。


「蓮月は疲れています。無理はさせられない」

「そうか」

「西園寺家には、わから電話を入れておく。気をつけてな」

「分かっています」


 祐市は頷き玄関の戸を開ける。

 夜の冷たい空気が屋敷の澱んだ空気と共に流れ込んでくる。

 祐市は屋敷を振り返ることなく一人で夜の闇へと出て行った。

 重い戸が閉まる音が、屋敷に響いた。

 西園寺公爵家に到着した祐市が足を踏み入れた令嬢の部屋は情報通り窓もドアも内側から施錠された完全な密室だった。

 高級な調度品が並ぶ部屋は荒らされた形跡が一切ない。

 まるでそこにいた人間だけが煙のように消えたかのようだった。


「令嬢が最後に目撃されたのはいつか。誰かと言い争う声は?」


 祐市は背後で青ざめている西園寺公爵に尋ねる。


「昨夜の就寝前です。変わった様子は……何も……」


 祐市は公爵の言葉を聞きながら床板を調べ壁を叩き窓枠を検分する。

 彼は戦闘と物理的な破壊は得意だがこうした地道な現場分析は苦手分野だった。

 隠し通路や床下も見つからない。

 祐市は、調査に行き詰まり部屋の中央に置かれた古い姿見に注目した。

 彼は布に包んだ刀の柄に手をかけ鏡に霊的な気配がないかを探る。

 しかし鏡自体からは何の邪気も感じられない。


(……ただの鏡か)


 諦めかけたその時。

 祐市は令嬢の化粧台の上にある水盤に気づく。

 窓もドアも閉め切った密室であるにもかかわらずその水盤の水がわずかに波紋を描いた。


 祐市が西園寺家で答えを探しあぐねているまさにその時刻。

 霧祓邸の事務所では蓮月が一人膨大な文献に埋もれていた。

 祐市に待機しろと命じられた悔しさを振り払うように思考を巡らせていた。

(怪異の仕業と仮定すると……私が調べるべきは過去の文献にある非物理的な密室や神隠の事例)

 彼女は密室、神隠しのキーワードで過去の霧祓家の記録を片っ端から調べ始めた。

 書庫の床に蓮月が閲覧しては脇に積んでいく文献の山が一つ、また一つと出来上がっていく。

 彼女は一つ一つを読み西園寺家の状況と照合し根拠に基づいてそれらを棄却している。

  (呪詛による転移。発動には呪印、呪具が必須。でもお祖父様の話ではそんなあからさまな不審物の報告はなかった。これも違う)

 文献の山が高くなるにつれ蓮月の焦りが見える。

 (違う。どれも違う。条件が一致しない)

 そして彼女は一つの古い文献を手に取った。

 (文政二年、蔵の神隠し一件。密室であった蔵から娘が消失。これ!)


 『蔵の内部には古い姿見と水を張った水盤のみが残されていた。我々はこれを水鏡の術と断定。

 水面を渡りて姿見に至る道とみなし……』


 (今回の怪異は鏡と鏡を水で繋いで移動する可能性がある。兄さん一人で大丈夫なの? )


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