「毒された笛の音」
章1:祝宴の席、最後の迷い
その日、宮廷では、隣国との条約締結を祝う、盛大な宴が催されていた。
広間は灯籠の光と人々の熱気に満ちている。
しかし、末席に座る凛の心は、凍てつくような闇の中にあった。
彼の膝の上には、白玉で造られ、金の細工が施された、豪奢で美しい笛が置かれている。
数日前、反乱分子の男が、これを「お父上の形見だ」と言って、彼に渡してきたのだ。
(父上の、母上の無念を晴らすのは、今宵なのだ…)
男たちの言葉が、頭の中で反響する。
(あの男と女が、偽りの優しさで俺を飼い慣らしている間に、俺は、俺の成すべきことを成す…)
けれど、彼の視線の先には、臣下たちと穏やかに談笑する雪藍の姿があった。
彼女が時折見せる、柔らかな笑み。
(だが…あの女の香りは、本当に偽りだったのか?俺を見つめるあの瞳は…嘘だったのか?)
温かい記憶と、植え付けられた憎しみが、彼の心の中で激しくせめぎ合っていた。
やがて、宴の余興として、楽団の演奏が始まった。
その時、反乱分子の一人である高官が、皇上に向かって進み出た。
「陛下。今宵の良き日に、もう一つ、特別な音色を加えてはいかがでしょう。こちらにおわす凛殿は、
類まれなる笛の才をお持ちと聞き及んでおります。ぜひ、一曲、祝いの調べを…」
その言葉に、凛の心臓が凍り付く。
反乱分子たちは、彼に「これは皇太子への追悼の曲だ」と囁いていたのだ。
断ることはできない。広間の視線が、一斉に彼へと突き刺さった。
章2:あなたの音を
凛は、ゆっくりと立ち上がった。
足が、鉛のように重い。
舞台へと向かう、その短い道のりが、永遠のように感じられた。
(どうすればいい。俺は…どうすれば…)
復讐か、それとも…。彼の心は、まだ答えを出せずにいた。
彼が、朱華と雪藍の座る席のそばを通り過ぎようとした、その瞬間だった。
「凛」
雪藍が、彼の名を呼んだ。
凛が足を止めると、彼女は、ただ、純粋な、何の疑いもない、優しい笑みを浮かべていた。
「あなたの音を、楽しみにしていますね」
その、あまりにも無垢な一言が、彼の心を貫いた。
(ああ…)
凛の灰色の瞳が、大きく見開かれる。
(この人は…この瞳は、嘘などつけない。俺が、信じるべきは…)
短い言葉。優しい微笑み。
だがそれは、彼の心に渦巻いていた、偽りの復讐心という黒い霧を、一瞬で吹き払うほどの、強い光だった。
彼の心は、決まった。
章3:決別の音色
凛は、舞台の中央へと進み出た。
広間は、水を打ったように静まり返っている。誰もが、心を閉ざした少年の奏でる音色に、固唾をのんで耳を澄ませていた。
彼は、美しい笛を、ゆっくりと唇へと運ぶ。
反乱分子たちが、満足げに頷くのが見えた。
朱華と雪藍が、信頼に満ちた眼差しで見守っているのが見えた。
凛は、大きく、息を吸い込んだ。
――そして。
バキィッ!!
甲高い破壊音が、広間に響き渡った。
凛は、演奏すると見せかけた笛を、渾身の力で、舞台の床に叩きつけ、砕き割ったのだ!
美しい笛は無残に砕け、その中から、怪しげな光を放つ、小さな針のような仕掛けが転がり落ちた。
広間が、驚きと混乱の叫びに包まれる。
その中で、凛は、砕けた笛を指差し、朗々と声を張り上げた。
その声には、もう迷いも、怯えもなかった。
「この笛には毒が仕込まれている!我が姉君と兄君…皇太子殿下と妃殿下を害そうとする、逆賊がいるぞ!」
その、魂からの叫び。
それは、彼が過去の復讐心と完全に決別し、自らの意志で「新しい家族」を選んだ、決意の音色だった。




