「凛と碧葉の恋物語」:第3部「高まる想いと身分差の壁」
雪藍に碧葉への想いを打ち明けて以来、凛の心は、隠しきれない情熱で溢れていた。書庫での碧葉との時間は、彼にとって何よりも大切なものとなり、その視線は以前にも増して熱を帯びる。
ある日、碧葉が書庫の高い棚の書物を整理していると、年若い従者が隣に立って、書物の場所を尋ねていた。碧葉は、穏やかにその従者の質問に答え、書物を指し示している。凛は、少し離れた場所からその様子を眺めていたが、碧葉が従者と楽しそうに笑い合う姿を目にした途端、胸の奥に、チリ、と微かな痛みが走った。
(…なぜだ。碧葉が、他の者と笑い合うのが、こんなにも…)
それは、今まで経験したことのない、激しい嫉妬のような感情だった。凛は、普段の冷静さからは想像できないほど、衝動的にその場に割って入った。
「その書は、私が確認する。そなたは、姉上のもとへ使いを頼まれたはずだ、早く行け」
凛は、従者にやや冷たい視線を送り、碧葉の手から、従者が持とうとしていた書物をほとんど奪い取るように受け取った。従者は恐縮したように頭を下げ、慌ててその場を後にする。碧葉は驚いたように目を瞬かせ、凛を見上げた。
「若君…?」
凛は、碧葉の視線に気づくと、ハッと我に返った。
自分の行動が、いかに感情的であったかを悟り、顔が熱くなる。
「いや…その。この書は、私が確認すべきものだった」
そう言って、凛は書物を抱え、書庫の奥へと足早に去っていった。碧葉は、そんな凛のわずかな動揺と、普段とは異なる態度に、胸の奥がざわつくのを感じていた。
碧葉もまた、凛の態度の変化に、確信めいたものを抱き始めていた。以前は落ち着いた「若君」として接してくれていたはずの彼が、最近は自分を特別扱いするような言動が増えている。他の者と話していると、
すぐに凛がやってきては、自分だけを遠ざけようとする。そのたびに、碧葉の胸は高鳴り、そして同時に、ズキ、と痛んだ。
(…若君は、私に…)
碧葉の心は、喜びに震える一方で、厳しい現実が重くのしかかっていた。凛は、一族を再興したばかりの、将来を嘱望される若君だ。いずれは、国のため、家のために、高貴な姫君を娶る身。歳の離れた自分は、ただの一侍女に過ぎない。
(若君のお気持ちは、この上なく嬉しい…。でも、私では、若君の未来を汚してしまう…)
この恋は、決して許されるものではない。碧葉は、凛の優しさや情熱に惹かれながらも、その想いを自ら断ち切ろうと、心の中で必死に藻掻いていた。信頼する友である葵や菫にも、この苦悩を打ち明けることはできなかった。
凛が雪藍に碧葉のことを相談するようになってから、雪藍もまた、弟の様子を注意深く見守るようになった。凛が碧葉と話す時の、いつもより少しだけ高揚した声のトーンや、碧葉を見つめる熱い視線。それは、かつて朱華が自分に向けていたものと、あまりにもよく似ていた。
雪藍は、朱華と共に庭を散策している時、さりげなく尋ねた。
「あの…朱華様。最近、凛が書庫にいる時間が長いようですが、何かお心当たりはございますか?」
朱華は、雪藍の言葉に小さく笑みを浮かべた。
「ふむ。私も気づいていた。書庫番の侍女と、ずいぶん親しくしているようだな。あの凛が、あそこまで浮ついた顔をするのは、珍しい。だが、相手が碧葉ならば、致し方あるまい」
朱華はそう言うと、意味深に口元を歪めた。
(…やはり、朱華様は、全てお見通しなのね…)
雪藍は、凛の恋の行方を案じながらも、どこか安心したような気持ちになった。
ある夕暮れ時、書庫で。
碧葉が片付けを終えようとしていると、凛がゆっくりと彼女の傍らに歩み寄った。
「碧葉」
凛の声は、いつもより少しだけ低く、胸に響くような響きを持っていた。碧葉は、その声に心臓が跳ねるのを感じる。
「はい、若君」
「そなたは…この静月殿で、他に好きな場所はあるか?」
凛は、碧葉の瞳をまっすぐに見つめた。その視線は、有無を言わせぬような、それでいて深い情熱を秘めていた。
碧葉は、一瞬、言葉に詰まる。彼の言葉の真意を悟りながらも、答えることができなかった。
「…私にとって、そなたがいる場所が、最も落ち着ける場所だ」
凛は、そう告げると、碧葉の肩にそっと手を伸ばした。触れるか触れないかの寸前で、その手は止まる。
「…そして、そなたが笑顔でいる場所が、一番、美しい」
凛の言葉は、直接的な愛の告白ではない。
しかし、その声色、その視線、そして触れそうで触れない手から伝わる熱は、碧葉の心に、彼の揺るぎない想いを深く刻みつけた。碧葉は、涙が溢れそうになるのを必死に堪え、ただ黙って、凛の情熱的な視線を受け止めるしかなかった。
身分差という見えない壁が、二人の間に、重く、しかし切なく横たわっていた。




