表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

59/100

「芽生える忠誠、忍び寄る影」

章1:姉上と、氷の刃


雪藍の優しさに触れ、凛の心の氷は、少しずつ、しかし確実に溶け始めていた。

彼はまだ口数が少なく、笑うことはなかったが、雪藍が香室で作業をしていると、気づけばいつも部屋の隅に座り、静かにその手元を見つめているようになった。


その日の午後、雪藍は凛を連れて、宮廷の薬草園を散策していた。


「この花は、北国にしか咲かないもの。けれど、都でも花を咲かせられるよう、土を工夫して…」


雪藍が、凛の灰色の瞳を覗き込み、優しく語りかける。

凛もまた、静かにその言葉に耳を傾けていた。


その時だった。

前方から、数人の高官たちが歩いてきた。その中心にいるのは、有力な貴族の一人で、雪藍の存在を快く思っていない男だった。

男は、雪藍と凛の姿を認めると、わざとらしく眉をひそめ、聞こえよがしに供の者に言った。


「…皇太子殿下も、酔狂なことだ。妃に迎えたかと思えば、今度は謀反人の小童の世話とは。

…所詮、香女風情のなさることよな」


その侮辱の言葉に、雪藍の顔から血の気が引いた。

しかし、彼女が何かを言うより早く、隣にいた凛が、すっと一歩前に出ていた。


「……今、何と?」


凛の声は、凪いだ湖面のように静かだった。だが、その声に触れた高官の顔が、恐怖に強張る。

凛の灰色の瞳は、もはやただの少年のものではなかった。それは、獲物を前にした獣の瞳。

氷の刃のような、絶対零度の殺気を宿していた。

彼は、ゆっくりと高官に顔を寄せると、雪藍にだけ聞こえるように、そっと囁いた。


「姉上…。この方には、死をもって償わせましょうか?」


その、姉を護るためならば、常軌を逸することもいとわぬ狂気にも似た執着の片鱗に、雪藍は戸惑い、そして震えた。


「凛…!なりません!」


雪藍は、はっと我に返ると、凛の腕を強く掴んだ。

その腕は、年の頃に似合わぬほど、硬くこわばっていた。


遠くからその様子を見ていた朱華は、驚きに目を見開いていたが、やがて、たまらなく面白そうに、口の端を吊り上げた。


(…ほう。俺の知らぬ間に、雪藍は猛獣まで手懐けたか。面白い)


高官は、凛の放つ殺気に完全に気圧され、何も言えずに逃げるように去っていった。


章2:偽りの記憶、黒い囁き


その夜、凛は一人、宮廷の古びた物見櫓の陰にいた。

闇の中から、影のような男が一人、現れる。彼は、かつて鎮西公ちんぜいこうに仕えていた者だった。


「凛様、日中のこと、お見事でございましたな。皇太子妃への、その忠誠心…」


「姉上を侮辱する者は、誰であろうと許さない。それだけだ」


凛の冷たい言葉に、男は満足げに頷くと、さらに声を潜めて囁いた。


「…その優しき姉君の夫君こそが、貴方様のご両親を死に追いやった張本人とも知らずに…お労しいことです」


「…何?」


凛の瞳が、鋭く光る。


男は、懐から古びた書状を取り出した。


「凛様の一族は、謀反など企んでおりませんでした。ただ、その正当な血筋と権利を、皇太子殿下が恐れたのです。…これは、貴方様のお父上が、無実を訴えるために、最後に残された文にございます」


渡された書状には、見覚えのある父の筆跡で、悲痛な言葉が綴られていた。

もちろん、それは反乱分子が巧妙に偽造したものだった。


(あの女が…あんなにも優しいあの女が、俺の両親の仇の妻だと…?ありえない。だが、この父上の文は…)


凛の心は、雪藍への芽生え始めた温かい信頼と、植え付けられた偽りの復讐心の間で、激しく引き裂かれた。

男は、苦悩する凛の肩にそっと手を置き、囁きを続ける。


「我らは、凛様の真の味方。いつか、貴方様が立ち上がるべき時が来たならば、必ずや、力となりましょう…」


黒い囁きは、純粋な少年の心に、深く、そして静かに、毒のように染み込んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