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23話

 ドン! ドン! ドン! と激しく何度も背中を叩かれてフレイリスは目を見開いた。そして呼吸ができていないことを理解し、無理やり肺を絞って息を吐き出した。最初はなにも出てこなかったけれど、二度、三度吐き出すと苦しさが増す。そこで今度は逆に大きく息を吸い込んだ。


「剣士様」

「あぁ、姫、助かりました」


 手の甲で口元をぬぐいながら礼を言い、視線を向けると、アリューシャの顔が青ざめて強張っている。


「魔導士様が討たれました」

「え?」


 慌てて周囲を見回すと、カーヒルの足元にうずくまっているセラの姿があった。


「セラ!」


 フレイリスの声に反応したのはセラではなくカーヒルだった。こちらを向き、不敵に笑う。すべての勝負がついたかのような勝ち誇った笑みだ。


「お前たち虫けらが束になってかかってきても、この〝赤い大魔女〟カーヒル様には勝てないんだよ!」

「そうかい」


 高笑いを上げるカーヒルを視界に収めながら、隣にいるアリューシャに手で下がるよう指示し、ゆっくりと立ち上がる。


「虫けらで悪かったね。けど、大魔女様よ、あんたが人間である限り、あたしはあんたを倒すことができる。理由は、我が主上は悪域に傾いた人間の心を浄化する最強の宿り神だからだ」


「宿り神? はっ! それは妖魔だってことだろう!」


「妖魔が存在しているのに、神が存在しないと言うのは道理に合わないんじゃないのか? カイオスの斎主は女神ユノーの力を宿した生ける神なりし者、悪に心を染めた者を浄化し、粛正する!」


 フレイリスは胸で揺れるカイオスのシンボルをペンダントから取ると柄頭に当てた。カチリと小さな音と共に合体する。すると剣身からウーンと低い唸り声のようなものが聞こえてきた。


「小細工な」

「そう思ってくれたらありがたい」


 フレイリスはにんまり微笑み、瞼を閉じる。そして――


『カイオス斎主、エルダリアーナの名のもと、悪域に堕ちし病める心を浄化し、人たる姿に戻さん。御力をここに』


 呟くように唱え、終えるとカーヒルに向かって駆け出した。距離を詰めながら構え、カーヒルの目前でシュン! と剣先を振るった。


「無駄だよ! こんな子供騙し――なに!?」


 軌跡から小さな光のようなものが生まれて漂う。カーヒルは視界がぼやけるのを見た。同時にそれらが顔に触れた瞬間、バチバチと静電気のような痛みが弾ける。音が大きくなり、目に見えるハレーションを起こして白い筋となり、縄となってカーヒルを束縛した。


「なんだ、これは! 破壊できないっ」


 静電気が至る所でさく裂する。痛みに憤怒するカーヒルが吼える。


「悪域への傾斜が大きいほど、浄化の衝撃も大きくなる。心が完全に堕ちていれば、死か、精神破壊か。それは浄化されてみないとわからない。あんたの善意に期待するところだがね」


「善意だと!? ふざけるな! そんなものがこの不条理な世界になんの意味がっ!」


 カーヒルの額にフレイリスの持つ剣先は定められた。


『 ヴ・プ・メ・デ 』


 一気に剣を突き刺す。剣身は淡い光に包まれると、発光する小さな数多の球体に変貌してカーヒルの額の中に吸い込まれていった。


「! ! ! ! ! ! ! ! ! ! !」


 カーヒルが目を剥いてガクガクと声なく口を動かす。手や足も同様に不自然な動きを見せ、フレイリスが剣を引くと収まった。


 カーヒルは目を剥いたまま、その場に崩れ落ちる。四肢はあらぬ方向にねじ曲がっている。全身ヒクヒクと痙攣しているが、一目でこと切れているのがわかる。白かった肌がどす黒く変色していき、終わると痙攣も止まった。


 フレイリスの胸元で揺れている小さな丸い水晶玉、〝カイオスの天秤珠〟がゆっくりと透明を取り戻していく。フレイリスは柄頭からシンボルを外して、水晶玉の先につけた。そして足元でこと切れているカーヒルを見下ろした。


「欲望に染まって闇一色か。愚かだな。さて」


 フレイリスはセラのもとに向かった。アリューシャも駆け寄ってくる。


「セラ、セラ、目を覚ませ」


 ピシピシと頬を叩くが反応はない。腹部は血に染まっているものの、傷口はすでに閉じている。肉体の回復が早いのは、セラの身の上によるものなのだろう。脈もはっきりしているので、死の恐れはないようだ。


