「最終章・第一部:光と影の胎動②」
第二話:光の確信
翌朝、静月殿は、常ならぬ緊張感に包まれていた。
雪藍は、侍女たちに見守られながら、宮廷で最も信頼の厚い老医師の診察を受けていた。
老医師は、雪藍の白魚のような手首に指を当て、静かに脈を診る。その眉間に刻まれた深い皺が、場の緊張をさらに高めた。
やがて、老医師はゆっくりと目を開けると、それまでの厳しい表情を、満開の花のような、深い喜びに満ちた笑顔へと変えた。
「――おめでとうございます、妃殿下。ご懐妊、実に三月でございます」
その一言に、部屋の空気が、歓喜に震えた。
「まあ…!」
「雪藍様…!」
葵と菫は、わっと泣き崩れ、碧葉もまた、袖で目元を拭いながら、深々と頭を下げた。
雪藍は、自分のお腹にそっと手を当てる。まだ、何の膨らみもない。
しかし、確かに、この中に、朱華との愛の結晶が宿っている。
その実感が、彼女の心を、これまでに経験したことのない、温かい幸福で満たしていった。
その日の昼下がり。雪藍は、一人、部屋の窓から外を眺めていた。
庭園の向こうでは、朱華が、鎧姿の将軍たちと、厳しい顔つきで何かを話し合っている。
その横顔は、国の未来を憂う、孤独な皇太子の顔だった。
(今、このことをお伝えして、あの方の心をさらに乱してしまうだけではないだろうか…。
戦を前に、集中を妨げてしまうのでは…)
喜びと同時に、彼を支える妻としての、新たな不安が、雪藍の胸をよぎる。
その夜、朱華は、昨日よりもさらに深い疲労をその身に纏い、静月殿へと戻ってきた。
「…雪藍。お前の香りを嗅ぐと、戦の匂いが消える…」
彼は、雪藍を求めるように、その華奢な身体を強く抱きしめた。
その腕の中で、雪藍は決意する。
(この知らせは、この方にとって、決して重荷ではない。むしろ、この方が戦うための、光になるはずだ)
彼女は、朱華の、剣の鍛錬で節くれだった大きな手を、そっと取った。
そして、その手を、まだ平らな、自分のお腹の上へと、優しく導いた。
「朱華様…。…ここに、新しい命がおります」
朱華の動きが、ぴたりと止まる。
「…あなた様と、私の、子が…」
その、震える声で告げられた言葉の意味を、彼の聡明な頭脳が、すぐには理解できない。
彼は、ゆっくりと腕をほどくと、雪藍の顔と、彼女のお腹に置かれた自分の手を、信じられないというように、何度も見比べた。
「…本当か…?雪藍…?俺の…俺たちの子が…ここに…?」
彼の声は、掠れ、震えていた。
やがて、彼は寝台から滑り落ちるようにひざまずくと、彼女のお腹に、そっと耳を寄せた。
その黒曜石の瞳から、一筋、熱い涙がこぼれ落ちる。
次の瞬間、彼は勢いよく立ち上がると、雪藍の身体ごと、そしてそのお腹の子ごと、すべてを包み込むように、強く、しかしどこまでも優しく抱きしめた。
その表情は、もはや皇太子のものではない。
ただ、愛する女と、まだ見ぬ我が子への、絶対的な愛に満ちた、一人の男の顔だった。
「…聞いたか、我が子よ。父は、ここにいる。…何があっても、お前とお前の母を、この命に代えても守り抜く。必ずだ」
その誓いの言葉は、雪藍の魂に、深く、熱く、刻みつけられた。
彼女は、彼の腕の中で、安堵の涙を流しながら、幸せに微笑むだけだった。




