「妃殿下、母上に嫉妬する」
章1:凱旋する父母と、香りの贈り物
その日、静月殿の庭は、いつもより少しだけ華やいだ空気に満ちていた。
雪藍の妃としての活躍により、蘇氏は完全に名誉を回復。今日は、その礼と娘の顔を見るため、父・遠廉と母・静蘭が、胸を張って静月殿を訪れる日だった。
以前とは違う、自信と喜びに満ちた二人の姿に、雪藍は胸を熱くする。
「雪藍、息災であったか」
「父上、母上、ようこそおいでくださいました」
両親は、雪藍のために、故郷・額田から、国中を探しても手に入らないような、極上の香草や香木を携えてきてくれた。
「お前が、宮廷で立派に務めを果たしていると聞き、父も母も、鼻が高い」
その言葉に、雪藍は涙ぐみそうになるのを必死で堪え、自らも用意していた二つの小さな香袋を、そっと両親に手渡した。
「父上には、書斎で心が安らぐように、故郷の木の香りを。母上には、お部屋が華やぐように、春の花々の香りを。…わたくしが、お二人のために調合いたしました」
娘からの、思いがけない、そして心のこもった贈り物。両親は、言葉を失い、ただ娘の成長に涙ぐんでいた。
そこへ、政務を終えた朱華が、柔らかな笑みを浮かべて現れた。
「義父上、義母上。ようこそおいでくださった」
美しく着飾った母・静蘭に、朱華が挨拶をする。
その時、朱華の視線が、一瞬だけ、彼女の顔に釘付けになった。雪藍は、その視線に、ほんの小さな違和感を覚える。
(…今、朱華様…?)
しかし、その感情は、再会の喜びにすぐに紛れてしまった。
章2:皇太子の視線の先
四人は、庭園に面した一室で、茶を囲んだ。
凛も、少し離れた席で、静かにその様子を見守っている。
朱華は、雪藍の子供の頃の話を、母・静蘭に熱心に尋ね始めた。
「義母上。雪藍から、幼い頃の話を伺いました。…彼女が初めて香を調合した時、義母上は、どのようなお顔をされていたのですか?」
「まあ…」
静蘭は、楽しそうに昔を思い出す。
「あの子は、昔から一つのことに夢中になると、周りが見えなくなるような子でして。その瞳の輝きは、今も昔も、少しも変わりませんわ」
朱華は、静蘭の語る「昔の雪藍」の話に、まるで宝物の話を聞くかのように、うっとりと聞き入っている。その視線は、ずっと静蘭の顔に注がれたまま。
雪藍は、内心穏やかではない。
(なぜ、母上ばかり…?)
やがて、父・遠廉が、思い出したように口を開いた。
「そういえば、殿下。お世継ぎの儀は、まだかな?我らも、早く孫の顔が見たいものだが」
その言葉に、雪藍の顔が真っ赤になる。
朱華は、悪戯っぽく雪藍を一瞥すると、真顔で答えた。
「はは。それについては、夜ごと励んでおりますが、正直なところ、今はまだ、この雪藍との二人だけの時間を、大切にしたいのです」
(凛は、その言葉を聞きながら、誰にも気づかれぬよう、そっと腰の剣の柄を強く握りしめていた。…子供?姉上に、もしものことがあれば…。いや、俺が、守る。姉上も、その子も、兄上も。俺が、この命に代えても)
朱華のあまりに率直な言葉に、両親は顔を見合わせ、照れたように笑う。
やがて、侍女が菓子を運んでくると、朱華は、一番美しい形のものを、こともなげに静蘭の皿へと置いた。
その瞬間、雪藍の嫉妬の我慢が限界に達し、机の下で、朱華の足をぎゅーっと強く踏みつけた。
「ぐっ…!」
朱華は、一瞬だけ声を漏らすが、何が起きたか分からず、きょとんとした顔をしている。
その一部始終を、離れた場所にいる凛が、氷の瞳で見つめていた。
(…兄上、姉上を悲しませるとは、いい度胸だ…)
章3:涙の訴えと、甘い真相
両親が満足げに帰った後。朱華と雪藍は、二人きりになった。
朱華は、ようやく雪藍の不機嫌に気づく。
「どうした、雪藍。何か、機嫌が悪いのか?」
その、あまりに無邪気な一言に、雪藍の堪忍袋の緒が切れた。
「…もう、存じません!朱華様は、私よりも、母上の方がお好きなのですね!ずっと、母上ばかりご覧になって…!私のことなど、もう見てくださらない!」
ぽろぽろと大粒の涙を流し、彼女は子供のように叫んだ。
雪藍の、予想の斜め上を行く可愛らしい嫉妬の理由に、朱華は最初、呆気に取られた。
そして、次の瞬間、どうしようもないほどの愛おしさが込み上げてくる。
彼は、涙ぐむ雪藍を強く抱きしめた。
「…馬鹿なやつだ。俺の目に、お前以外の女が映るものか」
彼は、雪藍の耳元で、蕩けるように甘く囁いた。
「義母上の、その笑った時の目元が、お前とそっくりなのだ。話す時の、その唇の動きも…。
俺は、義母上を見ながら、お前のことを考えていた。…お前の子供の頃の姿を、義母上の顔に重ねて、想像していただけだ。…許せ。お前を不安にさせたな」
その言葉に、雪藍は、自分の勘違いに、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
(私、自分の母にまで、やきもちを…!)
朱華は、そんな彼女の反応を楽しみながら、さらに囁きを重ねる。
「…それに、俺の妃が、母親にまで嫉妬するとはな。可愛いやつめ。今夜は、その可愛い嫉妬心を、俺が満足するまで味わうとしよう」
章4:仲直りの、甘い閨事
その夜の閨事は、「仲直り」と「お仕置き」を兼ねた、とろけるように甘く、少しだけ意地悪なものになった。
朱華は、雪藍の身体の隅々まで口づけを落としながら、囁き続ける。
「この柔らかな肌は、義母上にはない、お前だけのものだ」
「この甘い声も、俺だけが聞ける特権だ」
その度に、雪藍は「もう…!」と抗議の声を上げるが、その声は快感に震えていた。
彼の指が、雪藍の足に触れる。そして、悪戯っぽく、その足の甲に口づけを落とした。
「…昼間は、この可愛い足で、随分と痛い思いをさせてくれたな。…罰として、今夜は、この足が俺から離れられぬようにしてやろう」
彼はそう言うと、彼女の足を自分の腰に絡ませ、より深く、激しく彼女を求めた。
彼は、彼女の不安をすべて消し去るように、その身体の隅々まで、自分の愛を刻みつけていく。
やがて、深く結ばれた中で、朱華は、雪藍の潤んだ瞳を見つめた。
「…分かったか、雪藍。俺が見ているのは、過去も、今も、未来も、お前だけだ」
「はい…」
雪藍は、蕩けきった表情で、こくりと頷く。
その返事に満足したように、朱華は、もう一度、深く、彼女を求めた。
翌朝、雪藍の隣で目覚めた朱華は、満ち足りた表情で、彼女の寝顔にそっと口づけを落とした。
その腕の中には、彼の唯一の宝物が、幸せそうな寝息を立てていた。




