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蔵から飛び出した祐市は少女の手を固く握りしめ屋敷の裏手にある物置小屋の影へと滑り込んだ。
息が詰まるような湿った暗闇。
すぐそこまで追跡が迫っている。
「逃がすな!」
蔵の方角から村長たちの怒号と複数の荒々しい足音が響いてきた。
祐市は息を殺し隣にいる少女にも「静かに」と視線で合図を送る。
今はただ追手から逃げることだけに集中している。
だが隣の少女は違った。
急激に蔵の外に引きずり出された彼女は恐怖と久々に浴びる外気と光に耐えきれずガタガタと全身を激しく震わせていた。
監禁による衰弱は深刻で立っているのもやっとの彼女はその場に崩れ落ちそうになる。
(しっかりしてくれないと捕まる!)
祐市は彼女の衰弱ぶりに焦りを覚える。
その祐市の焦った視線を受け少女はビクッと体をこわばらせた。
村の人間とは違う。
それは分かった。
だがこの少年が自分を助けてくれる存在だとは まだ確信できていなかった。
「あなたは、だれ?」
声にならないほどのか細いささやきだった。
少女は祐市の手を振りほどこうと弱々しく抵抗する。
彼女にとって手を引かれることは蔵へ強制的に連れて行かれる恐怖の記憶と直結していた。
祐市は彼女が自分自身を怖がっていることに ここで初めて気づいた。
敵ではない。
それを証明しなければならない。
祐市は息を殺しながらもはっきりとした口調でささやき返した。
「僕は霧祓祐市。君を助けに来た。君の名前は?」
「……!」
名前を尋ねられたことに少女は驚き祐市の真剣な目を見つめ返した。
それは自分を対等な人間として扱う視線だった。
「……はづき」
「はづき。分かった」
祐市は力強く頷いた。
彼は蓮月のボロボロになった着物と恐怖に怯える瞳を至近距離で初めて直視した。
(ひどい。なんの理由があってこんなこと)
自分が今やっていることは正しいことなのだと 祐市は強く再確認した。
その時、物置小屋のすぐ近くを松明を持った村人の一人が通り過ぎた。
「こっちにはいないぞ!」
緊迫感が走る。
祐市は咄嗟に乱暴にならないよう細心の注意を払い彼女の口をそっと手で塞いだ。
蓮月は自分を守ろうとする祐市の真剣な瞳を見た。
彼女は初めて抵抗をやめた。
祐市は蓮月が自分を信じたことを確認し口から手を離す。
祐市が蓮月の手を再び強く握り直す。
今度は蓮月も弱々しく握り返した。
今、二人は運命共同体となった。
祐市は追手が行った方向とは逆の森へと通じる裏口を睨みつける。
(あそこから森へ逃げる!)
祐市は蓮月の手を引き森の奥深くへと必死に逃走していた。
追手の声が遠のき二人はついに開けた場所にたどり着く。
そこは月明かりに照らされた朽ちた祠だった。
不気味なほどの静けさ。
(ここが……! この村の中心!)
祐市はここが儀式の本丸だと直感した。
彼は震える蓮月を祠の物陰に引きずり込むと彼女の前に立ち護り刀を握りしめる。
父は来ない。
もう逃げるだけではダメだ。
その瞬間だった。
「グ……アア……」
森の闇から呻き声と共に無数の屍人たちが姿を現した。
彼らは蓮月の気配に引き寄せられるようにこの祠へと集結し始めたのだ。
「いたぞ! 祠だ!」
屍人たちの包囲網の外側から松明を持った村長たちも追いついた。
彼らは蓮月が祭壇の前にいるのを見て安堵し祐市を敵意の目で睨む。
そして最後発で霧祓宗顕が偽の儀式場から追いついた。
彼は息子が敵意ある村人と屍人の大群に包囲されている最悪の状況を目の当たりにし息を呑んだ。
(死者蘇生か!? 依頼と話が違う! 簡単な調査だと油断した……!)
「小僧ッ! 貴様のせいで全てが台無しだ!」
村長は祭壇の蓮月と祐市を指差し絶叫した。
「そいつはこの儀式の核だ!」
「核が蔵から離れたせいで制御が効かん! 屍人が暴走し始めたではないか!」
宗顕は戦慄した。
核だと?
目の前の暴走する屍人たち。
怯える少女。
そして贄の祭壇。
あの少女がこの禁忌の暴走を抑える楔だったのか。
だがそれだけではない。
この禍々しいまでの霊力の渦、この規模……。
宗顕は村に呼び出された真の理由を悟った。
(コイツら私をこの地に呼び寄せ、私の霊力を燃料にこの禁忌を完成させるつもりだったのか)
村長が命じる。
「核を祭壇に戻せ!」
村人たちが蓮月を捕獲しようと祐市に襲いかかる。
同時に暴走した屍人たちが最も霊力の強い宗顕と生贄の蓮月に向かって殺到した。
だが宗顕は迷わなかった。
彼はただ父親として祐市、そして蓮月を最優先で守り逃がすことを決意する。
「させるか!」
宗顕は祐市たちの前に立ちはだかり刀を抜き放った。
彼は祐市たちの進路を塞ぐ屍人と村人たちを同時に切り払い自らを盾として敵の群れを引き受け強引に活路をこじ開ける。
(チッ! 数が多すぎる!)
宗顕は祐市が逃げるべき方向、森のさらに奥崖へと続く道を指差す。
「祐市! そっちへ逃げろ!」
祐市は父が自分たちを信じて託したのだと理解した。
父は自分たちを逃がすためにたった一人でこの地獄を引き受けてくれた。
祐市ははづきの手を掴み宗顕に向かって叫んだ。
「分かりました! 父上も必ず来て!」
祐市は父が作ってくれた活路を抜け蓮月の手を引いて森のさらに奥、崖へと逃走を開始する。
宗顕は息子が闇に消えたのを見届けるとふたたび屍人の大群と村人たちに向き直った。
(行け祐市……!)
宗顕は息子が逃げ切る時間を稼ぐためたった一人で戦いを開始した。




