19話
眼前には氷の女神クレイシャの石像が飾られてある。燃える赤毛を震わせ、大魔導士カーヒルは歓喜に酔いしれていた。手には血のようなワインが注がれたグラスがあり、ゆっくりと傾けて口をつける。
広い部屋には中央に女性の姿をした石像が据えられている。石像に並ぶようにして意識のないアリューシャ姫が吊されており、隣にある台には女王ティーネスの首がある。
さらにティーネスの首の横に大玉の水晶玉があり、カタカタと震えている。半年前、アリューシャの声を封じた水晶玉だ。
「氷下に封じられたラシャリーヤが復活する。月の角度も万全だものねぇ。その上、魔導士も捕らえた。こんなおあつらえむきの夜はないわよ。あははははっ」
高笑いを上げ、虚ろなまなざしのティーネスを見下ろした。ティーネスの、もう閉じることのない青い瞳は暗く澱んでいる。
「バカな女だね。遥か古代に死んでいるくせに復活を望むなんて。私の魔術のおかげでわずかな仮初めの命を与えられたことも知らない愚かな者」
カーヒルは侮蔑の笑みを浮かべてワインを飲み干した。それを床に投げると、すっと立ち上がった。
「では、始めるとしよう。魔都復活の儀式を」
カーヒルは窓から見える銀の月を確かめると、両手で輪を作って印を結んだ。
『気高き呪いの覇者たちよ、我が声を聞け。我が願いをかなえよ』
言葉に反応して水晶玉に異変が起こる。
『月の輝きに満ち、我が祈りに応えよ。氷美の女神の怒りを解き鎮め、再びの栄華を導きたもう』
水晶玉が銀色に輝き、一筋の光を示した。その光はまっすぐアリューシャの額に至る。アリューシャが意識を取り戻したかのように顔を上げた。目が虚ろだ。
『かの者の輝ける美の歌声を捧げん。怒りの原動、水晶の女王を献上する。我が声を聞き入れたまえ、氷美の女神よ』
部屋中が異様に輝き出した。カーヒルが嬉しげに笑う。部屋の中心に据えられた石像が銀色の光を受けて輝き始めた。
しかし突然その光が砕けた。
「なに? どういうこと!?」
アリューシャのもとまで歩み寄り、顔を覗き込んで確かめる。次は歌声を封じた水晶玉だ。
「問題はない」
苛立った声を出し、ティーネスの首を睨んだ。こちらも変わりはない。続けて石像を覗き込んだ時、カーヒルはあっと叫んだ。
「額のサークレットに石がない! クレイシャの象徴、オパールの石が! なんてことだ! この役立たずがっ!」
カーヒルは怒りに顔を歪ませ、部屋から出ていった。残されたアリューシャは変わらず気を失ったままであったが、首だけのティーネスの瞳からは冷気をはらんだ涙がとめどなく流れていた。
*****
フレイリス・カティリアは剣をかざしながら走っていた。刃に刻まれた護符がセラの居場所を指し示しているからだ。剣身が奇妙な光を帯び、さらに強くなる。セラに近づいた証拠だ。ようやくフレイリスは鉄の扉の前にやってきた。中央にラシャリーヤの紋章が凝らされている。
剣を近づけると、爛々と輝いた。
(セラに反応している。ここにいるんだな)
フレイリスを守るためと刻まれた護符。フレイリスはセラをも守れるようにと頼んでセラ用の護符も刻んでもらった。それが反応しているのだ。
扉にはドアノブもノッカーもない。肩を当てて体を使って開けようとしたが、びくともしない。当時は体格のいい衛兵が開閉を担っていたのだろう。
(まいったな。さて、どうするか)
数歩下がって扉を眺めると、描かれている模様の上に蔦と花があることに気づいた。その花の模様がすべて雫型をしている。フレイリスはハッと息をのみ、マントの内ポケットからさっき手に入れた鍵を取り出した。
四本ある鍵の中で雫型をしているのはアメジストの鍵だ。そして蔦と花を辿っていくと、端に鍵穴があった。
(なるほど)
鍵を差して回すが、九十度の位置で動かなくなった。解錠された感覚もない。間違いだったのかと思った時、無意識に鍵を押してしまった。
(あっ)
鍵はさらに奥へと動いた。その状態で回すと、ガチャンと甲高い音がして開いた感触が指に伝わった。扉の中央を軽く押すと、ギギギと擦り切れた音を伴いながら左右に開いた。
中は神殿だった。周囲に多くの彫刻が据えられている。正面奥に祭壇があり、セラが張り付けられていた。
「セラ!」
慌てて駆け寄る。セラの目は開いているけれど、意識がないようだ。
「セラ!」
もう一度呼びかけるもやはり反応はない。よく見ると、開いているのは目だけではなく、口もである。
(息もしていないのかもしれない)
フレイリスはセラが張り付けられている台までのぼり、セラの首筋に手をやった。脈はある、次に口にやると、呼気は感じられなかった。
(魔術で仮死状態になっているのかもしれない。ん?)
