「妃殿下、初めての誘惑」
章1:心の棘と、皇后の秘薬
砂漠の国から帰国して数日。静月殿の日々は穏やかだったが、雪藍の心には、カイ王子の言葉が、小さな棘のように残っていた。
「妃は一人か?」
朱華は、あれほどまでに力強く、自分だけだと誓ってくれた。けれど、皇太子妃として、世継ぎを残すという大きなお役目を思えば、不安は拭えない。
(もし、私に子ができなかったら…朱華様のお立場は…)
思い悩んだ末、雪藍は意を決して、皇后・玲瓔のもとを訪れた。
「まあ、雪藍。そのような顔をして、どうしました?」
皇后は、娘のように可愛がっている雪藍の心の曇りを、すぐに見抜いた。 雪藍は、勇気を出して、胸の内を打ち明ける。 カイの国での出来事、そして、世継ぎへの不安。 すべてを聞き終えた皇后は、厳しい顔をするかと思いきや、ふふっ、と悪戯っぽく笑った。
「あの子は、あなたが思うよりも、ずっとあなたに夢中ですわ。世継ぎの心配など、無用です」
そして、皇后は懐から小さな瑠璃の小瓶を取り出すと、雪藍の手にそっと握らせた。
「…これは、私が若い頃、陛下を振り向かせるために使った、秘伝の香油ですのよ。肌に塗れば、体温で温められ、男を虜にする香りが立ち上る…。たまには、あなたから、あの子を誘惑してごらんなさい。あの子は、単純な子ですから」
その、母のような、そして女の先輩のような温かい言葉に、雪藍の心は少しだけ軽くなった。
章2:侍女たちの、甘い共犯関係
その夜、静月殿では、秘密の作戦会議が開かれていた。 雪藍は、侍女三人組に、皇后様からのアドバイスと、自らの決意を打ち明けたのだ。
「…というわけで、今宵は、私から、朱華様を…お誘いしようと…思います」
その言葉に、三人の侍女は顔を見合わせ、やがて歓声を上げた。
「まあ!雪藍様!素晴らしいですわ!」と葵が拳を握る。 「私たち、全力でお手伝いいたします!」と碧葉も力強く頷いた。 菫は、うっとりとした表情で、皇后から授かった香油の小瓶を見つめている。 「…この香油が、お二人の愛を、さらに燃え上がらせるのですね…」
作戦は、完璧だった。 夕餉には、精のつくと言われる食材ばかりを並べる。 雪藍の衣装は、いつもの清楚なものではなく、肩の線が少しだけ大胆に見える、艶やかな絹の羅衣を。 そして、化粧も、目元にほんのりと紅を差し、唇には濡れたような艶を出す。 仕上げは、皇后の秘伝の香油。雪藍がそれをうなじや手首に塗ると、彼女自身の甘い香りと混じり合い、むせ返るような、官能的な芳香が立ち上った。
「…これで、殿下もきっと…」
三人の侍女は、自分たちの手で完璧な作品を創り上げたかのように、満足げに頷き合った。
章3:狩られる皇太子
政務を終えた朱華が、静月殿に戻ってきた。 その日の夕餉の卓を見て、彼はすぐに眉をひそめた。
(…妙だな。今日の料理は、やけに精のつくものばかりだ…)
そして、雪藍の姿を見て、彼の動きが完全に止まる。 いつもと違う、少しだけ大胆な装束。 いつもより艶やかな化粧。そして何より、部屋に満ちる、むせ返るほどに甘く、官能的な香り。
彼が、給仕をする侍女たちに視線を送ると、 葵は、拳を握って「頑張ってください!」と無言で力強いエールを送ってくる。 菫は、うっとりとした顔で「今宵は、良い夜になりますように…」と祈っている。 碧葉は、顔を真っ赤にして、必死に視線を逸している。
朱華は、すべてを悟った。
(…やられた。…いつもは俺が狩人で、雪藍が可憐な獲物だったはずが…。今宵、俺は、この美しい獣に、ゆっくりと追い詰められているのか。…面白い。実に、面白いではないか。さあ、どうやって、この身を喰らわせてくれる?)