 そこにガクンと大きな揺れが襲った。何事かと周囲を見渡すと、頭上に並ぶ大きな窓から月が低いところに角度を変えているのが見えた。


「オパールを壊して地上とのつながりが切れたと言っていたな。さて、どうするか。いや、その前に、核を壊さないと」


「核?」


 アリューシャの反芻にフレイリスはうなずいた。


「核を壊せと言われてね。祭祀の間にあるらしい」

「誰にですか?」

「さてね」


 フレイリスはよっこらせと言いつつセラを肩に担ぎ上げた。女のフレイリスが、そう大きくはないとはいえ男のセラを担ぐことに、アリューシャが驚いて目を丸くしている。


「祭祀の間って言うんだから神殿の奥にあるんだろう。行くよ」

「はい」


 二人は最奥にある扉に向けて歩き出した。


「剣士様」

「…………」


 しばらく進んでからアリューシャが困惑したような表情を浮かべてフレイリスの顔を覗き込んできた。


「剣士様、どうしましょう」

「言いたいことはわかるけど、大丈夫、ちゃんと進んでる。自分を信じて歩くんだ」

「わかりました」


 歩いても歩いても、前に進んでいる感じがしない。アリューシャが不安になるのはわかる。だが、フレイリスは自分たちが確実に進んでいることを実感していた。


 二人の額に汗が滲み始め、アリューシャの息が乱れ出した頃、瞬間移動をしたかのように急に扉へ近づいた。それはまるで二人の意志が鉄壁で、挫くことができないとあきらめたため、本来の距離に戻したような感じだ。この城はまるで意志があるかのようで、それが魔法の凄まじだと痛感させられる。


 フレイリスは扉を押して開いた。


「!」


 扉の奥は、また同じ空間が広がっている。中央には息絶えたカーヒルの亡骸が落ちている。


「剣士様」

「……これは、あたしじゃ無理かもしれない」

「カ……フレ……」


 フレイリスの言葉と、別の声が重なった。


「セラ!」


 慌ててセラを下ろして床に座らせる。


「気がついたか」

「カー、ヒル、は?」

「倒したよ」

「…………」

「人間である以上、主上の力が通じるからね。それより、祭祀の間に行かないといけない」

「さい、し、ま?」

「呼んでるんだ。すごい存在に。でも、歩いても歩いても、この空間から出られない」


 セラは苦しそうに喘ぎながらあたりを見渡し、納得したようにうなずいた。


「座標を失ってしまい、城内に掛けられた防御魔法の制御が効かなくなったのでしょう。鍵を使って空間を渡るしかありません」


 セラが懐から四本の鍵を取り出してフレイリスに差し出す。


「けど、来いって言われてるんだよ?」

「あなたを呼んでいる者と、この城を造った者の意図は別なんでしょう。問題はどの鍵を使うか、です」

「祭祀の間に来て、核を壊させって言うんだけどねぇ」

「核?」

「ああ」

「……核を壊せ、か」


 セラは手の中の四本の鍵をじっと見つめた。


「過去、現在、未来、本質。それが鍵の意味。代々の支配者はラシャリーヤを自由自在に行き交いできた。とはいえ、過去や未来に行けるわけはない。それは文字通りの象徴でしかないはず」


 よく見ると、アメジストのついた鍵だけ小さな傷がいくつもついていて、使用頻度が高かったのだろうと思わせる。


「アメジストは現在。過去は……」

「神殿、ここじゃなかな? 神様なんて過去のものだろう?」


「いえ、違うと思います。ティーネスたち支配者の役目に、死者を弔う役目があるので、霊廟じゃないでしょうか。城の地下に大規模な霊廟があるという話なので」


「なるほど。墓が過去ってことか。じゃあ、未来が神殿?」


 フレイリスが言うと、隣からアリューシャは「なぜですか?」と問うてきた。


「未来を願うから。神に祈り、良き将来を乞うのが神を称える場所だから」

「……なるほど」


 納得するアリューシャを横目に見ながらセラがサファイアの鍵をフレイリスに差し出す。


「あなたの仮説が正しいとして、神殿はルビーということになりますね。残るはサファイア。祭壇に続く鍵は本質を示すならば、これです。ですが、逆ということもある」


 フレイリスがサファイアの鍵を手に取った。


「試しながら進むしかないけど……さっき、歩いても歩いても、進まなかったんだ。最後は扉にたどり着けたが、開いたら正反対の場所、ここに立っていた」


「では、まずは外に出たほうがいいのでしょうね。宮殿内の、別の場所からアプローチしたほうが早いと思います」


「わかった。まずはアメジストの鍵穴を探そう」


 三人は互いを見合ってうなずいた。



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