額になにかが見えたので前髪を掻き上げると、記号のような印がついている。
(術はこれか。とはいえ、わかったところで、あたしには解けないんだが)
そこまで考え、閃いた。剣の先をセラの額の印に当てた。
「セラ、自分の身は自分で守る。そのための護符だ。殺しちまったら申し訳ないが、でもあたしは心底あんたを信じてる」
額が少し切れて血がにじむ。そこからフレイリスは大きく深呼吸をすると腕を引き、次に力任せに突いた。
ウワーンという鼓膜直撃の音が轟き、セラの額から光があふれて飛び散る。同時に風圧が起こってフレイリスの体を吹き飛ばした。床に叩きつけられると思われた瞬間、フレイリスは手をついて体を捻り、反動を利用して後方にジャンプ。片膝をつく形で綺麗に着地した。
「……フレイリス?」
セラが身を起こす。
「気がついたか。よかった。死なせるところだったんだ」
もう一度セラのもとに寄って体を支えてやる。
「あんたが囚われるなんて意外だったよ」
「それは買い被りというものです。ですが、アリューシャ姫を誘拐し、ラシャリーヤを復活させようとしている者が誰かわかりました。カーヒルです」
「……聞いたことのある名前だ」
「当然です。〝赤い大魔女〟との異名を持つ大魔導士ですから」
フレイリスは顎に手をやり、ふむ、と唸った。
「ってことは、人間ってことだよね。だったら、あたしの範疇だ」
「フレイリス」
「そいつの心は間違いなく悪域に傾いている。ってか、どっぷり闇一色だろ。だったらカイオスの偉力で倒せる。セラは姫の救出に注力してよ。声もね」
「……いいんですか? 魔導士の戦いに、魔術が使えないあなたには不利ですよ?」
「だからぁ~、悪域に傾いた心を持つ者はカイオスの浄化対象なんだって。あたし自身に魔術が使えなくても、カイオスの偉力を使えるんだから似たようなもんだ。それから、これ」
フレイリスは懐から四本の鍵をセラに見せた。
「あんたが言っていた鍵ってのは、これのことだろ? 四本、手に入れたよ」
「……大変だったでしょう?」
「んーー、嫌な過去を思い出さされて不愉快だったけど、大変ってほどではなかったような、そうでもないような」
セラはふと微笑み、鍵を手に取った。
「四つの鍵の意味は、過去、現在、未来。そして人間の本質だったはずです。それぞれ人間の弱さを表していると。過去はその人間のトラウマと偏見。現在は今、置かれている現実。未来は文字通り将来の姿で、本質はその者を動かす原動力、つまり欲望、あるいはもっと強く、渇望」
「……渇望」
「鍵を手に入れた順番は?」
「オニキス、アメジスト、ルビー、サファイア」
セラは四本の鍵を見つめながらなにか考えている。そんなセラを、フレイリスは無言で待った。
「過去はオニキス、石の意味は『成長』もしくは『発展』。現在はアメジスト、意味は『誠実、心の平和、愛情』。未来はルビー、意味は『情熱、仁愛』、本質はサファイア、意味は『誠実、慈愛、徳望』。当然、考慮されて選ばれているはずですが」
「精神攻撃は陰湿だったけどね。発展とか、誠実とかそんな前向きで綺麗なもんじゃなかったけど」
思案するセラが窓に視線をやり、息を詰める。
「月の傾きが大きく進んでいます。急ぎましょう」
言いつつ立ち上がり、またしても、「あっ」と声を発した。胸ポケットからオパールをフレイリスに差し出す。
「鍵の交換というわけではないですが、オパールはクレイシャの象徴です。これをあなたに渡しておきます。あなたの身を守ってくれるかもしれません」
「例のヤツだね。ホントに上玉だ。換金したらいい駄賃になりそうだ」
「いや、そうではなく」
するとフレイリスは悪戯めいたまなざしでウインクした。冗談にまともな反応をするな、と暗に言っているのだ。セラの顔にも笑みが浮かんでうなずく。
「行きましょう」
「ああ」
歩き出そうとする二人だったが、それはかなわなかった。広い広間の上下前後左右すべての壁に無数の黒い小人が、まるで先ほどの蜘蛛のように張り付いている。いつの間に出現したのか、二人はまったく気づかなかった。




