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霧祓探偵事務所の怪異録  作者: aik
孤独な復讐者

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11/40

2-6

 静寂が巣を支配していた。

 無数の遺骨が転がる袋小路で三人は逃げ道を塞がれた。

 入口に立ちはだかる山鬼は祐市に腕を傷つけられたことで怒り狂いその双眸を爛々と血の色に光らせている。

 蓮月は目の前の惨状にショックを受け立ち尽くしたままだ。

 木島は重傷を負った脚を引きずり壁際の遺骨の山を見つめ絶望にうなだれている。

 祐市だけが刀を正眼に構え蓮月を背後にかばいながら怪異と対峙していた。


「ギィイイイアアアッ!!」


 山鬼が動いた。

 狙いは刀を構える唯一の脅威祐市。

 祐市はその異様な速さの爪を寸分の違いなく刀の腹で受け流す。

 火花が散り甲高い金属音が響く。

 だが山鬼の猛攻は止まらない。

 祐市は万全の体調だったが背後の蓮月をかばわねばならない。

 大きく踏み込んで攻撃に転じることができず防戦一方となりじりじりと後退させられる。

 山鬼は祐市の弱点が背後で動けない蓮月であることに気づいた。

 怪異は祐市に爪を振るうと見せかけ体を捻り祐市の脇を抜け蓮月へとその腕を振りかぶった。


「しまっ……!」


 祐市が蓮月の前に飛び込もうとするが、半歩、間に合わない。

 その絶望的な一瞬。

 それまで呆然自失していた木島が最後の力を振り絞った。


「うおおおおおっ!!」


 木島は負傷した脚で地面を蹴り自らの体を投げ出すようにして山鬼の脇腹に体当りした。

 予期せぬ攻撃に山鬼は体勢を崩し蓮月への爪が空を切る。


「霧祓祐市!」


 山鬼にしがみつきながら木島が祐市に向かって叫んだ。


「お前は、俺みたいになるな……!」


 命をかけて人を守ろうとする祐市の姿に、彼は自分が失ったものを見た。

 祖国の為、愛する者の為、未来を担う子供達の為、自らの命を使うと誓った若き頃を思い出す。


「ギィイイアアア!!」


 邪魔者に怒り狂った山鬼がその鋭い爪を木島の背中に深々と突き立てた。


「がっ……!」


 致命傷だった。

 だが木島は吐血しながらもその腕を離さない。


「これで、いい……」


 彼は自らの命と引き換えに怪異の動きをコンマ数秒完全に止めた。

 山鬼の体は祐市に対し完璧な無防備を晒していた。


「木島さんッ!!」


 祐市はその一瞬を見逃さなかった。

 守りの構えを解き全ての力を攻めに転じる。


 (この一撃に全てを懸ける!)


 祐市は坑道の硬い地面を強く踏みしめた。

 その姿が消えたかと思うほどの素早い踏み込み。

 狙いは怪異の核、その首。

 時間が引き伸ばされる。

 舞い上がる埃が宙に静止して見えた。


「祓うッ!」


 閃光が闇を裂いた。

 祐市の刀は寸分の狂いもなく山鬼の首を捉え切り裂いていた。

 祐市は怪異の背後に着地し血振るいもせず刀を下段に構えたまま残心の姿をとる。

 一拍。

 絶対的な静寂。

 山鬼の体から木島を突き刺していた腕がだらりと落ちる。

 怪異は叫び声すら上げることなくゆっくりと膝から崩れ落ちた。

 そしてその体は形を保てず黒い塵となって、サラサラと音を立てて消えていった。

 坑道に本来の静けさが戻る。

 祐市は残心を解き塵が消えた跡に残された木島の体に駆け寄った。


「木島さん! しっかりしてください!」

「祐市……これから何があろうと……その心構え……」


 最期の言葉は音にならなかった。

 木島の体から力が抜けその目から長い間彼を苦しめてきた恐怖と憎悪の色が消えていた。

 祐市は何も言わずその目を静かに手で閉じた。


「……木島さん……」


 ショックから立ち直った蓮月が祐市の傍に駆け寄る。

 祐市は蓮月を抱き寄せる。

 無数の犠牲者と罪を償った男の亡骸が残る巣の中で二人は生還を噛み締めていた。

 しばらく経ちその静寂を唐突に外部からのざわめきが破った。

 彼らが入ってきた唯一の坑道。

 その入口の奥から複数の懐中電灯の光が差し込み統制された複数の足音が近づいてくる。


「こちら対策課だ!生存者はいるか?」

「生存者の捜索を開始しろ!」


 祐市と蓮月がそれが助けであると気づきはっと顔を上げる。

 光がおぞましいまでの死の空間を照らし出す。

 現れたのは遺体収容袋、現場検証機材など事後処理と捜査のための装備をした警官たちだった。

 彼らは息を呑むようなおびただしい遺骨の山とその惨状を目の当たりにし一瞬その歩みを止めた。

 やがて隊長格の男がその中央に立つ刀を持った血まみれの学生服の少年と彼に庇われるように立つ少女そして彼らの足元に横たわる木島の亡骸を視認する。


「生存者2名! 君達、大丈夫か!?」


 祐市は張り詰めていた緊張の糸をわずかに緩め消耗しきった体で答えた。


「怪異は祓いました。もう、いません」


 隊長は祐市の持つ刀とそのただならぬ佇まいから彼が「専門家」おそらくはこの地を管轄する「霧祓」の一族であると即座に理解した。

「生存者保護。 医療班を要請しろ!」


 隊長は祐市に向き直る。


「君が霧祓の……。通報を受け坑道入口に封鎖ラインを張っていたが我々の到着が遅くなってしまって、すまない」


 隊員たちが駆け寄り蓮月と祐市の肩に毛布をかけた。

 祐市は朦朧とする意識の中足元の亡骸を指差す。


「この人は、木島さんは、最期に俺たちを庇って……」


 隊長は木島の遺体に向かい静かに敬礼した。


「……そうか。現場の状況と君の証言で彼の最期は公的に記録させてもらう」


 隊員たちが木島の亡骸にそっと白い布をかけ担架で丁寧に運び出し始めた。

 巣に残された無数の遺骨には別の部隊員が後の鎮魂と浄化のための目印を手際よく設置していく。


「後の『処理』は我々対策課が引き継ぐ」


 隊長が言った。


「君たちはもう休め。詳細は後ほど霧祓家を通じて伺う」


 祐市は蓮月の肩を抱き彼らに導かれて、の差す入口へと向かった。

 死の臭いに満ちた闇の坑道を抜け外に出ると夜は完全に明けていた。

 東の空が白み始め暁の冷たい空気が肺を刺す。

 死の闇から生の光へと帰還した二人はまるで初めて呼吸をするかのようにその朝の空気を深く、深く吸い込んだ。

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