彼は、何も気づかぬふりをして席に着くと、いつもよりゆっくりと、雪藍の姿を味わうように見つめた。 その熱い視線に、雪藍の心臓は、破裂しそうだった。
章4:心臓の証、愛の始まり
夕餉が終わり、侍女たちが下がると、部屋には二人きりになった。 朱華は、わざとらしく、大きく息をついた。
「…どうやら、今宵の香は、随分と熱いな。俺の身体まで、火照ってくるようだ」
彼は、ゆっくりと立ち上がると、雪藍の前まで歩み寄る。そして、その潤んだ瞳を、至近距離で覗き込んだ。
「…雪藍。白状しろ。今宵は、俺を誘ってくれているのか?」
その、全てを見透かしたような、しかしどうしようもなく嬉しそうな声。 雪藍は、もう隠し通すことはできないと悟った。
「はい…」
彼女は、恥ずかしそうに、しかしはっきりと頷く。そして、意を決したように立ち上がると、朱華の前に進み出た。 彼女は、彼の大きな手をそっと取ると、自分の、早鐘のように打ち鳴らされる心臓の上へと、導いた。 衣の上からでも分かる、激しい鼓動。
「…今宵は、朱華様に…愛されたくて、たまらなくて…」
彼女は、涙ぐみながら、続けた。
「…ほら、こんなにも、あなた様を求めて、私の心臓がうるさいのです」
その、あまりに初々しく、官能的で、そして健気な、最高の愛の告白。 朱華の理性の最後の糸が、音を立てて、焼き切れた。 彼は、雪藍を強く抱きしめると、その唇を、激しく貪った。
「…ああ、知っている。お前のその可愛い心臓の音は、ずっと前から、俺を呼んでいたからな」
その言葉を合図に、二人の、甘く、長い夜が始まった。
章5:愛を乞う夜
朱華の唇は、雪藍のそれを貪るように味わい、深く舌を絡ませて、互いの熱を交換する。 雪藍は、その濃厚な口づけに、思考が蕩けていくのを感じた。やがて彼は、雪藍を寝台へと導くと、その柔らかな肌を慈しむように見つめた。
「朱華様…?」
彼は何も答えず、まるで聖地に触れるかのように、雪藍の指先に、唇に、そして首筋へと、熱い口づけを落としていく。皇后から授かった香油の甘い香りと、彼女自身の香りが混じり合い、彼の理性を狂わせる。
「雪藍。お前の全てが、俺の渇きを癒す泉だ。…今宵は、一滴残らず味わい尽くす」
その言葉と共に、彼の唇と指先は、彼女の肌のすべてを辿り、その熱を高めていく。 雪藍の身体が、彼の愛撫に応えるように甘く震えた。
「…雪藍。お前の声が、もっと聞きたい」
彼は、彼女の耳元で囁き、その反応を確かめるように、さらに深く彼女を求める。 雪藍は、恥じらいながらも、彼の導きに応え、自らも彼に口づけを返した。 その夜、二人は言葉なく、ただ互いの肌の温もりと、高鳴る鼓動だけを頼りに、深く結ばれた。それは、雪藍が初めて自らの意志で彼を誘い、彼がその愛に完全に応えた、特別な夜だった。
章6:杯と酒の、絶対的な愛の誓い
激しい夜が明け、朝靄が静月殿を包む頃。 二人は、疲れ果て、しかし満ち足りた表情で、互いの肌を寄せ合っていた。 雪藍は、ぽつりと、胸の内を明かした。
「…私、焦っていたのです。早く、あなた様の子を、この身に授かりたいと…」
その健気な告白に、朱華は、彼女の顔を両手で包み込み、その瞳をまっすぐに見つめた。彼の声は、いつになく真剣だった。
「…雪藍。もう一度だけ言う。よく聞け。 俺は、お前との子を望む。だが、それは、お前という極上の杯に注がれた、極上の酒を味わいたいからだ。…杯がなければ、酒はただ地面に零れるだけだ。…もし、天がお前という杯に、子という酒を満たしてくれぬのなら、俺は、生涯、空の杯だけを愛し続ける。…他の杯に、注ぐ気など、一切ない。分かったな?」
その、皇太子としてありえないほどの究極の愛の言葉に、雪藍は、もはや涙なしではいられなかった。
「はい…はい…っ」
彼女は、安堵の涙を流しながら、彼の腕の中で、再び穏やかな眠りへと落ちていった。 朱華は、その寝顔に、誓いを立てるように、深く、優しい口づけを落とした。




