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「亀裂の言葉、嵐の口づけ」

章1:冷たい寝床


前夜の激しい閨事の熱が、嘘のように冷え切っていた。

朝、静月殿の寝所で目を覚ました雪藍は、隣で眠る朱華の寝顔を静かに見つめた。


(……昨夜の朱華様は、何かに怯えていらっしゃるようだった)


あの激しさは、愛情の裏返しにある、深い不安の表れ。雪藍はそれを敏感に感じ取っていた。


身支度を整える雪藍に、目を覚ました朱華が声をかけた。


「……昨夜は、よく眠れたか」


「……はい。朱華様のおかげで」


雪藍は振り返らず、努めて冷静に答えた。


「雪藍。俺の目を見ろ」


命令に近い響きに、雪藍の肩が小さく震える。


「お前は昨日、あの男といる時、楽しそうだったな」


「……香の話をしていただけです。わたくしにとって、それは仕事であり、誇りです」


「仕事、か。あの男の瞳は、ただの仕事相手を見る目ではなかった。(…なぜ気づかぬ。お前がどれほど危険な眼差しに晒されているか、俺はただ、それが心配なだけなのだ…!)」


「朱華様は、このわたくしの心よりも、カイ様の瞳を信じると、そう仰るのですね。(…違う、わたくしが欲しいのは、そんな言葉ではない。ただ、『お前だけを信じている』と、そう言ってくだされば、それで良いのです…!)」


雪藍の瑠璃色の瞳から、一筋、涙がこぼれ落ちた。


「少し、一人にさせてください」


そう言って、彼女は朱華に背を向け、逃げるように部屋を出ていった。



章2:砂漠の誘い


雪藍は、香室に籠っていた。

心を鎮めようと香を焚くが、その煙は彼女の心の乱れを映すように、頼りなく揺れるだけだった。

そこへ、カイが訪れた。


「妃殿下。……あなたの焚く香には、悲しみの雨が降っているようだ」


雪藍は驚いて顔を上げる。この男は、香りで人の心さえも読み解くのか。


「……何でもございません」


「そうは見えない。殿下と、何かありましたか」


カイの琥珀の瞳は、すべてを見透かすように優しく、そして静かだった。雪藍は、その眼差しから逃れるように視線を落とす。

カイはそれ以上は追及せず、ただ、遠い故郷を語るように言った。


「俺の国では、才能ある者は性別や身分に関係なく敬われる。あなたのその力は、この国の妃という、美しくも窮屈な籠に収めておくには、あまりにも惜しい」


雪藍の心が、その言葉に揺れる。


「……何が、仰りたいのですか」


「簡単なことだ」


カイは微笑んだ。


「もし、あなたがその翼を自由に広げたいと願うなら……俺は、いつでもあなたを歓迎する。砂漠の空は、どこまでも青く、広い」


それは、甘い誘惑の言葉だった。

朱華との間に冷たい壁ができてしまった今、その言葉は雪藍の心に深く、重く響いた。


章3:嵐の夜、涙の口づけ


その夜、雪藍は一人、寝所で膝を抱えていた。

朱華は現れない。彼もまた、傷ついているのだ。


(わたくしが、朱華様を傷つけてしまった…)


後悔の涙が、止めどなく頬を伝う。


その時、荒々しく扉が開かれ、朱華が立っていた。

その瞳は後悔と、抑えきれないほどの渇望に濡れていた。


「……雪藍」


掠れた声で名を呼ばれ、雪藍の身体が震える。


言葉は、もうなかった。朱華は数歩で距離を詰めると、雪藍を床から引き剥がすように抱きしめた。


「っ……!」


そのまま、嵐のような口づけが降ってくる。

それは謝罪でも、愛情表現でもない。

ただ、互いの存在を確かめ、この埋めがたい心の距離を、身体で埋めようとするような、痛切な口づけだった。涙の塩辛い味が混じる、罰のような口づけを、雪藍は嗚咽を漏らしながら受け入れた。


「許してくれ、雪藍…」


口づけの合間に、朱華が呻くように言った。


「俺は、お前を失うのが怖い…。カイの瞳に映るお前が、俺の知らない顔で笑うのが…耐えられなかったんだ」


その弱々しい告白に、雪藍の胸は張り裂けそうになる。


「どこにも行きません…!」


雪藍も涙声で叫ぶように返す。


「私の魂は、最初に出会ったあの日から、ずっと朱華様だけのものです…!」


その言葉が、朱華の自制心を完全に断ち切った。

彼は雪藍を寝台へと運び、もつれるように互いの衣を剥ぎ取っていく。

露わになった肌に、互いの涙が落ちては熱く蒸発した。

朱華は、雪藍の震える身体を見下ろし、苦しげに喉を鳴らした。


「雪藍…俺だけがお前に印を刻むのは、不公平だ…。お前も、俺に刻んでくれ。俺がお前のものだと、証を…」


彼は自らの胸元を晒し、懇願するように雪藍を見つめた。

その瞳にあるのは、皇太子の威厳ではなく、ただ一人の男の、痛切なまでの渇望。

雪藍は驚きに目を見開いたが、すぐに彼の弱さと愛おしさに胸を打たれ、震える唇でその胸元に、決して消えぬほどの熱い花を咲かせるように、深く吸いついた。


「ああ…っ」


朱華の喉から、苦悶とも悦びともつかぬ声が漏れる。

その音に煽られるように、二人の身体は再び強く求め合った。

それは快楽のためではなく、互いの傷を舐め合い、魂の亀裂を埋めるための、嵐のような交わりだった。肌と肌がぶつかる熱と、互いの名を呼び合う声だけが、寝所に響き渡る。

やがて、ひときわ深く結ばれた瞬間、二人の身体は同時に激しく痙攣した。それは、傷つけ合った魂が、涙と共に溶け合う瞬間だった。


やがて、嵐が過ぎ去った後。

二人は汗と涙に濡れたまま、互いを抱きしめていた。

心の亀裂は、まだ完全には塞がってはいない。

けれど、この腕の中にしか互いの居場所はないのだと、痛いほどに分かっていた。


朱華は、雪藍の髪を撫でながら、絞り出すように言った。


「…それでも、俺はまた、お前に嫉妬するだろう。愚かな男だ」


その正直な告白に、雪藍は彼の胸に顔を埋めたまま、静かに、しかし力強く答えた。


「でしたら、その度に、わたくしの全てで教えてさしあげます。あなたの居場所が、ここにしかないのだと」


その夜の静寂は、次なる嵐の前の、あまりにも切ない凪だった。

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