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9話

「誰かが魔法を使っている。それも、ずいぶん邪的な魔法を」


 ふいに足を止めたセラがつぶやいた。それに反応して、前を歩くフレイリスが振り返った。二人が互いを見合う。


「やはり女王ティーネスの他に誰かいます」

「そいつがアリューシャ姫を攫ったって?」

「ええ」

「このあたりに潜んでいると思ってる?」


 セラはゆっくりと首を横に振った。


「おそらく、ラシャリーヤにいるのでしょう」


 するとフレイリスは目を眇め、両手を腰にやった。


「それ、おかしくない? この地上にラシャリーヤは存在していない。異空間を彷徨っている。どうやってラシャリーヤに入るんだい」

「時空を越えてラシャリーヤへ続く扉を開いたということです」

「だ~か~ら~」

「よほど強力な魔力を持っているか、もしくはラシャリーヤの波動と同調してたどり着いたとするなら、可能です」


 フレイリスの目が〝可能なのかよ〟と語っているが、言葉にすることはなかった。

 風が渡り、木の枝や草の葉がサワサワと音を立てる。それが妙に不気味だ。


「どちらにしても、我々はアリューシャ姫を助け出すことだけに集中すればいい。いずれ奪われた声は姫に返されることでしょうから」


「……半年前に声を奪い、今頃本人を攫うって、ずいぶん回りくどいことをするもんだ」


「違います。そうせざるを得なかっただけでしょう。思うに、いきなり姫をラシャリーヤに連れ込むことができなかったのだと。第一段階として声を引き込み、第二段階として紐づけされている声の主を導かせる」


「声はできる?」

「物質ではないですからね。可能です」

「なるほど」

「強力な魔力を持つ者が訪れたことは確かです。痕跡がないか探しましょう」

「オーケイ。二手に分かれよう」


 フレイリスは手を挙げると、身を翻し、別のけもの道を行ってしまった。


 それから半日、セラは深い森を歩き回り、草むらの中に落ちている手のひらサイズの大きさの、楕円形をしたオパールを見つけた。


「オパール……襲ってきた女たちもオパールのような肢体だった。クレイシャの象徴石はオパールだから関係がありそうだ」


 氷の女神クレイシャのシンボルがオパールだった。これだけの大玉であれば、なんらかの由緒がありそうだ。セラはオパールを懐に仕舞うと、また歩き続け、フレイリスと別れた場所に戻ってきた。

「……え」


 思わず変な声が出た。そしてパチパチと目を瞬く。大木の根元にもたれかかり、気持ちよさそうに眠っているフレイリスの姿があった。それをしばらく眺め、セラは大きなため息をついた。


「まったく。こんな妖しい気配のする場所で熟睡とは。どんな神経をしているのか。そもそも巻き込んだのはあなたでしょうに」


 隣に腰を下ろし、呆れたようにフレイリスの寝顔を見つめる。呆れのまなざしはいつの間にか穏やかなものに変わっていた。口元にはうっすら笑みが浮かんでいる。


「カイオスは得体の知れない存在と恐れられ、また嫌悪されている。よくわからない勝手な理屈で善人悪人を識別し、〝浄化〟と称して殺傷するからだ。それなのにどこの国も、誰もカイオスを糾弾しない。理由はただ一つ、狙うのが周囲から疎まれている者ばかりだから。確かに〝浄化〟されていなくなることは、ありがたいからだ。その〝浄化〟を行う〝執行人〟たる剣士は、いくつかに分類された花に属している。だから皆々、畏怖の念を込めて〝花の浄化執行人〟と呼ぶ」


 フレイリスが属しているのはリコリスだ。甲冑の胸元に赤いリコリスが刻まれているし、愛剣の鍔もリコリスの形を成している。リコリスの隊は死に花として敬遠されているが、そんな中でもフレイリスは特に強くて容赦がないと言われ、〝血のリコリス〟と呼ばれている。


 セラが何気なく手を伸ばしてフレイリスの前髪を払おうとしたら。


「……起こしてしまいましたか」


 うわずった声が漏れた。鞘から抜かれていない剣の先がセラの首元を捉えている。


「いくら気を許したあんただからって、寝てる時に不用意に触れるのは危険なんだよ。間違って斬っちまったらどうするんだ」


「それは申し訳ありませんでした。前髪が邪魔そうだったので、つい。ですが、いつもは気にしているのですよ」


「わかってるけどさ」


 フレイリスは細く微笑んだ。見目麗しい顔が笑むと目を奪われる。女性として着飾れば、誰もが心奪われるだろうに。だがセラは、


(いや、やはりこの人には剣と血が似合う)


 そう思い直した。


「それにしても、よく寝たぁ。うーーん」


 フレイリスが両手を突き上げて大きく伸びをする。


「私はずいぶん歩き回っていたというのに」

「悪いね。先に寝ておこうと思って」

「先に?」

「そ。今度はあたしが調査に行くからさ、セラはひと眠りするといい。で、なにか見つかった?」


 その言葉を受けて、セラが懐から拾ったオパールを見せた。


「ずいぶん大玉だね。上も上の代物だよ」

「クレイシャのシンボルはオパールです。我々を襲ったあの女性たちもオパールの輝きをしていました」


「アリューシャ姫を攫ったのは魔力絶大の誰かであって、女神様ではないだろ。そもそも神々は神話の世界の住人で、存在しているのは力だけだ」


「その論理は矛盾しています。神々は存在していました。神であっても〝死〟が存在していて、みな、とこしえの眠りについたのです。その亡骸は必ずどこかにある。ですが、神たる力は絶えず世に存在していて、一握りの存在が操ることができるのです」


「魔道という名で?」


「そうです。聖なる神々の力を操る業であるものなのに、人間は恐れから〝魔道〟と呼ぶ」

「突き抜けすぎて、妖しいってか。勝手だねぇ。話が脱線した。で、オパールはなにを意味していると?」


 セラが、うん、と強くうなずいた。目が真剣だ。


「ここにラシャリーヤが確かに存在していたという証しのように思います。これはきっと異空間と出入りする際に、零れ落ちたのでしょう」


「オパールが、か。こんなところに、これだけの上物だ。いわくがないほうがおかしいよねぇ。ますます気色悪さが増したってことか。じゃあ、見回ってくる。セラは本番に備えてしっかり寝てな」


 フレイリスは立ち上がって微笑むと、セラが無言で見送る中、歩き出したのだった。



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