3-4
祐市は蓮月の手を固く引き、宗顕が作ってくれた活路をひた走る。
父が時間を稼いでくれている。
(僕がこの子を守る)
その強い決意が祐市を突き動かしていた。
蓮月は衰弱しきっているが祐市の必死の形相に引かれ細い息をつきながら必死に追従する。
森を抜け、ついに二人は開けた場所に出た。
村と外の世界を隔てる唯一の道、峠だ。
村の淀んだ空気とは違う清浄な夜気が頬を撫でる。
あと一歩。
あと一歩でこの地獄から逃げ切れる。
(やった! あと少しだ!)
祐市は一瞬の安堵を覚えた。
二人がが峠の向こう側外の世界へと一歩踏み出そうとしたその瞬間だった。
凄まじい地鳴りが足元から突き上げ二人は立っていることもできずにその場に膝をついた。
同時に村の中心部から耳を劈くような梵鐘の音が鳴り響いた。
ゴォォン、グァン、ゴォン、グァン!
それは神聖な響きではない。
狂ったように乱れ打ち空間そのものを歪ませるような不協和音だった。
「あ……」
祐市が息を呑んだ。
峠の向こう側。
二人が逃げ込もうとした外界からまるで意思を持つ壁のように濃密な赤い霧が溢れ出し凄まじい速度で二人の行く手を完全に塞いでいく。
赤い霧は逃げ道を塞ぐだけでは終わらなかった。
それは瞬く間に村全体を包み込み空を覆い尽くす。
祐市はその霧がただの物理的なものではないことを霊的な感覚で察知した。
強大で悪意に満ちた結界。
村と外界を繋ぐ道が根源から切断されたのだ。
(逃げられない!)
祐市は悟った。
これは核である彼女が逃げ出したことで制御不能となった儀式が最悪の形で失敗、あるいは暴走した結果だと。
村全体が外界から隔離された異界と化したのだ。
唯一の出口が塞がれたことに祐市は絶望する。
そしてその二人の背後。
狂った梵鐘の音に呼応するように森の闇の奥からあの屍人たちの呻き声が、先ほどとは比べ物にならない数で確実に近づいてきていた。
祐市は震える蓮月の手を再び固く握りしめた。
この閉ざされた地獄の中で父、宗顕を探し出し生き残る。
祐市の第二の戦いが始まった。
祐市と蓮月は峠、出口を塞ぐ赤い霧の絶望的な壁の前に立ち尽くしていた。
背後の森からは狂った梵鐘の音に呼応した屍人たちの呻き声が確実に数を増しながら迫ってくる。
(出口がない……)
祐市は出口の突破は不可能と即座に判断した。
(父上を探さないと!)
彼は蓮月の手を固く握りしめ、たった今逃げてきた森の中へと絶望的なUターンを敢行した。
だが森に戻ると状況は一変していた。
「グ……オオ……」
先ほどまではいなかった場所森のあちこちの湿った地面から新たな屍人たちが這い出してくる。
狂った梵鐘の音は祠にいた屍人だけでなく村中の土葬された死者をも呼び覚ましているのだ。
脅威はもはや追手ではなく全方位に存在していた。
「あ……ぅ……」
その時、祐市の手を握る蓮月がその場にうずくまった。
「あ……たまが……いたい……」
蓮月は狂った梵鐘の音に共鳴するように小さな頭を押さえて激しく苦しみ始めた。
祐市は戦慄した。
村長が叫んだ言葉が蘇る。
(儀式の核……)
祐市は悟った。
蓮月自身がこの異界の中で暴走した屍人たちを引き寄せる目印と化してしまっている。
(この子を隠さないと屍人が無限に集まってくる!)
祐市は苦しむ蓮月を強引に引きずり屍人の群れを避けながら村の中心部へと向かう。
その時角を曲がった先で松明を持った一団と鉢合わせした。
「いたぞ!」
村長たちだ。
彼らもまた増殖した屍人たちから逃げている最中だった。
村長は祐市が蓮を連れているのを見て顔を歪めた。
(あの小僧! 核を連れているから屍人どもが集まってくるんだ!)
背後からも蓮月に引き寄せられた屍人たちが集まってくる。
村長は自分たちが助かるため村人たちに叫んだ。
「小僧から核を奪え!」
「あの娘を祠の祭壇に戻せば屍人も鎮まるはずだ!」
祐市とはづきは絶望的な状況に陥った。
前方には蓮月を奪還し儀式に戻そうとする村人たち。
後方には核に引き寄せられ暴走する屍人たち。
祐市は二つの脅威に完全に挟み撃ちにされた。
赤い霧と狂った梵鐘の音が支配する村の道で祐市は蓮月を守るため、前に立った。
村長の号令で前方の村人たちが祐市に襲いかかる。
「奪い返せ! 祭壇に戻せば屍人は鎮まる!」
背後からは蓮月に引き寄せられた屍人たちの呻き声が迫る。
祐市は護り刀を構え、まず人間の脅威である村人の一人に斬りかかった。
だが所詮は七歳の子供の腕力。
ガキンと鈍い音を立て大人の村人に腕を掴まれた護り刀はいとも簡単に弾き飛ばされ暗闇へと消えた。
祐市は無防備になったところを別の村人に容赦なく突き飛ばされ泥の中に激しく叩きつけられた。
その一瞬の隙を村長は見逃さなかった。
彼は梵鐘の音に苦しみ動けない蓮月の腕を乱暴に掴み上げた。
「手間かけさせやがって!」
「ゆういち、助けて!」
蓮月の悲鳴が響き渡った。
「はづき!」
祐市は泥だらけのまま立ち上がろうとするが激しく打ち付けた体は言うことを聞かない。
その目の前で蓮月が村人たちに引きずられ儀式の中心地である祠の方角へと連れ去られていく。
「核が戻るぞ!」
「これで救われる!」
村人たちは狂喜しながら蓮月を連れて祠へと向かう。
後方にいた屍人たちももはや祐市には目もくれない。
蓮月が祠へと移動するのに合わせ一斉に祠へと向かう行列を形成し始めた。
脅威は祐市をその場に残して去っていく。
父は助けに来ない。
生きているかもわからない。
(もしかしたら、もう……)
自ら立てたあの子を守るという誓いが今完全に破られた。
祐市は赤い霧と狂った梵鐘が支配する異界の中で武器も守るべき相手も希望もすべて失いたった一人で泥の中に打ち捨てられた。




