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「最終章・第二部:双つの命、王の覚悟③」

第三話:氷の守護者


朱華が出征してから、二月ふたつきが経った。

戦況は一進一退を繰り返し、都には、勝利の報せと、兵士たちの訃報が、交互に届けられていた。

雪藍は、日に日に大きくなるお腹を抱えながらも、気丈に妃としての務めを果たし、凛は、その影に寄り添うように、彼女の護衛を続けていた。


その夜、静月殿は、嵐の前の静けさのように、不気味なほど静まり返っていた。

雪藍の私室で、侍女たちが寝所の準備を整えている。


「雪藍様、今宵は風が強いようです。窓は、閉めておきましょうね」


碧葉が、窓の外の闇を見つめながら、不安そうに呟いた。


その時、庭の警備をしていた凛が、すっと部屋に入ってきた。その顔は、いつも以上に硬く、こわばっている。


「姉上。今宵は、決して俺のそばを離れないでください」

「凛…?どうしたの」

「…獣の匂いがする。それも、血に飢えた、汚らわしい獣の匂いだ」


彼の灰色の瞳が、氷の刃のように、鋭く光った。


次の瞬間、悲鳴が上がった。


「きゃあっ!」


広間の方を見ていた葵が、腰を抜かしたようにその場に座り込む。

音もなく、黒装束の男たちが、数人、部屋へと侵入していたのだ。その手には、月光を鈍く反射する、毒が塗られた短剣が握られている。


「雪藍様!」


葵と菫が、咄嗟に雪藍の前に立ちはだかる。その中で、碧葉だけは冷静だった。

彼女は、部屋の隅にある警鐘の紐へと、一目散に駆け出した。


だが、それより速く、一陣の風が刺客たちの前に立ちはだかった。凛だった。


「…姉上に触れる者は、誰であろうと、生かしては帰さぬ」


その声は、地を這うように低く、絶対零度の殺気を帯びていた。

刺客の一人が、雪藍に向かって駆け出す。凛の剣が、閃光のように煌めいた。男は、自分が斬られたことにも気づかぬまま、血飛沫を上げて床に崩れ落ちる。


「「「なっ…!?」」」


他の刺客たちが、その神業のような剣技に、一瞬だけ怯んだ。

凛は、その隙を見逃さない。彼は、雪藍を守るための一点の曇りもない光のように、しかし、敵を屠る様は、まるで死神の舞のように、美しく、そして残酷だった。


しかし、敵の数が多い。

凛が、二人の刺客を同時に相手にしている、その一瞬の隙。

物陰に潜んでいた最後の一人が、雪藍の背後から、無防備な腹部を目掛けて、短剣を突き出した!


「姉上!」


凛の、絶叫に近い声が響く。


碧葉の、これまで誰も聞いたことのない、絶叫が重なった。


「凛様!」


雪藍は、あまりの出来事に、動くことさえできない。


(ああ…!この子たちだけは…!)


彼女は、咄嗟に自分のお腹をかばった。


だが、衝撃は来なかった。

代わりに、肉が裂ける、鈍い音が響く。

凛が、信じられない速さで身を翻し、雪藍の前に立ちはだかり、その身を盾としていたのだ。

彼の左肩から、鮮血が噴き出す。


「ぐっ…!」


「凛…!」


雪藍の悲鳴。

しかし、凛は怯まなかった。彼は、肩に刺さった短剣を引き抜くと、その勢いのまま、返す刃で刺客の喉を貫いた。

どさりと、最後の刺客が床に崩れ落ちる。


部屋には、血の匂いと、死の静寂だけが残された。

凛は、肩を押さえ、ふらつきながらも、雪藍の方へと向き直った。

その顔は蒼白だったが、瞳には、ただ、彼女の無事を確かめるための、必死の光が宿っていた。


「…姉上…。ご無事、ですか…」

「ええ…ええ…!凛、あなたの、傷が…!」


しかし、凛の唇は見る間に紫色に変わり、呼吸が浅くなっていく。

傷口に塗られていたのは、即効性の猛毒だった。


「駄目…!このままでは…!」


医師を待つ時間はない。その絶望的な状況で、碧葉は、一瞬の躊躇の後、覚悟を決めた。

彼女は、凛の肩の傷口に、自らの唇を強く押し当てると、迷うことなく、その毒を口で吸い出し始めた。


「碧葉!何を…!あなたまで毒に…!」


雪藍の悲鳴に近い制止も、彼女の耳には届かない。

碧葉は、何度も、何度も、血と毒を吸い出しては、床に吐き出す。

その瞳には、ただ、愛する人を救いたいという、一心不乱の光だけが宿っていた。


凛の身体が、大きく傾ぎ、床へと崩れ落ちた。


「凛!」


雪藍は、血だまりの中に倒れる弟の身体を、強く、強く、抱きしめた。


「しっかりして!凛!死んではなりません…!」


そこへ、碧葉も涙で顔を濡らしながら駆け寄り、震える手で凛の傷口に布を当てる。


「凛様、凛様…!お願いです、目を開けて…!」


愛する人の名を呼び続ける碧葉の声と、雪藍の悲痛な叫びだけが、静月殿の夜に、いつまでも響き渡っていた。

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