「孤高の若獅子」
章1:新しい風
その日、静月殿に、これまでとは全く質の違う緊張が走っていた。
皇上の勅命により、一人の少年が宮廷に引き取られてくることになったのだ。
名を、凛。年は、十四。
皇族の遠縁にあたるが、数年前に謀反の疑いをかけられて家は取り潰され、両親を早くに亡くした、
天涯孤独の身の上だという。
「まあ…お可哀想に…」
菫が、涙ぐみながら呟く。
「十四といえば、まだ甘えたい盛りでしょうに…」
葵も、神妙な顔で頷いた。
「ですが、皇族に対して、良い感情をお持ちではないかもしれませんわね…」
碧葉の冷静な言葉に、場の空気が少しだけ重くなる。
雪藍は、静かにお茶を淹れながら、そのまだ見ぬ少年に、かつての自分を重ねていた。
(心を閉ざし、誰にも頼らずに生きてきた…)
その少年の孤独が、他人事とは思えなかった。
やがて、宦官に連れられて、凛が静月殿へとやってきた。
息を呑むほどに、美しい少年だった。濡羽色の黒髪は、肩までさらりと流れ、その下に、硬く閉ざされた唇と、誰の言葉も受け付けないとでも言うような、鋭い光を宿した氷のように冷たい灰色の瞳があった。
年の頃に似合わぬ、荒野を生きる若獅子のような孤高の気配を纏っていた。
皇上と皇后は、朱華と雪藍に、凛の後見人と教育係を命じた。
夫婦として、初めての「誰かを育てる」という大役だった。
章2:氷の瞳
「凛。今日から、ここがお前の家だ。俺は朱華、そしてこちらは、妃の雪藍」
朱華が、できる限り穏やかな声で語りかける。
雪藍もまた、優しい笑みを浮かべた。
「何も、心配はいりませんよ。疲れたでしょう、まずは温かいお茶でも…」
しかし、凛は二人の言葉に、何の反応も示さなかった。
ただ、値踏みするような冷たい視線で二人を交互に見つめるだけ。
その瞳には、深い不信感と、隠しきれない反発の色が燃えていた。
「…馴れ合うつもりはない」
ようやく彼が発したのは、氷の欠片のような、硬く、冷たい一言だった。
「俺は、皇族に媚びるためにここへ来たのではない。…亡き父母の名誉を取り戻すまでは」
そのあまりにも刺々しい言葉に、その場の空気が凍り付く。
朱華の眉が、わずかに動いた。
「ほう…。言うではないか。だが、口の利き方も知らぬ若造に、何ができるというのだ」
「朱華様…!」
雪藍が慌てて制するが、朱華の目は笑っていなかった。
凛は、朱華の挑発に怯むことなく、その瞳をまっすぐに見返した。
「言葉ではない。俺は、俺のやり方で証明する」
二人の間に、火花が散るような緊張が走る。
雪藍は、その間に立って、どうすることもできず、ただ胸を痛めるだけだった。
章3:不器用な家族
その日から、三人の不器用な共同生活が始まった。
朱華は、凛にかつての自分と同じ「孤独」の影を見出し、なんとか彼の心を開かせようと、厳しくも真摯に向き合った。
剣の稽古をつけようとすれば、「皇族の剣術など、興味はない」と背を向けられる。
帝王学を教えようと書物を与えれば、「滅びた家の者に、国の何が分かるというのだ」と、皮肉を返される。
何一つ、うまくいかない。
朱華が苛立ちを募らせる一方で、雪藍は、違うやり方で凛に寄り添おうとしていた。
彼女は、無理に距離を詰めようとしない。ただ、彼が一人で庭を眺めている時は、少し離れた場所で静かにお茶を飲み、彼が書庫に籠っている時は、その扉の前に、彼が好きそうな歴史書をそっと置いておく。
そして、何よりも――。
彼女は、凛の部屋に、誰にも告げずに「心を安らげる特別な香」を、毎日、焚き続けた。
凛は、その香りに気づいていた。
煩わしいと思いながらも、その穏やかな香りが部屋に満ちると、不思議と荒れ狂う心が静まっていくのを感じて、戸惑っていた。
心を閉ざした若獅子と、不器用な皇太子、そして、ただ静かに寄り添う妃。
三人の間には、まだ大きな隔たりがあったが、それでも確かに、新しい物語の歯車は、静かに回り始めていた。
だが、その歯車が、やがて宮廷の運命を大きく揺るがすことになるとは、まだ誰も知らなかった。」




